変化を恐れている場合ではないのです。
変化・美・終活
ガウラの変化

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変化しなければ滅びるのです。
シマトネリコの変化

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もとい、滅びゆくという変化も変化なので、それも恐れてはいけないのです。っていうか、恐れる必要のないことなのです(ここ数日、庭の書斎で読んでるのが『一休・骸骨/乃木 著』なもので、どうも言い回しが禅坊主っぽい)。
カボチャの変化

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まあ見てなさい、ぼくがこれから滅びの美しさをご覧にいれますから。美しく老いて、美しく燃え落ち消えてゆく。そして花いっぱいの棺に横たわる完全燃焼した美しき炭となってみせましょう(ああ、やっぱり坊主っぽい・笑)。
クレマチスの変化

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美しさとは変化を基盤にしたもので、自然界を支配する普遍にして不変の価値観でありますからにして、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行くという自然体の暮らしで老いを重ねて行くうちに、そこにどんぶらこっこと、思いもよらない美しき幸せの果実が流れ着いたのでありました。めでたしめでたし。もしもあの夫婦が不仲で不自然な暮らしをしていたなら、桃の中からは芥川版の悪童桃太郎が飛び出してきたことでしょう。
カシワバアジサイの変化

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どうもアンチエイジングという思想に抵抗感があるんですよね。それと終活。
こないだ「もう手入れは懲り懲りなので、終活で、子どもたちのために庭の木をなくして全面コンクリートにしておきたいんですけど」という相談がありまして、まあそんな考え方もあるのかなあと思いましたが、話を伺っていいたらその奥様、ぼくよりいくつかお若いんですよね。なんだかお久しぶりの黒いわふちがヒョッコリハン、つい「木を抜くよりも、気を抜かずにお子さんたちのために果樹を植えたらいかがでしょう。きっと毎年あなたのことを思い出してくれますよ」と言っちゃったんですよね。幸いにしてメタファーは伝わらなかったようで気分を害されることもなく、「果樹、ですかあ、・・・なるほどね、それもいいかもね。主人に相談してみます」と、来店時よりも5歳くらいはエイジをアンチした顔で帰って行かれました。
あのお方にとって、これまでの人生上、庭というのはただただ厄介なだけの場所だったんでしょうね。ご主人と相談されて、それでも庭をコンクリーとで埋めておきたいとなれば、ジャジャーンと白いわふちが登場し、コンクリベースで手入れ要らずの、家族全員が飛び切り楽しめる庭を提案しようと思います。