新緑の季節。
種田山頭火は「分け入っても分け入っても青い山」と詠みました。行けども行けども鬱蒼とした植物が立ち塞がり、時に根っこや蔓に足を取られながら歩を進める山道を、彼は涅槃への道程と捉えたのでしょう。世の中に満ち満ちている命たちの力に圧倒されそうな、か弱く情けない自分を励ましたのです。こんなどうしようもない自分であっても、負けてなるものか、負けるわけにはいかないのだ、と。
一般的にこの句は、酔うほどに瑞々しい山の息吹でエナジーチャージをし、山頂を目指す、清々しい励ましの言葉と解釈されているようで、実際にぼくもそうでした。ところが山頭火の事情を知れば真逆なのです。生い立ちと忌まわしき過去の呪縛をどうにもできず、酒に溺れ、友もなく、誰に喜んでもらうことも、自分で自分を褒めることもできずに、こじき同然のみすぼらしい姿であてどなく彷徨っている自分。そんな虫ケラ同然の自分が、他にどうすることもできずにただただ息をしている。本当はもう死んでしまいたい、楽になりたいともがき苦しみながらも「それでも歩くしかないでしょ」と、そういう嘆きとも、踏ん張りともつかない叫び声、あるいは深いため息の描写だということがわかります。