ナニワイバラ
ご近所に、見事なナニワイバラが咲いています。


ナニワイバラ(難波薔薇)は中国渡来の原種のバラで、関西から全国に広まったことからそう呼ばれるようになったそうです。モッコウバラと競い合うように、盛大に開花する白い大輪群が清々しく、これから始まる薔薇の季節のファンファーレみたいで、そのお宅の前を通る度に気分が晴れやかに上向きます。


驚くのは誘引のうまさ。旺盛に伸びるシュートを丁寧に寝かせて編むように広げています。これはバラの特性である、枝を水平にすると花数が増えるということをご存知で、このように敷地の外周全体が白い花で覆われることをイメージしながら、何年にも渡って、絵を描くが如く枝を配置してきたことで実現している風景。ダ・ヴィンチが薄絵の具で、何年もかけてモナリザの表情を重ね塗りしたことに似ています。


ローマはいち日にしてならず、で、美しき庭風景は完成形へと向かう日々の営み。つまり暮らし方が投影されるものなのです。ぼくが提供する庭は、その時点ではうっとりする、あるいはワクワクする完成形でありつつも、実は未完のカンヴァス。そこに笑顔が溢れる、幸福な庭のある暮らしを日々実践する、ダ・ヴィンチ役はお客様。花咲く庭でもっともっとと、百花繚乱へ向かって庭仕事を積み重ねてゆくその暮らしぶりこそが、庭を美しく仕立て上げるのであります。


花の数と幸せは比例する。ただしその花々はすぐに消えてゆく。このナニワイバラも半月ほどで儚く花を終えてしまい、道行く人は盛大だった風景など忘れて通り過ぎてゆく。ところがそこから、こちらの奥様にとっての素敵な時間が始まります。来年の開花へ向けて、雑草を抜き、肥料を施し、枝を引っ張って整える。花いっぱいの近未来に向かって地道な庭仕事に汗を流す、その時間の中にある人生の充実感が、ガーデニングの本質的な魅力なのです。


庭屋のぼくとしては、そういう心持ち、暮らし方、庭の捉え方に感動するのですよ。出来そうでできない、わかっているけどなかなか辿り着けないその世界に咲く花々が、大袈裟ではなく、日々の指針を見る思いなのです。


戯れに、ナニワイバラを詠んだ俳句と短歌を検索してみました。
染まらざる 難波薔薇の心意気 演歌浪人
垣飾る 難波薔薇の純白よ 人も汚れぬ心持ちたし 演歌浪人
風にそう 花に酔いしれナニワイバラ みのり
北新地 難波薔薇を活ける店 ワシモ
清純なナニワイバラも棘持ちて 老いてこそ勉強
花言葉は「純粋な愛」だそうな。たまたま付いた「難波」から、関西人が持つ熱烈なる純粋さと申しましょうか、棘を持つ清純さと言いますか、そんな印象を受けるのは、鬼女房が関西人だからかもしれません。ある朝突然満開となって驚かせたかと思うと、勢いが尽きたらあっけなく、一夜にして萎れて消える、我が女房に似た白い花。ったく、関西女性はエネルギーを放出するバルブがいかれているらしく、何をやっても、いかにもバランスが悪いのですよ。しか〜し、そこに惹かれて、萎れそうな時に自分が役に立てるに違いないと思って、ついうっかり一つ屋根の下。おかげでここまで劇的で、エキサイティングな人生を過ごすことができました。純粋なナニワイバラも棘持ちて vs 風にそう花に酔いしれナニワイバラ。女房共々63となりまして、これからは、お互いに、垣飾る難波薔薇の純白よ、人も汚れぬ心持ちたし。