今から遡ること1000年、保元の乱・平治の乱と国の統治が揺らぎ争いが絶えない平安時代、当時の最高権威者であった白河天皇(第72代)は、こう嘆いたそうな。
思い通りにならないものは、鴨川の水、双六の賽の目、山法師。
鴨川の水は自然災害、双六のサイコロは運、そして最後の山法師とは比叡山延暦寺の僧兵を指します。
比叡山とは弘法大師空海のライバルだった最澄が修行中に開いた道場で、そこは後の仏教形態を形作る名僧を多数輩出した、お寺というよりも、今で言ったら東大か京大の大学院ような、宗派に関わらず仏門を志す者たちが仏教哲学を思索し、実践する場所でした。
空海と共に最澄が遣唐使に加わり中国から持ち帰ったのは真言密教の教えで、空海はそれをアレンジして『真言宗』を開設、天才的自己プロデュース力を駆使して一躍時の人に。片や地道な性格の最澄は、一時期、スターとなった空海に擦り寄るが無視されてしまい、止むなく比叡山にこもって山岳修行の日々。そして開眼し『臨済宗』の祖となります。