では、まずは前庭のプランをご覧ください。


オープンスタイルで、素材はヤキスギレンガと塗り壁と一部まくら木を使っています。極力シンプルな素材構成(アルミ製品は無しです)で全体の統一感を出して、あとは植物で魅せるという仕立てです。新居での生活に ナチュラル・ガーデンライフ というようなイメージをお持ちだった奥様の ガーデニング力 に期待した他力本願の設計でしたが、期待どおりに草花(グリーンリーフ系)を育ててくださってホッとするやらありがたいやらでした。
Before

After

<いわふちのブログから>
では、まずは前庭のプランをご覧ください。
オープンスタイルで、素材はヤキスギレンガと塗り壁と一部まくら木を使っています。極力シンプルな素材構成(アルミ製品は無しです)で全体の統一感を出して、あとは植物で魅せるという仕立てです。新居での生活に ナチュラル・ガーデンライフ というようなイメージをお持ちだった奥様の ガーデニング力 に期待した他力本願の設計でしたが、期待どおりに草花(グリーンリーフ系)を育ててくださってホッとするやらありがたいやらでした。
Before
After
表札・ポスト・インターホンは建物に設置しました。オープンスタイルで、さらに土間コンクリート無し、アルミのフェンスやカーポートもつけないということで、従来のいわゆる 外構工事 ではなくて、前庭の 造園工事 という感じになりました。レンガ階段の玄関アプローチがあるフロントヤード・ガーデンの完成です。
玄関ポーチを建築工事から外してもらって外構で施工させていただいたことは過去何度もあります。時には玄関の中まで外構でやらせてもらうというわがままを聞き入れてもらったこともありました。今回は形状を変えたいというのが主眼でしたが、そうやってポーチも含めた外構設計をすることで素材を統一できるというのが一番のメリットです。道路からアプローチ、階段、ポーチ、そして玄関の中まで同じ素材で構成できることが、たいがいの場合の理想型なのです。
アーチはスチールパイプの安価でシンプルなものですけど、強度はあるし、植物がからめば見た目も問題無しです。この物置とアーチがあることで立体的な構成が出来て、意欲的にガーデニングを楽しむ場所という雰囲気になればという意図で設置しました。こういうことをこれでもかこれでもかと組み立てないと、ただの通路になってしまうのです。ただの通路では楽しむ意欲も沸いてこないもので、つまり、立体構成や目的・テーマ(物置だったら「何を入れようかしら」と考えさせる)を織り込むことによって、その場所の意味を濃くするという手法なわけです。理屈っぽいでしょ。ほんとこうして書くと理屈っぽい。設計中はこういった理屈が頭の中を駆け回って、絡み合っています。プレゼンテーションでは極力それを出さないで「きれいでしょ」「いい感じでしょ」「楽しそうでしょ」という言葉で解説するようにしていますけど、時々こういう理屈が展開されて止まらないことがあります。そんな場面に出くわした方は、どうかご容赦ください。職業的な癖なのです。
で、いつもの船舶ライトです。
この船舶ライト一辺倒から脱却しようと、最初は樹木をあおる100ボルトのアッパーライトを設置しました。いい感じになるであろうとワクワクしていたのですが、お客さまからすぐに電話があって「明るすぎて変!」とのこと。照明器具は難しいのです。結局電気工事をやり直して船舶ライトになりました。
アッパーライトはその後勉強して、ローボルトタイプや高照度LEDなど、一般家庭で効果的に使える器具を見つけたのでもう大丈夫です。今度は失敗しませんよ~。
すべてはこの絵から始まりました。庭の打合せでおじゃましたときにリビングの壁に貼ってあったのです。その絵から感じる 夢中さ や 自由さ や ナイーブさ にグッときて「これを表札にしませんか」と提案。
原画をスキャニングしてから、ニュアンスを崩さないように慎重にトレースして、
そしてレイアウトした原稿がこれです。
いつも無理難題に付き合ってもらっている表札の尚美さんに「感じが変わらないように慎重にお願いします」と依頼して、できあがった表札がこれ。
この表札が出来上がるまでにかかわった全ての職人さんが、熱心に取り組んでくれたことが感じられて 感謝感激 な出来映えでした。
そしてこちらが絵の作者ケイイチロウ画伯です。いつも飄々としていて、目の前のことに没頭する集中力と空想の世界を浮遊する能力の高さは、私が今まで出会ったアーティストの中でもピカイチなのです。
「ケイイチロウ君、この表札つくるのすっごく楽しかったよ。また何か作品が出来たらおじさんに見せてちょ」
私、絵の作者ケイイチロウ君にすごく惹かれて、それは「いい子だなあ」というより「おもしろい(興味深い)子だなあ」という感じでした。
子どもはそれぞれ性格や資質が違っていて一日中アラレちゃんみたいにキ~ンと飛び回っている子や、ホンワカしていたり、チャラけていたりいろいろですけど、みんなそれぞれに本来のその子らしさ丸出しで生きています。ケイイチロウ君もそうで、その彼本来のアーティスティックな部分に自分の幼い日々がダブるのかもしれません。
一日中空想の世界をさまよいながら(はた目にはただボーッとしているように見えたそうです)、紙があれば昆虫や飛行機の絵を描き、粘度でビル・ロビンソンの胸像をつくり、レゴで創造と破壊を飽きることなく延々繰り返していました。自分としてはそういう感じ(他の子と少し違う)にかすかな違和感を持ちながらも、衝動として湧き上がってくる空想世界や創造的行為へ向かうエネルギーに抗うことなど考えもしないで、それに従って“ 変な子 ”のまま成長したのです。
まあ、そういう性質の子どもだったということです。で、親がそのまま放ったらかしで好き勝手に空想や創造をやらせてくれたことに、ほんと感謝しています。ケイイチロウ君にもそれを感じるのです。彼の本来の姿でそのままイキイキと暮らしている。それはお父さんとお母さんがえらいんだなあと。
子どもをその子が持っている本来の性質のまま育てる。簡単そうでいて、それが出来ている家庭ってすごく少ないんです。仕事柄いろんな家族とかかわるので、このことを強く感じていて、だからケイイチロウ君のようなタイプに出会うとうれしくなるというか、ホッとします。
神谷さんちの前庭の草花と小物をご覧いただきながら、明日も引続きこの話題を。
よその家のことをあれこれ言うのは失礼なことですし、まして子育てとなると、皆様それぞれに真剣なわけでして・・・、だからこのことは普段言いたくてもなかなか言えないことです。でも子育て真っ最中のご夫婦にはどうしても伝えたいことなので、思いきって。
以前庭をやらせていただいたお宅で、お子さんが障害(ダウン症かな)を持っている家族がいました。ふたり兄弟の、弟クンの方です。すごく感じのいいご夫婦で、明るくて前向きで、いつうかがっても楽しい会話とおいしいコーヒーで歓待してくださいます。そしてその障害のある弟クンがこれまたいつもニコニコしていて、周囲の空気を明るく楽しいものにしてくれます。見ていると基本的に弟クンの行動は放ったらかしです。自由に、気ままに。で、当人は次々興味の向いたことに熱中しています。実に楽しそうです。
お父さんがこんなことを言っていました「お兄ちゃんはいつか大人になって独立して行くけど、こいつはいつまでも子どものままで私たちを楽しませてくれるでしょう」。それを奥様もニコニコしながら聞いていて、 一生新婚さん みたいなオーラを放つラブラブカップルです。親子とも五体満足であっても、ああだこうだと悩み事は尽きないもの。お子さんに障害があったらなおのことで、ご夫婦には他人にはわかり得ない葛藤もあったでしょう。それをしっかりと乗り越えてラブラブ、ニコニコ夫婦にたどり着いたお二人が 目指すべき夫婦像 としていつも私の中にあります。笑顔と愛情に満ちたそのお宅と明るい天使のような弟クン、そしてその弟クンをしっかりと見守っているお兄ちゃん。その一家のことを、時々思い出してはわが生活を顧みて、反省したりパワーをいただいたりしているのです。
そういう子育て大成功パターンの家庭と対極にあるようなお宅にも、年に何度か遭遇します。どういう家族かというと、 夫婦仲が悪い 。さすがに打合せ中に喧嘩を始めたり、夫婦間の会話が冷たかったりするケースは稀ですけど、だいだいが子どもの様子を見るとわかります。喧嘩ばかりしている夫婦の子どもはイキイキしていません。ひどいときには表情がありません。虐待があるとかそういうことじゃなくても、親が幸せいっぱいの家庭環境をつくらないと、子どもは妙にべたべた甘えたり、いじけたりおびえたりで、総じて声が小さくて何も主張しない。子どもらしいわがままやダダをこねることもしなくなってしまうものなのです。そしてついには無表情で深く悲しい目をした子になってしまいます。こういう子どもに会うと、その子の両親を並べて説教したくなります。
「あなたたちは大人でしょう、なんで子どものためにいい関係を維持するくらいの知恵や理性が無いんですか!それができないんだったら、お子さんをうちで預かります。早くそうしないとその子がかわいそうすぎます。その子の人生にとって取り返しがつかない事態になってしまいますよ」
そういう不仲な夫婦から庭の設計依頼があったときにどうするかというと、真剣に、どうしたらいい夫婦になれるかをイメージしながら設計します。庭をきっかけに関係修復して、さらにいい感じの夫婦に向けて成長していってほしいという願いがいっぱいこもった庭を提案します。それにうまいこと乗ってくれて、しばらくしたらこっちがうらやましくなるほどいい感じの夫婦、家族になってくれるお宅もあります。最高にうれしい結果です。
でも逆なことも多くて、そういう場合はたいがい契約になりません。まあ、毎日がつまらなかったりストレスの連続で、とても庭どころではないのでしょう。そういうときに思うのはお子さんのこと。別に庭で楽しまなくてもかまわないんですけど、そのままの冷たい夫婦では子どもがかわいそうすぎます。子どもの顔から表情がなくなってきたら要注意どころではなくてすでに赤信号です。その子が将来自己肯定観を持てないいわゆるアダルトチルドレン的な苦しみを背負うとしたら、それはすべてラブラブの夫婦でいられなかった親の責任です。これは特に女の子に多い。男の子の場合は引きこもり、恋愛ができない、仕事が長続きしないなど。もっと悲惨なのは、思春期に精神を病んでしまうケースです。今、加速度的にそれが増えているとのこと。そうなっってしまった原因はほぼ100%幼少期の生育環境にあると言われていて、つまりは親の責任なのです。そしてそうなってしまった子どもたちの苦しみは本人以外には絶対に理解できない辛さだといいます。それを考えたら、つまらないことで夫婦喧嘩している場合ではない。ここが嫌いだの浮気がどうしたの稼ぎが悪いのと、そんなことでもめるのは子育てが無事終了してからにしていただきたいのです。
『庭を楽しんでいる人たちは幸いかな』それ以前のところでもがき苦しんでいる親と子が山ほどいる現実。もし庭をきっかけにいい家族に向かおうというイマジネーションを持てたら、迷わずグレースランドに来てください。私と、このことについて同じ思いを持つわがスタッフが、あなたの願い、家族への思いを具現化する 家庭/家族のための庭 をつくります。これ、宣伝じゃなくて 願い です。
余計なお世話をもうひとつ。喧嘩しない夫婦が仲がいいというわけじゃないですよ。血が繋がっていなくて育ちも違う男と女が意見や感性が合うはずがない。たとえ双子でも人格が違えば考えも違うのですから、夫婦喧嘩は当たり前です。むかし「私は両親が喧嘩しているところを見た記憶がありません」と言っていた女の人がいましたが、その後彼女は結婚生活に失敗し、子育てもうまくいっていません。当たり前です。喧嘩したのを見たことがないということは和解するところを見たこともないわけで、そういう人が夫婦をやれるはずがないと思うのです。彼女の両親はきっとどこかバランスを欠いていたのでしょう。だから喧嘩をしなかった。子どもに対してはいい親を演じる仮面夫婦だったのかもしれません。
私は、いい夫婦とは上手に喧嘩している夫婦だと思うのです。喧嘩して、仲直りして、また喧嘩して、徐々に理解が深まって、時間か経つほど関係が深まっていく。それがいい夫婦なんじゃないでしょうか。ちなみにわが夫婦は、最近、お互いに喧嘩すると気力を消耗することに気がつきまして、ずいぶんと喧嘩が減りました。こうやってふたりとも弱っていって、喧嘩しないニコニコ夫婦になるのかなあ。まあ、 喧嘩するほど仲がいい と言いますが、ほんと、喧嘩できない(意思表示と関係修復がヘタ)夫婦はこれまた要注意ですよ。
ほんと、余計なお世話のお話でした。でも、今まで出会った何人もの笑わない子どもたちの顔が浮かんで来て・・・。「みなさん、もう大人なんだから、自分の子どもの笑顔は守ってやってください」
Plan A
Plan B
検討していただいた結果、Plan Aをベースに細部を変更して施工することになりました。
両方とも 家族で過ごす場所 と 植物を楽しむ場所 という2つのゾーンで構成されていて、立体的にはそれぞれに 過ごしやすさ と お隣りとの適切な目かくし という点を意識して構成してあります。
直接的にバーベキューというシーンが浮かぶ Plan B と、多目的でリビングの床が外に広がった感じの Plan A 。最近よくこういう提案の仕方をします。すると、皆さん迷いに迷います。それがいいんですねえ。迷いながらそれぞれのプランでの様々なシーンをイメージするからです。
たいがい夫婦で意見が分かれます。奥さんはご主人を、ご主人は奥様を説得しはじめます。この戦いがいいんですよ。「相手を説得しようとする場合、説得される側より説得しようとしている側にそのことに対する確信が強まる」という心理学者の話があるように、相手に対して持論を主張・展開することで、その持論がどんどん具体的になり、その楽しさ、有効性が主張している側の中で確固たるものになっていく。
こういった夫婦バトルの、結果はどっちでも大丈夫。迷うということはどちらでもいいということですから。それよりもそのバトルによって、これから始まる庭でのシーン、庭がある暮らしが色や音や香り、空気感まで含めて映像化されるように鮮明になっていくのです。そのプロセスがあれば、どんな仕立ての庭になったとしても 家族で庭を楽しもう というイメージは出来上がっているわけですから、必ずいい庭になります。
いつも言うこと「イメージできたら出来たも同然」。いい庭(ファミリーガーデン)は、良質なデザインとともに、そこで過ごす人の庭を楽しむイマジネーションが必要なのです。
Before1
After1
Before2
After2
新居が完成して、前庭が出来上がって、しばらくは裏庭は手つかずでした。私もそれでいいんじゃないですかと言ったような記憶があります。引っ越しの片づけやら慣れない新居生活で、けっこう家族全員疲れるもの。みんなの大事な場所にしたい裏庭は、そういったことから解放されて、ゆったり落ちついて考えた方がいいと思ったのです。その期間はいろいろで、新築後2~3年してから「そろそろ庭を何とかしたいんですけど」と来られるお客さまも大勢いらっしゃいます。それでいいんですよ、ほんと。疲れていたり、あれこれ出費が重なってへこんでいるときに庭のこと考えたって、その後長く楽しむ お気に入りの場所 にはなりづらいと思うからです。
神谷さんちの場合は半年後くらいでした。奥様から電話で「庭がどろどろで・・・」、じゃあそろそろ始めましょうかってな感じでプランニングに入りました。前庭工事でご一家の人柄や趣味がわかっていて、お友だちみたいな気安いお付き合いをしていただいてたので、まるでわが家の庭をイメージするような感じで、楽しい気分で設計することができました。それは前庭で唸っていたのとは対照的で、全ての仕事がこの裏庭みたいな感じでスイスイ設計できたらどんなに楽で楽しいだろうなどと・・・。でもまあ、そうとばかりは言えなくて、唸って唸ってこねくり出すことも楽しいわけでして、たまにしか楽に仕上がることがないから楽がうれしいわけですし、楽してばかりでは楽しい仕事はできない、そういうことですね。
ジャン、ジャジャジャジャン、ジャジャジャジャン、ジャジャジャジャジャジャジャジャジャ じ~んせーいーらーくーあーりゃーく~もあーるーさ~
明日は裏庭の半分、ガーデニングスペースです。
大きな花壇をひとつ、当面はケイイチロウ君の創作ワールド 砂場 として使うことになりました。砂遊びに飽きたらカブトムシの養殖場にするとか、有機栽培の畑にするなど構想は広がっています。でも、ケイイチロウ君、飽きない感じです。もしかしたら大人になっても砂遊びを続けているのではというような勢いで、まあそれならそれで楽しいかと、はい。湘南にはおじいさんになっても海岸で砂のお城をつくっている、そんなサークルもあるそうですし。彼には創造欲を満たしながらの素晴らしい人生を送っていただきたい。この砂場がそのスタートになれば最高です。
これはケイイチロウ君が拾って来たドングリが芽吹いたもの。引っ越す前にマンションのベランダで育てていました。もう少し大きくなったらこの庭に庭木が一本増えます。
撮影中に蜂が。庭全体に流れる神谷家のおだやかで自然体な感じの空気のせいか、カメラを近付けてもまったく逃げようとしませんでした。いいんだなあ、この感じ。円海山を歩いていても、私自身がリラックスしているときはトンボが頭に止まったりするのです。そういう時はうれしくなります。少しでもイライラしていたら絶対にないことですから。
ケイイチロウ君の砂場遊びがいつまで継続されるのかが楽しみです。お父さんも砂遊びに熱中しそうなタイプなので、もしかしたら将来砂を使ったアーティストとして有名になるかもしれません。
木工フェンスの主な目的はお隣りとの目かくしなんですけど、けっこう板の隙間が大きくつくってあります。これは奥様のご希望で、奥様に現地で見ていただきながら施工しました。要するにこの隙間ぐあいがお隣りとの関係性を表しているのです。とっても仲良しでお隣りの庭の茂ったミカンを借景として気に入って眺めていると言いますし、フェンス越しに見える空間がこちらの庭に広さを与えてくれているというか、懐の深さになっています。
このように目かくしの具合をどうするか考えるときに、必ず思い出すことがあります。それは7年前まで住んでいた新宿での話。東京では目かくしのご要望がものすごく多くて、そのほとんどは「完全に見えないようにしてください」でした。ひどい時は「お隣りが覗いているんです」とか、もっと深刻だったのは「お隣りの人たちが私の悪口を言っているんです。音も聞こえないように出来ませんか」というもの。これはもう病んでいます。でもまあ、私でできる限りのことはしましたけど・・・。ストレス都市東京 、振り返って考えると暗~い気持になってしまうのです。
ところが横浜に越して来たら、そういう話は一回もありません。全く一回もです。それとは逆に「あんまりしっかり目かくしするとお隣りが気を悪くされるんじゃないかしら」とか「目かくしでお隣りの部屋が暗くならないようにしたいんですけど」、「この素材ならお隣りの庭の雰囲気に合いますよねえ」。こうなるとデザイナーとしては頭が下がる思いなのです。このように、横浜ではお隣りとの関係性に配慮した話ばかりで、場所によってこれほど目かくしに対する考え方が違うのかと驚くやらうれしいやらでした。
小物は奥様が買い集めたもの。
横浜青葉インター近くのワンダーデコールにも時々物色しに出かけるそうで、庭にいい感じをかもし出しています。
日常の中で「庭に置けるおもしろいものないかなあ」という意識があるというのがいい。わが家もそうですけど、忙しいばかりでガシャガシャと日々を過ごしている時は、そういうこと考えもしませんから。こういう小物たちが庭で活きている感じ、イコール住んでいる人の気持ちの余裕、生活力の高さの表れなんですよね。
自分が男だからでしょうか、男の子の成長というのがまばゆくて。ちなみにかわいらしい妹さんもいて、いつもにこやかなご主人と自然派志向の奥様と、テディーベアみたいなワンちゃん2匹。このご一家がどういうさらなる進化を遂げるのか、庭の成長とともに楽しみです。特にケイイチロウ画伯のアーティスティックな面、並外れた創造力と集中力と繊細さが今後の彼の人生にどう影響していくのかをいろいろとイメージしてはひとりニマニマ。いやあ、ほんと、楽しみなのです。