「昨日もない、明日もない、あるのは本日ただ今の自分だけ」とは京都の坊さん尾関宗園のお言葉なり。「過去にとらわれず、明日を思い悩まず、今日やるべきことに集中してたらこうなりました」と語ったのはジャパネットの高田明。「明日命が尽きるように生き、永遠に生きるがごとく学べ」はご存知マハトマ・ガンディーの託宣。
いつ咲くか
正月を越えて粘りに粘ったアイスバーグの
最後の一輪を摘んだのが3日前。
初めてジューンベリーの花にバトンを渡し、
我ながらよく頑張ったよと、
ナイスファイトだっただろと満足げでした。

そんな感慨に浸っていたら、あっと驚くタメゴロー、
今朝方、春のつぼみが開花。
え!も、も、もしかして休眠期なし?

うちのバラたちは、
昨年の塩害によって性格が逞しくなったようです。

「平成最後の祭り」華やかなる今日この頃、
平成最後の庭の思い出。
分譲開始から30年と年期が入った住宅地、若者は熟年となり、熟年は老年となり、たくましく成長を遂げた街路樹と対照的に、家々の庭は、心なしか色を失っているような気が。歳を重ねるとは色褪せることなのかと、かつてのその街の活気を知る身なれば少々気落ちしてしまうのでした。
う〜ん、それぞれの人が、各々の家庭が様々な出来事を通り越してきたんだろうなあと、当たり前のことを思いつつ、故にいつまでも若者のパワーを保持することは難しいんだろうなあと。されど中にはかつてなど比べ物にならないほど花いっぱいに眩く光を放つ庭もあるわけで、はてさてこの違いはいかな理由によるものかと。

悩み多き沈黙の庭が続く道を歩いていたら、遠くから何やら楽しげな女子会らしき歓声が。近づいて道路から覗いてみたら、そこは10年前に知り合ったお客様の庭でした。ガーデニング達人の奥様のもとに数人のお友達が集まって「寄せ植え教室」の真っ最中で、「あらあいわふちさん、お久しぶりー。おやまあ相変わらずお若いですねえ」と嬉しいお言葉を頂戴しました。若い?若いかなあ、よく言われるからきっとそうなのでしょう。でも、その奥さまの笑顔こそ10年前と少しも変わることなく輝いていて、そこに集った人たちの表情も春爛漫で、そんな光景に出会えた偶然によって掬い上げられた気分となりまして、天にましますシナリオライター殿に感謝した次第です。

何を信条とし、どのように暮らせば、10年経てば10年分の成長を遂げる逞しき庭を実現できるのか。そんな幸福論的哲学論の結論は導きだけせないながら、庭の様子がその人の状態を客観的にジャッジしていることは確かなわけで、であるならお若いご夫婦への設計に、10年、20年先まで見越した幸福論的哲学的庭論を詰め込んだ設計をせねばと。ぼくが消滅した後も美しき成長を続ける庭をと、気まぐれに、戯れに年寄じみるわけではなく、それが庭設計の本分であると今更ながら。

歳は取ってみるものですね。行く先々で、行かねばわからなかったであろうことばかりです。ジャパネットイズムに従い「今日に集中」しつつ、昨日の相談会初日は花冷えを通り越した氷雨降る静かな出だしで、おかげで設計作業がはかどりましたがやや不満というか物足りなかったというか。帰宅し庭に出たらゴージャスなるライムの花の香にうっとり、バラも始まり、わが家の庭は元気に今日を過ごしたんだなあと、その淡々と咲く様に「ありがとね」と花たちを擬人化して独り言ち。「数時間で今日は昨日になり、明日が今日になったらまた新鮮な気持ちで咲きましょう」と締めくくったところでメラトニンが噴出し、幸福なる意識不明に陥ったのでありました。

一夜が明け、今日は連休中で最高の晴れとなる予報。では張り切って、『昨日は「咲いた」、明日は「咲け」、咲くのはいつも今日の出来事』のココロだ〜。


