美空の七五三
孫の七五三だなんて、そこまで長生きするなんて、長生きはしてもそのような幸せなお爺さんの役回りをやらせていただけるなんて、想像したことはなかった気がします。ありがたい、本当にありがたい。
こうして節目節目に声をかけてくれる娘夫婦に感謝です。
そして節目節目に、孫の成長の早さに驚くばかりでありまして、つまりそれだけ自分の寿命終了までが加速していることを感じます。
なぜ1年がこんなにも短く感じるのかという『加齢加速問題』につきましては時計遺伝子の老化だとか、ボケと同じで辛さから逃れる思考回路がそうさせるのだとか、諸説ありますが、代表的にはこれ。
3歳児の1年は経験を分母とすれば3年分の1年だから1÷3で0.333、30歳の1年は1÷30だから0.033、ぼくは60ですから0.016。なてこった、美空は今日1日の実感をぼくの20倍感じていて、ぼくは美空の20倍速で今日を過ごしているということに・・・。
さて、ではどうするか、っていつも考えて、結論は疲れを知らない子どものように未経験を増やす(チャレンジする)、味わい深く濃密な時間を心がける、など。
でもね、内心わかっているのですよ、この加齢加速が自然な状態なんだと。
ジタバタせずに、見事に紅葉し潔く落葉することが年寄りの務めである、のである、である。
実際ぼくの祖父母や身近だった年寄りたちは全員美しく散りましたしね。晩節を汚すことなかれ、それが当たり前のことなんだという認識を得られていることは、その方々のおかげだと思っているのです。
当たり前に生きて、当たり前に幸福な時を過ごし、当たり前に終える。
妙に気負わず、変に力まず、飯を食ったら茶碗を洗うように、芝が伸びたら刈るように、当たり前に家族を愛し、当たり前に感謝を伝え、当たり前に笑い合う。当たり前とは偉大なり。
手前味噌ながらとてもいい感じに成長しています、孫も、娘夫婦も。すっごく当たり前に。
みちょ、無事七五三を迎えられてよかったね。おめでとうね。
次のお楽しみはクリスマスパーティーだ。