バラを植える人
20年前、バラはマニア向けの植物で、素人が手を出せない特別な花でした。10年前、園芸店やホームセンターで多様な品種が売られ、一般化しました。しかしまだ「バラって難しいでしょ、高くて手が出ないし」という声が聞かれ、まだまだ気軽に買って植えるものではなかった。そしてこの頃では価格も安価となり、四季咲きなどの一般ウケする品種がさらに増え、他の草花と同じ感覚で楽しめるようになったのです。

昨年ガーデンリフォームを行った丸岡さんちのバラ。
これは第一弾です。
連休明けに、さらに盛大に咲いたところで第二弾の撮影予定。
いや〜、バラってほんとにいいですねえ〜。
ブルーフォーユー


ドルチェビータ


ナエマ

こうなったら世の中の庭という庭すべてがバラ園になってもいいように思いながら、しか〜し、そうはならない。これはもはや好みの問題なのかもしれませんね。ぼく的にはバラがなければ庭が寂しすぎるし、バラほど人を感動させる花はないと思っているのですが、人それぞれ、というところに20年越しの庭の変遷を結論づけることとなりにけり。でもですね、どうしてもそこでピリオドを打てない気持ちが残るのです。

アンジェラ



ファンタン・ラトゥール


ダフネ
なぜなら、こんなに人をいい気分にさせて、その効用で手入れも楽しくさせ、庭の波動が上がり、つられて人の心身も良好に引っ張り上げてくれる『お得な花』を、庭を持つ人全員が活用しないのかと、歯がゆいような気分が残るから。とはいえ、これはバラに限ったことではなく、庭自体の魅力に気づいていない人があまりに多いという、これまた20年越しのモヤモヤがありまして、それがこうしてブログを書き続けていることの源泉、エネルギーでもありますので。

ピエール・ド・ロンサール


ギーサヴォア

ヨハン・シュトラウス

イエライシャン(夜来香)
柑橘系の香りがします。

で、あれば、やはりすべての庭にバラの花が咲き香る日、というイマジネーションは消さないままでゴールまで走り続けることが、ぼくのライフワークってやつなのでしょう。こうして理想の世界を思い描き続ける者が、多分ですけど、必要なのです。その役をぼくに課した神様か何者かの意向に従い進む、ありがたい役回りと感謝して、今日もせっせと設計設計また設計。






神に与えられし役割、などと誇大妄想と思われるかもしれません。しかし、バラのことも、庭のことも、その魅力を多くの人に伝え具現化したいと願っている庭屋が、ぼくが見渡す限りほとんど存在しない現状ですから、自分をジョナサン・リヴィングストンとダブらせるというのが、自分が自分らしくあること、つまりはこれがアイデンティティってこと。故に、どうか、ええっと、なんと申しましょうか、そんな人もいるんだなあと放っといてください。時々はぼくの庭への思いが強すぎて、加えて伝え方が下手くそなものですから、訝しがられ、ムーンウォークで後ずさる方もいらっしゃる。楽園へお連れできなかったことが残念で、悔しくて、反省反省また反省。プレゼンテーション能力、コミュニケーション能力、言語能力、日々心身のコンディションをベストに保つ自己管理能力、鬼女房と賢く暮らす生活能力、いろんな能力が整わないと、ライフワークもへったくれもないわけで、研鑽研鑽また研鑽。






これをお読みのあなたに、今日はひとつだけ、イマジネーションを送ります。贈ります。あなたのご近所でいわゆるバラ屋敷があったら、遠くからでも観察してみてください。その庭にいる人は、必ずにこやかで、穏やかで、幸福そのものの表情をしています。その人の暮らしぶりがあなたよりも幸せそうだと感じたら、迷わずバラを植えて育ててみてください。話は簡単で、形から入れば案外すんなりとその世界に行けるのですから。バラはそれほど人を、暮らしを、理想へと引っ張り上げてくれるパワーを持った摩訶不思議なる花。繰り返しますが、『お得な花』なのであります。