フェルメールのような庭ー酒巻邸(横浜市金沢区)
建物の西側、一般的には裏側に当たる場所のガーデンリフォームです。
Before はこうです。
そして道路からは、こうです。
フェンスも門扉もあるし、通路も整っています。植物も植わっていて、物干し場があって、コンポストが置いてあるということは、草花も楽しんでいるということですから、まあ一応これでいいような・・・。
もしここがあなたの家なら、この場所をどう捉えるでしょうか。
たぶん、ほとんどの人は「このままでいいんじゃないかなあ」って、そう思いますよね。
もちろんやりようはいくらでもあります。でも現地に立って、ぼくは迷っていました。
キッ チリと設計するまでもなく、現状に数本の木を植え足して、アーチを設置して、土壌改良して花を植えるだけでいいような気もするし、でももし設計するなら、 いったんすべて壊してやり直すくらいの提案をしたいし。いや待て待て、できるだけ現状を活かして仕立て直すべきだ、と思ったり。
行きつ戻りつする気持ちのままでチャイムを押して、奥様との打合せが始まりました。
ぼくは迷っている気持ちをそのまま伝えてみました。
奥様はぼくの話に、はい、はい、と丁寧に頷いたあと、一枚の絵はがきを持ってきました。
ヨハネス・フェルメールの「小路」でした。

小路
そして、とても曖昧で、でもものすごく強烈なご要望をぼくに伝えました。
フェルメールの絵のような提案をしてほしいんです。それはこの絵を模写するということじゃなくて、「フェルメールのような」でいいんです。
ぼくは平静を装いながら、内心困惑していました。困りながら、同時に、身震いするほどうれしくなっていました。
ぼく、フェルメール、大好きなんです。
しかし複雑です。奥様の言葉は捕らえ所がなく、でも明らかに、ぼくの設計に大きな期待を持っていることがわかるものでした。
でもねえ、「フェルメールのような」って、ねえ、どう考えたらいいのやら。
モネやルノアールじゃなくて、フェルメールですよ。
モネなら池つくればいいような気がするし、ルノアールなら木漏れ日と花いっぱいの庭をイメージすればいい。でも、フェルメールとなると、・・・。
フェルメールの風景画は、奥様が持って来られた「小路」と、もう1枚「デルフトの眺望」があるだけです。庭を描いた絵はこの世に存在していません。

デルフトの眺望
さあどうしますかねえ。
ぼくのその様子を察して、奥様が助け舟を出してくれました。
いいのいいの、ただフェルメールが好きだってことだけ。気にしないで。
ちょっとホッとして、でもうれしい震えが止まらなくて、もう少しつついてみたくなって、フェルメールのことを話してみました。
「フェルメールって、光をカンバス上に微分しようとしてたんですよね」
・・・自分でも、言ってる意味がわかりませんでした。ただフェルメール好きで有名な、分子生物学者の福岡信一さんがそんなたぐいのことを話していたことがあって、それが不意に出てしまったのです。
奥様は静かに微笑みながら言いました。
はい、そうですね。
エーッ!そうなんだあ。
ぼくが意味もわからず言ってることを、奥様は理解し、それが正解であるという返事を返してきたのです。
いやいや、こりゃあまいった。これが漫画なら、ぼくが「ギャフン」となるところです。
自分で振っておきながら恥ずかしくなって、もうフェルメールからは離れたくて、次の話題を探して、しばし沈黙の時間がありました。
またまた奥様が助け舟を出してくださいました。
ラブリーな感じがいいです。
助け舟は、領海侵犯した漁船を取り締まる巡視艇でした。
ラブリーな感じ、・・・かあ。
ぼくは再び困ってしまいました。
とにかく奥様の期待は大きく、具体性はゼロで、フェルメールのようでいてラブリーな設計を望まれているということがわかりました。
この不思議な不思議な打合せの時間、そして奥様の、これまた不思議なご要望。
打合せを終えての帰り道、ぼくは運転しながら、頭の中にはずっと「フェルメール」と「ラブリー」が飛び交っていました。
数日後、設計に取りかかっても、まだ頭の中には「フェルメール」と「ラブリー」が飛び交い渦巻いたままです。何にも描けません。それどころか、何から考えていいのかもわからなくなっていました。
翌日も同じ状態だったので、止むなく他の設計を先にやりました。違うことに集中することで、思いがけない活路が見えてくるかもしれないからです。
・・・ダメでした。
フェルメール、ラブリー、フェルメール、ラブリー、フェルメール、ラブリー。
数日が経過し、他の設計がいくつか完成していました。でもフェルメールとラブリーの混乱はそのままです。
いったん奥様の言葉を頭から外すことにしました。
フェルメールもラブリーも聞かなかったことにして、「もしここがぼくんちなら」という、よく使う思考パターンで設計を始めました。もうそれしかありません。
ぼくもフェルメールが大好きだし、ぼくの中にもラブリー成分は少なからず存在しているので、そんなぼくがイメージする理想の庭を描けばそれでいい。もし転けても後悔なし。とにかく自分なりのベストをカタチにしなければと、そんな心境でした。
明日、そんなこんなで完成したプランをご覧いただきます。
考えあぐねた末に、結局奥様からのご要望である「フェルメール&ラブリー」を頭から追い出して、「もしここが自分の庭なら」というロジックに切り替えて設計しました。
まあしょうがないです。とにかく自分にできるベストを尽くすのみ。
平面図
道路側立面図
庭側立面図
小さくてわかりづらいので、平面と立面を3分割して並べます。
道路側からの3分割
1
2
3
今度はひっくり返して、庭側からの平面立面の3分割です。
2
3
この部分の右方向の立面図
奥様の反応が心配でした。
大丈夫でした。
半ば強引に「もしここが自分の庭なら」と頭を切り替えたので、その強引さの分力が入って、けっこう大規模なリフォームプランになったんですが、奥様はそれをとてもよろこんでくださいました。
いやあよかったよかった。
このプランをもとにして、細部の打合せをしつつ変更していく過程で、おもしろいことが起こったんですよ。
ぼくが頭から外した「フェルメール&ラブリー」がムクムクと復活してきたのです。
例えば素材の色決め。そこに奥様の感覚が反映させていくほどに「フェルメール&ラブリー」な世界になっていきました。
もう一度 Before をご覧ください。
そしてプラン図。

ここに奥様の「フェルメール&ラブリー」な感覚が反映されていってできあがった庭を、明日ご覧いただきます。
ビフォー・アフターです。まずは道路からの外観の変化をご覧いただきます。
建物に対する外構、外の構えということがあります。
機能的には、駐車場の配置、玄関アプローチの取り方、さらにその通路なり庭スペースがあるとすればその前庭を、どう仕立てたら暮らしが楽しくなるのかということを考えます。
ぼくは考えますけど、残念なことに住宅屋さんはあまりそのことを考えてくれないというのが現状です。いやこれ、ほんとに残念なことなのです。
機能的なことの他に、外観としてどうなのか、ということもあります。
できあがった建物にどんな服を着せるのか、ということです。
これもまた、現状は残念無念なもので、せっかく建てた家のデザインとまったく合わない洋服を着せていたり、中には水着とか、スッポンポンのままということも起こっています。
外構をどう捉えるかによって、建物の魅力を増すこともできるし、それはイコール新居でのくらしに魅力が増すということでもあります。
住宅外構は人と同じで、そのデザイン、着る服によって、暮らしの気分が大きく違ってきます。
あるでしょ、そういうこと。犬の散歩に行くんでも、ちょっと気張っておしゃれをして出かけると、気分がグングン上向いていって、出会う人出会う人と楽しい話で盛り上がれます。
家にいるときでも、いつものヨレヨレのジャージじゃなくて、お気に入りの服を着て過ごすと家事がはかどりくつろぎ感も増すとか、そういうことが起こります。
家の外構は、一度仕立てたらずっとそのままになることなので、どんな外構にするか、建物にどんな洋服を着せるかによって、長期にわたる暮らしの気分に影響をおよぼすことになりますし、その仕立て具合が、ご近所や来客の方が持つあなたとご家族への印象にもなります。
これ、納得でしょ。でも誰も教えてくれませんよね、こういうこと。誰も教えてくれないし、普段あまり意識されないことでありながら、実は、いい感じの暮らしを送っていくためにとても重要なことなのです。
だから、「家にどんな服を着せるのか」という観点で、あらためて、あなたの家を道路から眺めてみてください。
道路から観たあなたの家の姿が、客観的なあなたの印象です。
その姿が、理に叶った仕立てで、気品があって、思わず笑顔になるような何かがあって、たくさん花が咲いていたらすてきですね。
というわけで、一応完成していた外構を大規模に改装した今回の仕事の、外からの見栄え、「外観」部分の変化をご覧ください。
Before 1
After 1
Before 2
After 2
Before 3
After 3
まったく印象が変わっちゃうでしょ。
明日は門扉から中に入っていきます。
建物をぐるっと回った反対側に玄関があります。長い長いアプローチです。
その通路を庭に仕立てました。
玄関側方向の家の脇から順にご覧いただきます。




Before 6
After 6
Before 7
After 7
Before 8
After 8
Before 9
After 9
同じ場所を庭と捉えると、そこを庭として成立させる必要がありますから、どんな庭にしたら暮らしが楽しくなるのか、その場所にどういう価値を生み出せばいいのかを考えます。
そう、価値。何となく庭っぽくするには植物を増やせばいい。多くの人はそこまではやります。通路の脇に木を植え、花鉢を飾ります。すてきですよね、花がある玄関先。
でもそこは、通路です。
もう一歩イメージを展開させて、「ここに来るのが楽しみで」、「ここにいると幸せを感じる」というところまで仕立てることができたら、そこは庭になります。毎日通る場所が通路なのか庭なのかで、暮らしは変わりますよね。
こういうことをいつも考える仕事なもんですから、ぼくはその思考パターンを、庭以外のことにまで当てはめたくなります。
「同じ食事なら、通路より庭の方がいい」とか「同じ連れ合いなら、通路より庭の方がいい」という具合です。
ちょっと変な言い方ですね。でもそういうこと。
同じ場所、同じ人、同じ行動を、「必要だから」で終わらせるか、「しあわせだなあ」と感じられるようにするか。
この違いは大きいですよ。
通路を通路と思ったまま一生を送りますか?
あなたのまわりは、「通路」だらけです。さあてと、どれから庭に仕立て直しましょうか。
通路と庭を違う言葉に置き換えたら、もっとわかりやすいんですけどね。なんて言ったらいいんでしょうか。
やってみましょう。
通路→日常、庭→非日常。
通路→慣れ、庭→新鮮さ。
通路→惰性、庭→積極性。
通路→無意識、庭→意識。
通路→効率、庭→非効率。
通路→当たり前、庭→有り難い。
通路→愚痴、庭→感謝。
通路→退屈、庭→喜び。
通路→平凡、庭→悦楽。
通路→まあこんなもんでしょ、庭→最高です。
通路→必要だから、庭→幸せだなあ。
はい、これを「同じ連れ合いなら、通路より庭の方がいい」の通路と庭部分と入れ替えてみましょう。
同じ連れ合いと過ごすなら、日常的を脱して、非日常を演出したい。
同じ連れ合いと過ごすなら、馴れ合いをやめて、毎日新鮮な気持ちで過ごしたい。
同じ連れ合いと過ごすなら、惰性で暮らすのはやめて、積極的に楽しい家庭を目指したい。
同じ連れ合いと過ごすなら、空気みたいな存在じゃなくて、毎日相手を意識していたい。
同じ連れ合いと過ごすなら、家ではマッタリと非効率な時間を過ごしたい。
同じ連れ合いと過ごすなら、居て当たり前じゃなくて、居てくれることを有り難いと思いたい。
同じ連れ合いと過ごすなら、愚痴じゃなくて、感謝の言葉を伝えたい。
同じ連れ合いと過ごすなら、退屈な毎日ではなく、日々喜びを感じながら暮らしたい。
同じ連れ合いと過ごすなら、平凡な人生よりも、悦楽の人生にしたい。
同じ連れ合いと過ごすなら、「人生なんて、まあこんなもんでしょ」じゃなくて、「最高です!」と言えるものにしたい。
同じ連れ合いと過ごすなら、必要だからしかたなく一緒にいるんじゃなくて、この人と巡り会えて幸せだなあって感じながら一緒に歩いていきたい。
どうですこれ。バッチリはまりましたね。
玄関アプローチを通路から庭へと捉え直すということは、こういうことなのです。
酒巻さんちのビフォー・アフフターを続けます。
Before 10
After 10
門扉が消えましたね。一昨日ご覧いただいた After 9 に移動したのです。
そこ理由は後日解説します。
Before 11
After 11
さあここからです。今回のリフォームで、一番のキモがこの先にあります。



鮎は清流を好み、激流ほど泳ぎ甲斐を感じる。
若鮎のように生きよ。

尊敬する人ですかあ?(ちょっとはにかんで)北村弘です。

俺はいいけど、YAZAWAがなんて言うかな?

熊ん蜂は力学的には絶対に飛べない体型だそうです。
でもちゃんと飛んでいる。
それは、熊ん蜂が、自分が飛べない体型だということに気付いていないから。

100点は無理かもしれん。でも、MAXなら出せるやろ。

大切なのは、自分がしたいことを自分で知っているってことだよ。

旅に病んで 夢は枯れ野を駆け廻る

それは、あなたが決めることです。
家政婦のミタ

生きているということ
いま生きているということ
谷川俊太郎

本やラジオで拾っては手帳に書き留めるこういう言葉、我ながらジャンルがばらばらでおもしろいです。
いい言葉を見つけて、それを自分の燃料にしながら今日を燃焼させる。言葉を使って自家発電しているような感じです。
世に名言格言のたぐいは山ほどあります。でも、本屋さんに行ってそのコーナーで立ち読みしてみてください。そんなに燃料になる言葉って多くはないのです。
心に響く、心に薪をくべるような言葉、心のスイッチを入れてくれる言葉との出会いは貴重です。

名言集と言えば「facebook 100の言葉!」。
発売直後に売り切れになっていたのが、ようやく今日からまた本屋さんに並ぶそうです。
最近は、本はインターネットで買うもののようですが、これはぜひ本屋さんで見つけて手に取ってください。パラパラとページをめくると、この本が他の本とは違うものであることが実感できるはずですから。
何が違うのか。
他の本は文字を集めて本にしたものですが、この本は、100の活きのいい言葉を閉じ込めたおもちゃ箱なのです。
ページを開いた瞬間に、ブリキのおもちゃが動きだし、生きた言葉があなたに向かって飛び出してきますよ。
よっしゃ!これで設計に没頭できます。
今回は施工範囲が広くて長いので、全体像をイメージしていただきたく端から端まで歩きながら撮影してみました。
ザザッと並べますので、あなたのイマジネーションで、現地を歩いているように映像化してください。
今日は道路からの建物を含んだ全景と、門から入って玄関に向かうアプローチをご覧いただきます。
正面
右側から
また正面に戻って中へと進みます
塀に手前で左を向きます
今度は右を向くと、門扉があります
門扉を開いて入って行きます
そのまま進みます
さらに進みます
角を曲がって正面玄関へと続きます
今日はここまで。
明日はUターンして、庭の反対側の端まで行きます。
録画しといて早朝か夜のお楽しみになっている「若大将のゆうゆう散歩」で、加山さんが上落合の友禅染の工房に立ち寄るシーンがありました。
東京暮らしの頃の住まいと近かったので風景が懐かしかったです。
また、あの地域にそういう職人さんがいるんだなあと、ちょっと意外でした。上落合に友禅染、意外ですよね。昭和30年頃には神田川で染料を洗い流していたそうです。
その工房での染め付け作業の映像を観ながら思ったんですけど、例えば友禅染の職人さんが、仕事中に感じる悦楽ってあると思うんですね。ぼくらにはわからない、その道一筋の人だけが知る快感のようなこと。
仕上がった着物を着る人は知る由もない、作り手だけが知るよろこびみたいなことです。
作り手だけが知る悦楽があります。
友禅染に限らず、江戸切子でも、有田焼でも、ジャンルを広げれば映画や演劇でも、作り手、制作者だけが知る悦楽の瞬間があるような気がするんですね。なぜならそれ抜きには、その道一筋でやっていけないって思うんです。
何 の分野であれ、作品ができあがるまでのプロセスというのはけっこう単調なことの繰り返しなわけです。そこにご褒美のような楽しみ、それも並外れた楽しみ、 悦楽と呼べるようなものが無ければ、反復の中にそれを見出さなければ、情熱を注ぎつづけ、その技を極め継承してゆくなんてことは有り得ないと、ぼくはそう 思っています。
単純作業の繰り返しによろこびを見出せる人が、それを継続していける。
凡事徹底ということですね。
それは凡事によろこびを見出せる人だけになし得ることなのです。
これって、家事がそうですよね。掃除、洗濯、料理、洗い物・・・。
洗濯が大好きっていう奥様は、洗濯に悦楽を見出している。超一流職人の域です。
そういうものに私はなりたい。
家事となるとねえ、なかなかその域まで到達できません。
凡事徹底は凡事悦楽。
なぜそんなことを思うのかというと、庭の設計も同じだからです。単調と言えばとても単調な作業工程があって、それを日々繰り返しているのです。
家事だとついつい愚痴が出てしまうぼくですが、設計にはちゃーんとあるんですよ、その単調さの中に、悦楽の瞬間。それがあるから同じ作業を何千回繰り返しても飽きることがなく、それどころか、繰り返せば繰り返すほど、その快感、悦楽は大きくなっていきます。
ぼくが感じる、その悦楽の瞬間とは・・・。
設計している庭、それはまだこの世に出現していないわけですから仮想庭ということになりますが、ぼくはその仮想庭で腰掛けたり歩き回ったりします。それこそがぼくの悦楽の世界。
目の前の描きかけの平面図が頭の中で立体的になって、自分がその仮想空間に入り込んで、陽射しや風や花の香りまで感じることができます。
仮想庭なので、何でも自由自在です。一瞬で違う季節になったり、ビールでもワインでも、飲みたいと思えば何でも出てきます。そこでは魔法を使い放題。
もしかしたら、これがぼくの才能なのかもしれません。幼い頃からそうとう強い妄想癖がありましたから。
あるいは、この仕事にのめり込んでいくと、誰でも行き着く世界なのかもしれません。才能とかじゃなくて。まあわかりませんけど、それは間違いなく悦楽です。
悦楽、一種のトランス状態なんでしょうかね。一般的な言葉を使えば「夢中」ってことになります。
度を超した夢中状態。何度繰り返してもクラクラして、あまり深入りすると帰って来れなくなるようなドキドキ感もあります。
ほんと、クラクラしてきてドキドキしてきて、たぶんその時ぼくは口を半開きにしたまま、半笑いで作業しています。時々よだれが垂れそうになって我に返ったりしますから。
そして後日、さらなるお楽しみが待っています。
設計時にそうやってクラクラドキドキしながら歩き回った仮想庭が、現実の庭になるわけです。そこを歩くときのうれしさと不思議な感覚。
仮想庭が現実化して、そこを歩くこともまた悦楽の時なのです。
そんな前振りをしといて、では、きのうの続きです。
Uターンして、庭の反対側の端まで歩いていって振り返ります。
これとほぼ同じ景色を、設計時に何度も行ったり来たりしました。行ったり来たりを繰り返しながら、木の位置や大きさ、壁の高さ、通路のデザインなどを変更し、仕上げていきました。
そうやって思い描いた仮想庭が現実化し、そこを歩くうれしさ。
では一気にいきます。




歩くようにしてご覧いただけたでしょうか。
昨日今日と、端から端まで歩いていただいて、全体像をイメージしていただけたことと思います。
今回の施工範囲、広くて長いでしょう。
何となく、何となくですけど、プラン図よりも「フェルメール&ラブリー」な世界になっている気がしませんか?
まあ微妙なことなのでそれは置いといて、次はこの広くて長い庭を、エリア分けして解説していきます。
昨日はテミヤンのファンクラブ「Temiyan ファミリー倶楽部」の発足記念パーティー&ライブで、ホットで感動的な午後を過ごしました。
そのステキな時間のおかげで、ぼく自身が活性化し、またひたすらに庭のことを考えたくなっていますので、パーティー&ライブの様子とそこで感じたことなどは後日ということにして、今日は酒巻さんちの続きをサクサクと書きます。
いい映画を観ると仕事がしたくなる。
いかした音楽を聴くと仕事がしたくなる。
ステキな人生に触れると仕事がしたくなる。
外側から受ける良質な刺激で、自分の内側は仕事に専心したくなります。光合成みたいなもんですね。
仕事がしたい!
いい感じです。
ではいきましょう。
外構のリニューアルのポイントは、フェンスを取っ払って塀にしたことと、道路に面していた門扉の位置を変えて、正面から見えなくしたことです。
フェンスを塀にした理由は、建物に対する構えとして、フェンスだと軽すぎると感じたからです。
ブリックタイル仕上げで重量感のある建物ですから、その手前の下部分、見え方としては建物の裾部分にもっと重みやボリューム感、できることなら何らかのインパクトも欲しいと思いました。
こ れはインテリアコーディネートの基本でもあることで、天井よりも壁の方が、濃さや色合いや柄などによって存在感が強い方が落ち着くし、さらに壁よりも床に 重みがある方が落ち着きます。つまり、天井、壁、床と、下に行くほど存在感に重みや強さがある方が収まりがいいということです。まあつまり、重力の中で暮らしているのですから、頭でっかちにならない方がいいということです。
アミューズメントや店舗などのデザインでは、これを逆手に取ることで非日常を演出したりもしますが、住宅のインテリアコーディネートは、この基本を外さない方が、落ち着いて暮らせる空間が実現します。
外観的に、下に重みとインパクトが欲しい、・・・そして考えついたのが、この3枚の塀を組み合わせるというやり方です。



ドーンとした存在感の建物には、こういう3枚の組み合わせみたいな単純な仕立てがいいんです。しかもシルエットがおもしろいでしょ。この道を通る人たちの気持ちに何となく引っかかってくれるんじゃないかなあと思うのです。この「何となく」がいい。
散歩でここを通過した人が、家に帰って、夕飯食べて、テレビ観てくつろいでいるときに、ふと「何かなあ、何だか思い出せないけど、今日おもしろいものを見たような、・・・」くらいがいいんです。
毎日その道を通って散歩して一年後くらいに、「これかあ!何となく楽しい気分になったのは、この塀があるからだ」と気付く。無意識に入り込んでいって、内側から和ませるようなデザインがいいんだなあ。「オレがオレが」じゃなくて、「どうぞお先に」と道を譲るみたいなデザイン。






その一瞬の動きが、その人の気持ちを和ませます。
この微妙なことが大事。花もなく、気持ちが和むこともない玄関から入ってくる人と、ホッとしたりニヤッとしてから入ってくる人と、微妙ではありますが違うことは明らか。
第一印象、入り口でのイニシエーションみたいなことがある家と、開けっぴろげでいい気も悪い気もごちゃ混ぜで出入りしている家と、長い年月での差は大きいですよ。
玄関先で相手を和ませることで、家にはいい気が入ってきます。
ちょと外に出て、あなたの家の玄関先をチェックしてみてください。
何にもそういう仕掛けがないならまだしも、時には悪い気だけを入れちゃってるようなこともありますから、ご用心ご用心。
玄関先のどういうことがそれに当たるのかはいろいろと差し障りもありますので、興味のある方はご連絡をいただければ、個別にお教えしますよ。ざっくり言うと「受け入れ拒否をしている玄関」ということなんですけどね。
左側の花に目が行って心が和んだところで、今度は右に目をやると門扉があって、その先にはアプローチガーデンがあります。

では、門扉を開いて中へ入っていきましょう。
通路を庭に仕立て直しました。いわゆるアプローチガーデンです。
真っすぐだったレンガ通路を撤去して、自然石の乱張りを使って、S字にうねらせる園路にしました。
通路だったらまっすぐに、園路だったらうねらせて歩かせる。
ポール・マッカートニーの「長くて曲がりくねった道」という名曲があります。
曲がりくねった道に、出会いがあり、迷いや、苦しみや、発見や、感動や、そして別れもあります。まっすぐ歩かない、まっすぐに歩けないことの中に心に作用する世界があるのです。
っと、いきなり大げさなことになってしまいました。
でもこれって通路を庭にするということの本質なんです。
まっすぐ歩く通路は、安全と効率からして合理的なデザインです。でもそこには何かしらの心に作用する要素はありません。合理的な通路な訳ですから、心への作用などということは必要ないのです。
その合理的に真っすぐな通路を非合理的にうねらせ、足元に注意しないと歩けないように飛び石を使ったり、よそ見をしながら歩くとぶつかる位置に木を植えたりして歩く人の心を動かすことで、そこは通路から園路、庭になるのです。

ということはですよ、これが庭の定義の一つになりますね。
庭は合理的ではない場所。
ロング・アンド・ワインディングロード から、すごいことに気付いちゃいました。そう、庭って合理的じゃないんです。その非合理性に庭の意味がある。
そうそうこれこれ。
庭をどうしようかと相談に来られる方の多くが、庭に合理性を求めちゃってるんですよね。
雑草取りが楽なようにしたい。
手入れ要らずで腐らない人工木のウッドデッキがいい。
芝刈りしたくないので人工芝の庭にしたい。
植物の手入れは苦手なので、土がない庭がいい。
予算がないのでなるべくお金をかけたくない。
どれここれも合理的なことです。
でもでも、庭の本質が非合理的なことにあるとすると、どうなりますかね。
・・・困りましたね。
庭を何とかしたいと思いながら、合理性を追求し突き詰めていくと、結論が見えてきます。
もし暮らしに合理性を求めるなら、庭なんかに興味を持たない方がいい。
そもそも暮らすということは、もっと言えば人生とは、合理的じゃないんですから。

真っすぐな道でさみしい/種田山頭火
わかるでしょうこれ。沁みますよね。大いに曲がって歩きましょ。
山 頭火が沁みた人は、庭に思いを馳せてください。「何のこっちゃ」と思った人は、庭のことなど考えずに暮らしてください。そしてもったいないですから、間 違っても「何となく庭っぽくするために」庭にお金をかけるようなことはしない方がいいです。合理的な庭にお金を使うのは、合理的じゃありません。
雑 草取りを楽にしたいし、ガーデニングは苦手だし、芝刈りもウッドデッキの手入れもしたくないし、なるべくお金は賭けたくないという人がいるかと思うと、方 や、雑草取ったり芝刈りしたりしながらのガーデニング三昧の日々に、大きな幸せを感じている人もいて、ほんと、いろいろなんですよねえ。
あなたの幸せは合理性の中にあるのか、非合理性の中にあるのか。
どう暮らすかはあなたの選択。
どっちでもいいんです。ほんと、どちらでも、あなたが幸せを感じられる方を選べばいいんですけど、ただ、庭については、合理性だけで考えると失敗します。
庭は非合理的な場所なのですから。
ついでにもうひとつ、とても大事なことを書きます。
いくらお金をかけても、いい庭になんかなりません。
できるだけお金をかけないようにと、お金のこと気にしながら考えた庭も、いい庭にはなりません。
お金のことなどとは無関係に、ワクワクとイメージできたら、必ずいい庭になります。
わかるかなあ〜これ。
庭だけじゃないんですけどね、この法則。
一生お金お金と思って、お金に頭を押さえつけられたような人生と、お金があろうとなかろうと、いつもワクワクしている人生と、これもまたあなたの選択次第です。
お金で夢がしぼんでしまうなんて、夢に超わがままなぼくにはムリ。その夢に、どうしてもお金が必要なら、ひたすら夢に向かって稼ぎます。
まあ、ぼくの夢ってリーズナブルなものばかりなので、そういうケースって、めったにないですけどね。
昨日ご覧いただいたアプローチガーデンは、玄関から門扉へと至る範囲の庭です。
その門扉から玄関とは逆の方向にも庭スペースがあります。そしてそっちへは行く用事がありません。
さあこういうときに、そのスペースを有効に使えるかどうかが提案者の勝負所なのです。
あなたの庭、手前だけで行動が完結していませんか。庭の奥半分には何年も足を踏み入れていないとか、意識にすら入っていなということがよくあります。
広大な庭ならそんなこと考えませんが、大概の場合その広さには限りがあって、「もう少し広い庭だったらなあ」と思うものです。そう思いながら、よくよく考えると無駄にしているスペースがある。
だからぼくは、その与えられた広さを十分に活かして、その庭の魅力にしてしまいたいという気持があるのです。
「もっと広ければ」と嘆く前に、その場所の隅々まで、有効に使うことを考えてみましょう。
では、通路でもなく、そこに行く理由がないうような場所をどう機能させるのか。
いくつかの考え方があります。
1、そこに行く理由をつくる
これまで行ったことがなかったような庭の一番奥に、物置や水栓を設置することによって、そこまで行動範囲を広げる。
2、人が行くのではなく、背景として使う
手前に過ごす場所があるような場合には、その場所の演出として、雑木林にしたり塀を建てるなどし、風景を構成するためにそのスペースを使う。
3、そこに行って時間を過ごしたくなるような仕立てにする
思いっきり快適で魅力的な場所に仕立て上げて、そこに行きたくなるようにする。
4、収穫を目的にした植物を育てる場所にする
眺めやそこで過ごす楽しみではなく、果樹や野菜を育てて収穫を目指す場所として活用する。
今回の場合は3です。そこに行きたくなる、そこで過ごしたくなる場所に仕立てました。
では歩いていきます。
道路かららの入り口にあるカマボコ型の塀の裏側を通って進みます。
ちなみにこの通路は物干し場をかねています。ここなら道ゆく人から洗濯物が見えません。









その理由とは、周辺の空気感が抜群によかったから。
まず、道路が遊歩道だということがあります。クルマが通らない。
次に道路を挟んだ公共施設に植えられた木々がいい感じに茂っていて、うまく仕立てれば森の中にいるような雰囲気にできると感じたのでした。さらに、お隣さんの庭木もいい感じで迫っています。
イマジネーション!
近くに木を植えると、遠くの森を取り込めます。
たった1本の木を植えることで、あなたはその背後にある森の所有者になれるのです。
そしてもうひとつ、海っぽさを感じる。
ここは数十年前は海辺だったそうです。北原さんちみたいに、海からボートで家に入れたといいます。
そこを埋め立てて建てたのが遊歩道とその向こうの公共施設。今では海岸線はさらに遠くなって潮騒も聞こえませんが、今でも何となく海っぽい雰囲気を感じます。

海っぽさと、森にいるような木々と、これはもう少々の無理は通してでも、ここを「過ごす場所」に仕立て上げたいと、そう思ったわけです。海と森も空気感に導かれて誕生した庭、というわけです。
いつものように、目隠しと、囲炉裏と、昼寝ができるベンチと、照明器具を設置しました。
それに加えて今回意識的にやったことは、塀の外に木を植えるということでした。




実感をともなった感動があるから、想像を実現させようとするのです。
思い描いているだけでは、まだ十分の一です。
酒巻さんご夫婦も、きっとこの場所に、実感を伴った感動を感じてくださったのでしょう。
撮影に合わせて、飲み物とフルーツを用意してくださいました。

もしこの場所の感動がぼくだけのもので、お客様と共有できていなかったら、こんなことしてくださいませんからね。うれしい出来事でした。もちろん、美味しくいただきました。
もうひとつ、ご夫婦がこの場所にトキメキを感じてくださった証があります。ガラスの天板。
これは設計には入っていなくて、工事完成後に、お客様の方で設置されたものです。

我が意を得たり!うれしいお言葉でした。
今回初めて使った木があります。
アメリカデイゴ。豆科の落葉高木です。
沖縄の県花で、THE BOOM の島唄に出てくるデイゴは、これと同じく豆科デイゴ属ですが違うものだそうです。こちらのアメリカデイゴは鹿児島県の県花になっています。
まだ庭木としては見かけることがないこの木を、ぼくが初めて見たのは10年ほど前の夏でした。場所は東京ディズニーランド。
駐車場周辺の街路樹に真っ赤な花が咲いていて、それがすごく印象的で、後日調べたらこの木でした。
最近では江ノ島の参道入り口に植わっているのを発見しました。
いつか植えてみたいと思いつつ、たぶん入手が難しいんだろうなあと勝手に思い込んでいたようなところがあって、これまで設計には入れていませんでした。
そういうふうに、あまりに魅力的なものに対して、腰が引けてしまうってことがあります。
でも実際に植えてみれば、全然困難ではなく、もっと早くあちこちの庭に植えまくればよかったと思いました。
憧れが強いと、勝手にハードルを上げてしまう自分がいます。
憧れには、ストレートにアプローチしていけばいい。
案外簡単に憧れの対象を手に入れることができます。
何なんでしょうかね、自分で夢を遠ざけるような思考回路。欲しいものは素直に手中に収めればいいだけのことなのに。なんだかんだと理由を付けては夢を遠くに追いやってしまうんですよね。あるでしょ、そういうこと。
こんなことを言った人がいました。
夢はあなたから逃げない。あなたが夢から逃げているだけだ。
そういうことなんですよね。
いかんいかん、時間は限られているんだから、やりたいことは速攻やりまくる方がいいです。
話をアメリカデイゴに戻しましょう。

そしてワイルドな木肌と情熱的な真っ赤な花、言うこと無し。夏の木です。

この木を選んだ一番の理由は塩害に強いということでした。
酒巻さんちは埋め立て工事がなされる前は海岸沿いで、今は海は見えませんが、潮風は入ってきます。
門扉を入った所に植えるメインになる木は、塩に強くて、存在感があって、季節感があって、ずっとここで成長して大木になるものがいい。そう思ってあれこれ選んでいったらこれになりました。
ディズニーランドも江ノ島も海辺ですから、きっと同じ理由で植えてあるんだと思います。塩害に強い落葉樹って、他にあんまりありないんですよね。


アメリカデイゴの花言葉は「愛・夢・童心・活力」だそうです。 これもいいですね。
庭に植えたいでしょうこれ。
潮風に強いという利点が、もしかしたら「潮風がないと育たない」ということなのかもしれませんけど、・・・。ほらほら、これがいけないんですよね。勝手にハードル高くしてしまうクセ。
植えてみればいいんです。そんなこと気にしないで、いいと思ったらどんどんやってみればいい。

「愛・夢・童心・活力」、その花言葉の通りに、見ているだけでワクワクしてくる木です。
見る人に語りかけてくる木があります。無口で、こちらが話しかけても黙ったままニヤッとするくらいの木もあります。
庭木にはけっこう流行り廃りがあって、実感として、おしゃべりな木の方がいつも人気が出ます。
ジューンベリー、ドラセナ、シマトネリコ、オリーブ、エゴノキ、フラミンゴカエデ、そして今回のアメリカデイゴ。みんなにぎやかです。
無口な木もあります。無口だけど、時々味わい深いことを言う木。
ヤマボウシ、アオダモ、ヤマモミジ、ソヨゴ、ゲッケイジュ、キョウチクトウ、レモン。
無口な木、おしゃべりな木、そんな庭木の選び方もあります。
全員にぎやかだと疲れちゃうし、全員無口でも息が詰まりそうだし、組み合わせるのがいいんでしょうね。
陰と陽、賑わいと静けさ、派手と地味、強さと弱さ、そのバランスで、庭は味わいを増すのです。
そんなにたくさん木を植えるスペースがないときには、草花でも同じことが言えますので、ぜひそういう観点でアレンジしてみてください。
アメリカデイゴ以外の樹木です。
アプローチガーデンにオリーブを2本植えました
オリーブ
オリーブもアメリカデイゴと同じく潮風に強い木です。
自家受粉しないとされていて、実を楽しむためにはこのように複数植える必要があります。
モミジ
この3本のモミジは、もともと植わっていたものです。
分類的には塩害に強い木には入っていないモミジですが、何年もここで育っていたということは、そこそこ大丈夫なんだと思います。
ドラセナ
これは絶対大丈夫。海沿いの庭に必ず植えてあるものです。
次のソテツも同じくです。

ソヨゴ
常緑樹は比較的塩には強いです。特にこのソヨゴのように、厚くて艶のある葉っぱ(照葉樹)は塩水をはじくので、かなり海沿いでも元気に育っています。
常緑ヤマボウシ
この常緑のヤマボウシも照葉樹なので大丈夫です。
塩害って、主に葉っぱへのダメージなんですよね。落葉樹の葉はやわらかいので、塩混じりの雨が当たるとすぐに茶色に変色します。
たまにならまたすぐに回復しますが、それが繰り返されると枯れてしまいます。
さあここまでは、どれもこれも問題無し。次が問題あり。
ジューンベリー
完全に塩害対象木です。
それを百も承知で植えました。
それでもこの場所に植えてみたい木でした。実際わからないですからね、植えてみないと。植物って、その場の条件にけっこう馴染んだりしますから。
もしダメだったら違う木に植え替えます。
今のところ大丈夫そうです。
昨日ご覧いただいた庭木によって、庭周辺の緑濃い環境を庭に取り込むことができました。

高台にあるような見晴らしのいい庭なら、遠景の森や山並みを楽しみながら過ごすことは容易にできますし、それを目指した庭づくりをします。
でも一般的には平らな宅地に家が並んでいますので、周囲の木々のことよりも、どうやって目隠しをするかということの方に意識が行って、なかなか街路樹や隣家の庭の木のことまでは考えが広がらないのではないでしょうか。

「過ごす庭」の場合、目隠しは絶対的に必要な要素ですから、周辺の木々を眺めることよりも優先して考えるべきです。目隠しの設定が中途半端になると、結局はそこでステキな時間を過ごすことができなくなってしまいますから。
そうなったら周囲の木々が気持ちよく眺められたとしても、その庭の本来の役割りが消えてしまっているのであまり意味がありませんよね。
庭のまわりが緑濃い公園や別荘地の雑木林であっても同じです。目隠しが必要な部分には、景色を犠牲にしてでも目隠しをするべきなのです。
「過ごす庭」では、周囲の景色を眺めることよりも、目隠しを優先して考えた方がいい。

まあ理屈としてはそうことですが、実際にどこまでの目隠しが必要なのかを入念に考えると、それぼど多くの面積を隠さなければならないということはないのです。
目 隠しというと、庭の外周をぐるっと一律に隠そうとしがちですけど、そうじゃなくて、過ごす場所をハッキリさせて、そこに腰掛けて過ごすときにだけ必要な目 隠しの高さと幅と強さを考えれば、目隠ししつつ周辺の景色や森の雰囲気を感じることはできます。必ず方法はあるのです。
目隠しと見晴らしとを両立させることを、入念に考えていけば、いくらでも方法は見つかります。
隠すべきところはしっかりと隠す。でもそれは必要最低限度にすることです。

そのことを基本としつつ、居心地を考慮しながら場を構成し、その立地の魅力を最大限活かす庭をイメージしていってください。

そもそも庭が室内と違う点、庭の最大の魅力は「外にある」ということです。
庭とその周辺との関係性をどう整えるかによって、庭の価値は大きく違ってきます。
庭を考えるときに、目隠しと見晴らしのバランスをどう設定するかが基本的かつ重要なポイント。
毎日庭を設計しながら、ぼくにとって基本中の基本となっているこのことが、世の中ではまだあまり重要視されていないようです。いつもすごく残念に思っていることです。

あなたの庭はどうでしょうか。目隠しと見晴らしの具合を確認してみてください。
それがうまくいっていないと、なかなか庭を楽しい場所にはできません。
隠すべきところはちゃんと隠して、同時に周囲のいい感じをできるだけ取り込んで、室内では味わえない、外ならではの満ち足りた時間を味わえる庭を目指しましょう。
さっきパソコン開いて、何気なく昨日の記事を読み返して思ったんですけど、・・・暑苦しいですよね。
この時期、みなさんクラクラになりながら暑さの中で頑張っているってのに、そんなときに「美的感受性」とか言われてもねえ。
お客様と話していても、時々思います。ぼくって暑苦しい。
庭意外のことについてはいたってノンキに、基本ボーッとしているんですけどねえ。
さあてと、今日はどうしましょうか。引き続き暑苦しい話題ってのもありですよね、暑いときに熱いお茶を飲むみたいな。
いや、やめときましょう。ぼく自身が自分の話で熱中症になりそうですから。
では引き続き酒巻さんちの草花をご覧いただきながら、今日は「風」のことを書くことにします。

昨年の夏、わが家ではエアコンを2回だけ使いました。震災後の節電の夏、妻と、なんとかエアコン使わずに乗り切ろうと頑張ったんですが、2回だけ我慢できずにスイッチオン。
その2回は、どちらも空気が全く動かない完全無風の日でした。
思い出しても辛い、あの温水プールの水中にいるような、ドップリと重たい暑さ。

2回以外はエアコンなし。風がある日は、室内に風が通るように工夫すれば、かえってエアコン使わない方が気持ちよく体調もいいことを実感した夏。楽なんですよね、多少の暑さを感じつつ、自然の風で涼を取る方が。
そうそう何年ぶりかで扇風機は買いました。
毎日庭に出ているので蚊取り線香は使いまくりで、その香りと扇風機と自然の風で過ごしていたら、そうめんがやたらにおいしく感じたことを思い出します。もう気分は昭和時代です。
もともと昭和にできあがった身体ですから、体調はすこぶるよかったです。

アフリカ人は、いい風が吹く場所を見つけて家を建てる。
これはアフリカとの貿易をしていたお客様からうかがった話です。
納得。日本も温暖化でアフリカ並の気候になりつつありますから、これからは「いい風が吹く場所」が土地選びの基準になっていくかもしれませんね。

横浜一帯はあまり意識して風を探さなくても、どこでもいい風が吹きます。天気予報で東京よりも常に2°ほど気温が低いのはそのためです。
生まれも育ちも横浜だと感じないことかもしれません、毎日吹いているこ風のありがたさ。ぼくのように東京から横浜に移り住んだ者には、そのことが実感できます。風に向かって手を合わせたいほどありがたく感じています。
いい風が吹く場所には幸せな暮らしがある。
これは当時思ったこと。
東京の朝からクラクラする暑さ、本気で熱中症対策をしないと生息できないようなあの日々から、いつも海や森からの風が吹いている横浜に来れたことを、人生上のすごい幸運に感じたものです。

夏、最も風の恩恵を感じるのが夜の庭。
昨夜も、ちょっとウットリしてしまうほどいい風が吹いていました。
日中の灼熱で疲労した全身の毛穴から、悪いものがすべて吸い出されていくような心地よさ。
もしあなたが、夜、庭に出て過ごすことがないとすると、それはもったいなさ過ぎです。
夕食後に庭に出て、風を感じてみてください。
蚊取り線香焚いて、冷たい飲み物を用意して、できるだけ楽な恰好で庭の椅子に腰掛けて、しばし本でも読んでみてください。生き返りますよ。

夏の夜風を全身で感じていると、暑かった今日いち日がドラマの回想シーンのように巡ってきます。「ナイスファイト!よくがんばったなあ」と自分をほめたくなります。
夏の夜風に癒されると、いち日がドラマチックによみがえってきます。
自分が主人公だということに気付くことができます。
それを習慣にすれば、あなたの人生は、まるで映画のように感動的に展開していきます。
ちょっとナルっぽい話ですけど、ぼくは大好きなんですねそういう感じ。いいんじゃないかなあ、みんなナルシストになれば。
まぎれもなく、あなたの人生の主役は、あなた。
なんですから。

まあそんな感じで小一時間、夜の庭を楽しむことでが、ぼくの大きなお楽しみになっています。
今日もそのお楽しみの時間まで、大汗かきながら突っ走ります。
連日の夏日で庭木が傷みはじめています。
草花は水が切れるとしおれてアピールしてくれますが、樹木はほとんど変化せずに、ある日突然立ち枯れしますので、要注意です。
土の表面だけじゃなくて、地中で木の根っこがどこまで伸びているかを予想して、そのラインに溝を掘ってお堀に水をためるようにするといいですよ。
特に植えて数年の落葉樹には、朝か夕方にタップリと散水してください。日中はダメですよ、水をためると熱湯になっちゃいますから。
では、酒巻さんちの草花をご覧いただきながら、徒然なるままに。

ぼくは夏が大好きなので、身体はいたって好調です。日に当たると光合成するタイプなのです。
でもさすがに、あまりの暑さで思考の方はギリギリです。
設計中の庭に集中して、お客様との打合せでその庭に集中して、家に帰ると頭は抜け殻のようになっています。
暑さってのは思考のリミットを下げますね。

帰宅後、とにかくビールで水分補給してから思いっきり楽な恰好に着替えして、涼しい風が吹く庭に出て、ようやく頭が正気に戻れます。
暑かった日の夕暮れの庭、いい感じなんですよねえ。プールからの帰り道みたいな、宙に浮いているような、全身リラックス状態に入ります。そしてビールをもう一杯。

これは自慢なんですけどね、うちの庭から江ノ島の灯台が見えるんですよ。暗くなると、遠くの山陰ギリギリに、10秒ごとにピカーッと光ります。
その方向から吹く夜風が、もう最高に気持ちいい。気分は江ノ島の海の家。

最 近妻が、なぜか料理に凝り出しまして、野菜中心の夏メニューを作ってくれます。酸味のあるナスの煮付けとか、カボチャを素揚げにしてから煮たのとか、なか なかのものです。それをおいしくいただいて、ワインもちょうどよくいただきながら録画しといた「若大将のゆうゆう散歩」を観て、それから庭のテーブルでパ ソコン開いて、ブログの原稿書きに入ります。
満ち足りた時間とはこのこと。
これを体感してしまうと、庭なしの暮らしは、ちょっと無理かなあ。
しあわせだなあ〜って感じです。

春はバラ、夏は夜風、秋は虫の声、冬は澄んだ空気、一年中庭に魅了されっぱなし。
四季があるからいいんでしょうね。
新緑、植替え、バラ、芝刈り、梅雨、野菜、蚊取り線香、夕立ち、夜風、お月見、虫の音、落葉、雪、春を待つ気持ち。
冬は寒くて、庭にいるのは10分が限界という日もありますが、その分春や夏のうれしさを感じることができます。

庭があると、季節のコントラストが鮮明に感じられます。
毎日庭に出ていると、毎日「生きてるんだよなあ」って感じられます。
そういう場所が暮らしの中にあるって、どうです、いいなあって思うでしょ。マジ、人生が濃くなりますよ。

蚊がいるから、暑いから庭に出ないというあなたに、いいことをお教えしまーす。これは、目からウロコかもしれません。
蚊がいるから、暑いから、庭はあなたに作用して、あなたの毎日を豊かにしてくれるのです。
蚊もいない、暑くも寒くもない庭なんて、世界中探したってないですよ。でしょ。
蚊がいて、暑かったり寒かったり、雑草生えたりするから庭。庭は自然の一部なんですから。
ということは、庭が嫌いって、それは、地球が嫌いってことでしょ。
極論?でもそうでしょ。そうなりますよね。うん、なるなる、そうなります。

地球人なのに地球が嫌いって、いかんなあ。
夏は暑さを楽しんで、冬は寒さを楽しんで、春も秋も思いっきり庭を楽しんで、立派な地球人になりましょう。

蚊が、蚊が、・・・。蚊ごときで庭に出ないなんて、あまりにもったいないです。
蚊取り線香焚いて、虫よけスプレー噴射して、蚊から庭を奪還して、夏の夜風を感じる至福の時を過ごしてくださいね。しあわせだなあ〜って。
夕涼み よくぞ地球に生まれける
です。
数日ぶりに酒巻さんちのご紹介です。
えーっと、前回までの数回は、庭の草花をご覧いただきながら徒然なるままに書いていたんでしたね。
そうそう、「夕涼み よくぞ地球に生まれける」でした。
庭は暑いし蚊はいるし、でもだからこそ、庭があなたに作用してあなたの毎日を豊かにしてくれるのだということを書きました。
うん、思い出した思い出した。そういう話でした。
せっかく暑いんですから、せっかく蚊がいる夏なんですから、シュシュッと虫除けスプレーして庭に出ましょう。
レノンの庭で、設計の合間の気分転換に、庭に出ては雑草取ってます。
15分ほどで大汗かいて、Tシャツ着替えてまた設計。気持ちいいですよー。勢いがつきます。
ところで、ここ数回の酒巻さんちの草花、どれも地味目でしたよね。
それには理由があります。
一般的に庭って、敷地の南側にあります。でもこの庭は北にあります。
なぜならこの庭スペース、裏木戸へのアプローチなのです。
建物の反対側、南側に大通りがあって、そっちがメインの玄関と駐車場がある立派な門構えの外構。しかしそちら側には庭スペースは確保されていません。
それに対してこっち、北側は、ゆったりとした庭をつくれる広さと、道路は遊歩道で緑も多いという好条件。それでここに庭が誕生しました。
ただし日当りがよくないので、日陰に耐える草花ばかりをうえることとなり、花の写真が地味目になったというわけです。



実際に庭が完成してみると、予想していたよりも光が入るので、そんなに気にすることなかったかなあとちょっと反省しています。北側の庭ということを意識し過ぎました。
まあこれから、奥様がどんどんいろんなのを植えてくださることでしょう。そうやって楽しんでいるうちに、この場に合った草花が優勢になっていって、もっとにぎやかな植栽になっていくと思います。
ってね、こういう感じでいいんですよ。
もしも庭の草花がイメージと違っていても、ぜんぜん平気です。庭って変化させていく場所なんですから。
「イメージと違う」ということだけを持ち続けて変化させていけば、そのうち劇的に、あなたのイメージの世界が出現します。
ただし、それもまた変化していくんですけどね。
庭に、絵を描くように植栽を施してください。
でもそれは、カンバスに描くのではなくて、動画。映画のシーンのように捉えるといい。
春夏秋冬でシーンが変わり、登場人物の心のありようでシーンが変わる。
そんなイメージで。
庭は変化する場所、変化させいく場所と捉えれば、草花の様子にいちいちがっかりしたり、落ち込むことはなくなります。
これって庭だけじゃなくて、仕事の成果や人間関係にも言えることですよね。
すべては流動的なんだから、立ち止まらないことが肝要。
庭も人も、サラサラと淀むことなく流れるイメージで。
落ち込んでる暇があったら、先へと歩を進めるのです。
ぼくが知る「庭達人」って、みんなそういうタイプなんですよね。庭が教えてくれるんじゃないかなあ、そういうこと。毎日庭に出ていると、庭に、そういうリズムに調整してもらえる。
うん、あるなあこれ。
では、今日は南側に回り込んで、もっと鮮やかな花をご覧いただきます。玄関先のプランターです。


特にここは玄関先ですから、こういう派手なのがいいですね。気持ちが華やぎます。


何かのお祝いで花を贈って、そこに笑顔があふれる。いいんだなあ。でも、・・・何で花なんでしょう。花って不思議です。人を笑顔にします。
何で花は人の気持ちに作用してくるんでしょう。
虫にならわかるけど、人間を誘惑したって何もいいことないと思うんですが。もしかしたら、ぼくらの感性の半分くらいは虫的なのかもしれません。あるいはすべての生物が、花に惹かれる感覚を持っているのかもしれません。何たって(村上和雄教授によると)ぼくらと草花とミミズと、遺伝子構造はほとんど同じだといいますから。
ということはですよ、うちのノア(ワイヤーダックス♀)やミー(キジトラ♂)も、花に心奪われてるってことになります。
有り得ます。時々雰囲気を出しながら、ジッと花を見つめていますから。
だとするとですよ、花はすべての植物の頂点に位置する存在なのかもしれません。
これも有り得る。
地球上の生物が吐き出す二酸化炭素を一手に引き受けているのは、植物なんですからね。
視点を変えれば、植物が霊長類。
あらゆる生物の命を支えていて、さらに、その生物たちのハートをつかむ魅力を持っている。植物が、地球上でもっとも生存能力が高く支配的立場にある種族ってことになります。
人間ですか?地球上に一番遅く現れて、偶然一時的に繁栄して、いい気になって暴れている若造ってとこかなあ。
もしそうなら、ぼくら人間は、そのうち痛い目に合いますよね。それが世の中ってものです。
・・・そのうちじゃないくて、もうそうなりはじめていますよね。
今日は話が転がるなあ。転がり過ぎて、ついつい話があらぬ方向へ向かってしまいました。酒巻さんちの花のことに戻ります。
玄関先の鮮やかな花を撮っていたら、奥様が「中もご覧になって。花がいっぱいあるんですよ」と。
促されて玄関を入って室内へ。そこは音楽教室をかねた、コンサートホールもかねた部屋でした。



遅すぎですよね。まったくお粗末な展開でした。
自分にとっての理想の暮らしをシーンとして思い描いて、それを実現させてゆく奥様の想像力&想像力、ため息まじりに、尊敬し憧れました。
イメージできればできたも同然。
イメージしてそれを持ち続けていたら、大概のことは実現します。
ぼくは、毎日庭をイメージしてはそれが現実の庭になるということを繰り返しているので、イメージ→実現、イメージ→実現が、日常的なことに感じられるようになっています。イメージ→実現がルーティン。いいでしょこういう仕事。
イマジネーション豊かに、花に囲まれながら暮らす人。
そういう人たちとの出会いに刺激されながら、庭で大汗かいて暑さと蚊にも刺激されながら、さっ、今日も設計設計。
「幸せへの扉」のリライトをイントロダクションから8まで書きました。
さっそくたくさんの方から好評をいただきまして、facebook では「いいね!」が日増しに増えていて、有頂天になっています。
そう、ぼくはすぐにいい気になるタイプ。
いい気になるといい気が出る。
いいんです。いい気になって、思いっきりいい気を出して、それが推進力になるのですから。まあ時々いい気になり過ぎて転けるのも、ご愛嬌ということで。
ルーティンであるお庭の紹介もやりたいし、その他の話題も書きたいしで、できることならいち日に10回アップしたいです。
でも、それやり出したら設計が・・・。そうじゃなくても上がりが遅いと社内から非難囂々だし、首を伸ばし切ってお待ちいただいているお客樣方に申し訳なさすぎるので、グッとこらえて、いち日1回のペースを守りながら進めます。
というわけで、今日は久々、酒巻さんちの庭をご覧いただきます。
庭といっても、今日は庭は出てきません。
まずはこれ。玄関側の通路に置いてあった椅子です。

ところが、これ、ご主人がつくったものだそうです。椅子をつくるって、建築家がよくやりますよね。フランク・ロイド・ライトとか。
クリエイティブな人にとって、椅子って魅力的なんでしょうね。
詳しくお訊きする機会がなかったんですが、ご主人もものづくりの工場を経営されているそうですので、きっとライトのように、椅子にときめいたのでしょう。それにしても、実に見事な出来映えです。 日曜大工の域は遥かに越えています。奥様とその話しをしていたら、「部屋の中には自転車が置いておるんですよ。それも主人作」。
さっそくそれを拝見するため、部屋へと入って行きました。
「フェルメール&ラブリー」な部屋の一番奥、ピアノの脇に買い物かご付きの自転車(三輪車)がありました。

実用的なかご付き3輪ママチャリなのは、きっと奥様が乗ることを想定して制作したのでしょう。
わかるんだよなあ、その感じ。男ってそういうものなんですよねえ。たいがいの男は、四六時中、女房がよろこぶ顔を思い浮かべながら過ごしているのです。奥樣方、これ、ホントですよ。
家では無口で、口べたで、仏頂面しているご主人は、実はあなたの笑顔が何よりもうれしいのです。ぼくから、すべての奥樣方にお願い。
夫婦も年季が入ってくると、不満もあるでしょうし、口をついて出る愚痴や文句もわかりますけど、ご主人に、笑顔のプレゼントを欠かさないでくださいね。
なんだかんだ言って、いつもとなりで、あなたの笑顔を楽しみにしている人なんですから。他にいないでしょそんな存在。
えっ、子どもがいるって!?そんなもんね、あーた、彼氏や彼女ができたら、よその星の人くらい遠い存在になりますよ。いやほんと、そんなもんですって。
その日がきて、ふと、連れ合いとふたりっきりなことに気付く。
ふたりっきりの暮らしがやって来たとき、お互いの顔のしわが、眉間にあるのか目尻にあるのかが問題。
それが、その後の人生の幸福度を決める、大事な大事なポイントなのですよ。
椅子、自転車、ご主人の手作りコレクションに見とれていたら、奥様が「洗面室には私のコレクションがあるのよ。見て見て」と。
そこはピーターラビットの世界でした。
楽しい!
ステキなご夫婦です。
さらにさらに、茶室の水屋に器のコレクションが。
暮らしを楽しく組み立てる能力って、あるんですよねえ。
椅子や自転車を手作りしたくなるご主人の創造欲、奥様が夢の世界を具現化させた洗面室、趣味を楽しむうちに増えていった茶器、どれもこれも、おふたりの笑顔の時間が積み重なったものです。
いいんだなあこういうご夫婦、こういう暮らし。
楽しさの中に、何とも言えない暖かい味わいがあります。
いろんなことを乗り越えながら、おふたりで幸せを紡いできたんだなあと感じました。
コレクションは、幸せな時間を紡いだタペストリー。
これまでたくさんのお宅で、様々なコレクションを拝見してきました。
ミニチュアボトル、絵画、クリスマスの小物、写真、レコード、DVD、木彫、焼き物、 旅の思い出の品々・・・。
幸せな時間が積み重なった家、暮らし、それを体感できることも、この仕事のうれしいところです。
出会いの数だけ幸せがある。ガーデンデザイナーは、幸せコレクター。
ってところですね。有り難し!
ズ〜〜〜〜ッと空いてしまいました。酒巻さんちの庭です(最終)。
夜の部の撮影にうかがうと、うれしいことにご夫婦でバーベキューの支度をしてくださいました。
「なんだ、あんただけなの?お姉ちゃん(担当スタッフの曽谷)とか職人さんたちとか、みんな連れてくればよかったのに」とご主人。
何だか知らないうちにそんな話が進行していたらしく、ぼくひとりでポツンとおじゃましてしまって、申し訳なかったです。
奥様の手作りオードブルに加えて、ご主人が仕事帰りにコストコで買ってきてくださった大量の食材。ピザも超大判です。
メンバーは、ぼくとご夫婦の3人ですから、こりゃあ食べ放題だ!と空腹感が加速。
辺りは薄暗くなってきて、照明が灯って、いい感じになってきました。
準備完了!空腹最高潮!大人3人バーベキューの始まり始まり。
とりあえず、網に肉乗っけて。カンパーイ!

肉、肉、ピザ、肉、野菜、肉、ピザ、肉、肉と食べたところで、ようやくお腹が落ち着きました。
うまいうまい!
ご主人曰く「いやあこんなになるなんてねえ、おどろきだよ。前のままだったらこの場所にも来ないもんねえ」。
では、もう一度、この場所のビフォー・アフターを。
Before
After
ご主人のおっしゃる通り、ほんと、いい場所ができました。
いつものように大勢でワイワイやるのもいいし、こんなふうに夫婦で火を囲むってのも、またいいものです。
ご主人は加山雄三ファン。
若大将世代の方って、共通して、「夢を追いながら、人生を楽しみ尽くす」というマインドをお持ちですよね。それと奥様を大切にする。
ご主人、加山さんと雰囲気ダブってます。
「フェンルメール&ラブリー」な奥様は、音楽家。
好きなこと、興味を持ったことにドップリと入り込むタイプ。
おだやかな暮らしの中に、少女のままの好奇心でトキメキを見つけてはそれを楽しんでいる。ちょっと浮世離れしているような、とてもうらやましい思考をお持ちの方です。



酒巻さんち、いい味出してるご夫婦でした。
そして庭もまた、設計時はイメージしていなかった、いい味が出ました。
庭と人生には、相乗効果があります。
いい夫婦、いい人生、いい庭。
また一組、目標とするご夫婦と知り合えました。