Revolution of Evolution
1963年3月、シングル曲のヒットですでに話題沸騰だったビートルズが初アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」を発売。いきなりアルバムチャートの1位となり、驚くことに30週連続でトップに君臨しました。そのお化けアルバムを首位の座から引きずり下ろしたのは、ビートルズのセカンドアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」だったそうな。
今年わが家の庭史上最高に咲いてくれたアイスバーグを眺めつつ。
4人のアイドルが活動を行なった期間は7年半、過ぎてみれば夏の夜の夢、花火のごとき一瞬の出来事のよう。そのたった7年半で彼らは音楽界だけでなく、文化や思想にまで渡る大革命を成し世界を一変させたのですから、これは神がかり的、ミューズの差配としか思えない出来事だったのです。
ぼくはかれこれ30年の長きに渡って連日庭を思い、思い描きしてきたわけですが未だ革命の「か」の字も始まってはいないわけで、そうこうしているうちに、おいおい、老い老い、気がつけば還暦間近となりにけり。
え、革命を目指していたのかって。あったぼうよ、こちとら中二病の時分から将来は革命家と決めていたんだぜ。
さてさて、いつまで経っても我が闘争に狼煙すら上がらぬ理由はどこにあるのか。自身に足らない力量やら思考やらも痛感しつつ、でもね、だったら彼らには最初からそれがあったのか。答えは否である。ではエルヴィスは、マイケルは、坂本龍馬は、チェ・ゲバラは、さらに否である。
事を成すは革命家にあらず、神の領分。湯川れい子さんはエルヴィス・オン・ステージのライナーノーツにこうのような事を書かれていたと記憶しています。
信心深く親孝行な青年と時代が交錯してスパークし、ある朝目が覚めたら天文学的な富と名声を持つ世界的なスターになっていたのです。それは神に指名されたとしか言えない出来事でした。
エルヴィスは最初から(そして最後まで)スターの要素など持ち合わせているとはとても思えない、内気で、真面目で、気のやさしい青年でした。そんな彼が母親の誕生日プレゼントにと、アルバイトで貯めたお金をポケットに突っ込んで向かった先は、当時流行っていた素人歓迎の録音スタジオ。南部の貧しい地区で育った少年が通った教会ではゴスペルソングが聖歌のスタンダードスタイルだったため、自然と身についていたその癖丸出しで録音したザッツ・オールライト・ママの風変わりな歌い方を面白がった録音技師が、担当していたラジオの深夜放送(ローカルなオールナイトニッポンみたいな)で掛けたところ「なんだあのいかれた歌い方は、黒人?白人?」「カッコイイ!お願いDJ もう一度」「こういう音楽は初めてだよ、R&B とはちょっと違うみたいだね」とリクエストが殺到し、2時間の番組内で前代未聞、十数回放送する羽目に。ロックンロール大爆発の導火線に着火された瞬間でした。
考えたら龍馬も、ゲバラも、4人のアイドルたちも、青年エルヴィス・アーロン・プレスリー と同じくただ自分らしくあった。そこに天啓が降り波乱の革命が巻き起こり、意図することないままに気がつけばその中心に置かれる運命を辿った。彼らは決してその事で幸せを掴んだわけではなく、奇跡に次ぐ奇跡と同じだけの苦労に次ぐ苦労を味わい、幾度も苦汁と煮湯を飲み込んで、さて得たものは、死後に、時が経つにつれて人々から賞賛されるという神様お得意の無慈悲なご褒美だけ。ああ神よ、と文句のひとつも言いたくなりますが、でも幸いなるかなそんな何億人にひとりに課せられる使命の指名など当方に当たるはずもなく、おかげさまで彼らよりも長生きをし大きな幸福感をプレゼントしていただいているわけです。
さて、では、ぼくが目論む庭革命はどうなるのか、このまま火の手を上げることなく人生を終えるシナリオなのか。否、否々、いだてん風に言うなら「違う!そう!」、日々思い描いてきたひとつひとつの庭によって、その家族に幸福なる革命が起こっているではないか。レヴォリューション・オブ・エヴォリューション、見慣れた庭を進化させるという革命を次々成功させているではないか。
まあ、そういう事なんですよね。今いるこの場所が、ミューズがぼくに与えたもうた有り難きニッチなのだと、さすがにこの歳になると毒気も脂っ気も抜けて、女神の粋な差配に感謝している次第なり。これが今年、ぼく自身に起こったレヴォリューション・オブ・エヴォリューションなのであります。
というわけで、来年もコツコツと小さく偉大な革命を、ひとつひとつの庭に心を込めて。