今日からご紹介する石丸さんちの庭は、ご主人の、家族への思いから始まりました。すべての庭がそういう誰かの何らかの思いによって生まれるものなんですね。
そのご主人の思いにぼくが引き寄せられて、そして共鳴が起こってできあがったカタチ、そんな庭です。
この場所、どうですかねえ、一般的にはこの通路に「庭」をイメージできないのではないでしょうか。
お隣りの宅地が1メートル高くて、奥は3メートル以上のコンクリートブロック。リビングの外は幅1メートル40センチです。メジャーが近くにある方は計ってみてください、1メートル40センチ。
奥に進んで、和室前はやや広くなっていますがそれでも1メートル80センチ。
上から見下ろすとこうです。谷底の薄暗い、・・・やっぱり通路です。
でもご主人は「この場所をどうしたら楽しくなりますかねえ(無理ですかねえ・・・)」と。
現地を拝見にうかがったとき、明るくてかわいらしい、笑顔が素敵な奥様と、元気いっぱいで人なつっこいお嬢さんがふたりいて、ご主人の「この場所をどうしたら・・・」はこの素敵な家族のためにという家長としての思い、3人の女性たちへのプレゼントができたらいいなあという、そんな気持ちなんだということが伝わってきました。
周囲が高くてドドーンとコンクリートが見えていることは、いくらでも方法はあるので何とかなります。それがうまくいけば隠った感じで落ち着いて過ごせる場所になります。それは良しとして、問題はいちばん広い場所がリビングとはなれているということです。仮に家族で過ごす場所をつくるとしたら一番奥の角です。こういう場合、よっぽどそこを「いい場所」にしない限り、わざわざそこまでは行かないものなのです。
この限られたスペースで「行きたくなる」場所を考え出す・・・、う~ん。正直に白状すればその時点で頭の中はノーアイデアでしたが、奥さんとお嬢ちゃんたちがあまりにかわいらしくて、ぼくもご主人と同じく、この3人の女性をよろこばせてみたいという気持ちがわき上がって来て、つい・・・ニッッコリ笑って「大丈夫ですよ!まかせてください!」と、自信満々なふりで帰ってきました。
よくあるんですよこういうパターン。何の根拠もあてもないのに「大丈夫ですよ!まかせてください!」と。今までたいがいは大丈夫でしたから。大丈夫と思えれば、それで大丈夫なのです。
お役に立ちたい、よろこばせたい、そういう対象さえあれば、あとは自分が持っている力をフルにそこに向ければいい。そして、そういう局面での自分の力を信じて「大丈夫!」と先に言い切ってしまう。こと庭の設計に関しては弱気になることがなくて、いつも(根拠のない)自信満々なんです。これってもう癖になっています。
自分への自信があるとはいうものの常にスイスイ描けるわけではなくて、実際には「結構手こずりましたあ~」。考えて考えて、さらに考えて、いくつかのラフを描いては消しして、で、できあがったのがこれです。
描き上がったときに「ヤッター!ヨッシャー!」と声が出ました。夜中の設計室で、ひとり小さくガッツポーズしましたよ。
これでまた、「大丈夫ですよ!まかせてください!」が嘘にならずにすんだ、というホッとする瞬間でした。
明日はプラン図をアップでご覧いただきながら、全体の構成と各エリアのポイントなどを解説します。
庭部分のアップです。
もう一度ビフォーをご覧ください。
ウソみたいでしょ!でもちゃんとここに設計した世界ができあがるんですよ。明日のビフォー・アフターをお楽しみに。
では各エリアをさらにアップで。
リビング前です。とにかくデッキで平らにすることだと考えました。狭めの場所は段差をなくしてしまえば部屋の一部が外に広がった感じになります。
ここで大事なのは、ただ床を張るだけではなくて、室内を歩いているときの目の高さよりも高い塀なり樹木なりを配置することです。室内の庭側以外の3方向にある壁と同じだけのボリューム、強さ、存在感を庭側にも設定すること。そこまで仕立ててはじめて「狭めのデッキ」から「部屋が広くなった」という印象に変わるのです。マイナスがプラスに転じる立体構成のテクニック、ちょっと理屈っぽいんですが、屋根も壁もない場所に世界をつくっていくガーデンデザインでは欠かせないことのひとつです。
デッキとセットの板塀は、もちろん目隠しのためでもあります。
カーテン開けっ放しで、部屋の一部が外に広がったので、いつでも屋根のない場所に行き来できる暮らしになります。
デッキそのものの楽しさと同時に、リビングの居心地を良くする、レースのカーテンを閉めていた暮らしから、外気と光を思いっきり取り込んだ風通しのいい暮らし方になる、という生活提案を含んだ設計なのです。
つぎは和室前。デッキから奥のバーベキューテラスへのアプローチであり、ガーデニングを楽しむ場所でもあります。
そして一番奥のバーベキューテラスです。
この場所を通路の角から「過ごす場所」にするために、円形を使いました。このテラスの円、丸が無かったらってイメージしてみてください、ね、効くでしょ円形って。これが図形の面白いところなんです。
立体的なことでは、コーナーパーゴラと木製パネルと樹木で、周囲のコンクリートが気にならないようにしました。そして谷底のこの場所をさらに隠った雰囲気にして「隠れ家」的な場所にすることで、場の魅力を高めようという提案です。
石丸家の3人の女性たちをよろこばせたいという思いで完成したこのプラン。でもその願望を実現させるためには最後のハードルがありました。そのことがほんの少し気になりながらのプレゼンテーションだったんですけど、そのハードルとは・・・、この続きはまた明日。
ご主人の思いに同調して、石丸家の「3人の女性をよろこばせたい」、そのための最後のハードルとは「金額」です。というのも、いつもならフルプランをもとにご検討いただいて、予算に合わせて一部分だけ施工するとか、優先順位でやっていくとかするんです。ぼくが最初から予算を気にして腰が引けたプランを提案しても、結果的によろこんでいただけないですし、その、予算を頭から外してイメージした完成形を目指して、資金を貯め、少しずつつくり上げていくのもまた楽しいものですから。そうやって何年越しでおつき合いいただいているお客様も大勢いらっしゃるのです。でも今回の場合は、ある意味トータルで「完成形」の庭なもので、このプランの一部だけ施工したのではダメだと考えていました。全体の半分を施工したら楽しさも半分になるかというと、そうではなくて、今回に限っては5分の1、それ以下になるかもしれません。そうなったらご主人とぼくの願望は達成できない・・・。
その危惧は、プレゼンテーションを終えた時のご主人のひと言で消えました。「じゃあ、これでお願いしようか。何だかワクワクしてきたよ」。うれしかったなあ!ご主人もこの庭の構成上、全体を整えることが大事なんだということに気がついて、頑張って決意してくださったのでしょう。奥様もニコニコでした。
ではそうやってできあがった庭のビフォー・アフターをご覧ください。
Before 1
After 1
何度やっても、
Before 2
After 2
ビフォー・アフターは、
Before 3
After 3
楽しい!
Before 4
After 4
風景が、パッと変わります。
Before 5
After 5
一瞬で夢を叶える、
Before 6
After 6
魔法使いになったような気分です。
Before 7
After 7
薄暗い通路が、広く、明るく、楽しい「家族の場所」になりました。
ご主人の家族への思いがもう少し弱かったら、通路は通路のまま。この庭はこの世に出現することのなかった。素晴らしいことだなあって、つくづくそう思うのです。
人のさまざまな「思い」は必ず、何らかのカタチになって現れます。庭って特にそういう場所で、「思い」や「願い」からできあがった庭は、デザインがどうであれ、すべていい庭です。逆に「思い」が弱いままに何となくつくってしまった庭は、どんなにコストをかけようとも、早晩荒れ果ててしまいます。そういうもんなんです。
家族への「思い」「願い」。「思い」は必ずカタチになる。さらに未来の夢や展望、持ち続けたいものですね。家族が大事、とにかく家族、家族が一番です。
では庭を端から順に解説していきましょう。今日はウッドデッキ。
リビングの外の幅は1メートル40センチです。そこに段差があってポーチがついていて、反対側にはU字溝があり土の部分は75センチですから、通路以外のイメージはしづらい。リビングの外がこれくらいのことって、実は結構あるんですよ。みなさんそこを通路として認識するか「狭くて何もできない」とあきらめてしまいます。
でも大丈夫、リビングから平らにデッキを張れば、
ご覧の通りです。
日光浴や風呂上がりに夕涼みや、椅子テーブルを置けば読書やティータイムも充分に楽しめますよ。
子供たちにとっては格好の遊び場にもなります。
室内からはこうです。
そしていつものマリンライト。
目隠しの板塀(施工前はレースのカーテンを閉めっぱなしでした)は、柱が緑で板が白という提案をそのまま採用してくださいました。アットホームで、かつ少しでも場を広く感じさせるための配色です。
このお嬢さんたちが、ぼくがよろこばせたかった3人の女性のうちのふたり。
いつでもスッと外に出られる暮らしになって、施工前よりも何だか一段と伸びやかな表情になった気がします。可愛い!いい笑顔です。
我が家にも高校生の女子がいますけど、女の子の笑顔っていいですよねえ、たまんないなあ。おとうさん、がんばるわけです。
ウッドデッキと奥のスペシャルな場所をつなぐガーデニングエリアです。
当初の設計は通路は自然石の乱張りで、落葉樹を1本植えるというものだったんですけど、コストを下げるためにシンプルに平板で通路をつくりました。
狙いと考え方、手法は変わっていないので、ねっ、これでもぜんぜんオッケー!でしょ。
木は何かいいことがあったときに、記念樹として植えることにしていただいて、これでコストを下げて楽しみが増えたというわけです。コストダウンして楽しさアップ。オッケー!
ライトは夜も奥に行き来していただくためです。
すでに何種類かの草花と野菜が植わっていてうれしかったです。夏までには土が見えないほど花いっぱいの場所になっていることでしょう。楽しみです。
庭の一番奥、建物の外壁とコンクリートブロックに挟まれたような場所を「過ごす場所」に、それもリビングからはなれているので「行きたくなる場所」にすることが今回の設計の最重要課題でした。
この点が「中途半端はゼロに等しい」ところなんです。リビングの外だったら生活空間が広がるのですから行きやすいし楽しみやすい。ところが今回のように過ごす場所を部屋から離れて設定した場合は、その場所がそうとう楽しいか、必ずそこに行かなければならない理由を設定しなければなりません。たまにしか行かない、行っても特段楽しい感じがしない場所になってしまったら「ゼロ」なのです。
立体的にはコーナーパーゴラと木製パネルと常緑樹(シマトネリコ)で「部屋感」を出して、その色を青と白にすることで「特別な場所」に仕立てました。この狙いがなければ、デッキの板塀と同じ緑と白の組み合わせにしていたでしょう。色や素材の数を増やすには、理由が必要だというのがぼくの持論です(うるさいでしょういちいち)。
立体的にはそういうこで、平面的にはタイルの見切りを円形にしたことがポイントです。円形と言っても円の3分の1くらいしか描けていないんですが、それでも円の隠れている部分を連想させて広い場所に感じられるから不思議です。それと場所のスペシャル感も出ます。
立体構成や色・素材のことや図形のことなんかを、これまで何年も何年も、クドクド考えてきて良かったなあと思いました。そのクドクドがなかったら、この場所は生まれなかったですから。しつこくクドクド考える性格の効用。
いろんなことを複合的に考え合わることでできあがった「家族の場所」です。
すでに何度かバーベキューを楽しまれたそうです。それと、子供たちが寝てからふたりでここに来てお酒を楽しんでいるそうです。ヨシッ!オッケー!
もうすっかりお馴染みになった(ワンパターンですよね)囲炉裏。この大きさ、カタチ、何度つくっても大好評です。
火を扱うにはレンガ1列で円形にすれば充分なのですが、2重にすることで、幅が出てテーブル兼用になります。それと見た目のボリューム感もいいでしょう!
使用しているレンガは横浜赤レンガ倉庫のものと同質のヤキスギレンガです。耐久性や時間が経った時の風合いがいいことと、何より港ヨコハマを切り取ってきたみたいで、それが気に入って使い続けています。
場所が狭めだったこともあって、2方向を造り付けのベンチ掛けにしました。椅子を配置するより効率よく人が座れるからです。
これで7~8人で火を囲めますし、ベンチで昼寝もできます。
庭で昼寝・・・、ぼくには慢性的に昼寝欲求があります。NHKラジオ第1放送の昼の憩いを聴きながらウトウトと昼寝、幸せなひと時です。それが自宅の庭でできたら・・・、ぼくにとってそれは「豊かな暮らし」だなあ。
そういえば最近昼寝していません。小さい頃に大人たちがよく言っていました「親が死んでも食休み」って。田舎ではお昼を食べると必ず昼寝、街中の大人たちがそうしていた気がします。だから12時半になると世の中がシーンと静まり返っていた、そんな記憶があります。
田舎の人たちはみんな元気で長生きです。今こうしてふるさとを離れて気がつくのは、長生きの秘訣は旬の野菜中心の食事と、出がらしのお茶を大量に飲むことと、そして昼寝なんじゃないかなあと、どうもこれって当たっている気がするんですよ。
昼寝するようにしてみましょうかねえ、長命の人たちが言う「親が死んでも食休み」ですから。
だだっ広い場所に「外の部屋」をつくりたいときや、隠った場所を「隠れが」にしたいときに重宝するのがこのコーナーパーゴラです。今回は後者。
空間を仕切ることで生まれる快適さってあるんですね。
最初にこの製品を発想した人に敬服いたします。とても便利に、月に5回は設計に取り入れていて、「家族の場所」を提案するときに欠くことのできないアイテムになっています。
この広さならライトは2灯。
夜はこうなります。
いい感じでしょう!
空間を仕切ることでできあがったこの場所は、実はまだ完成していません。花を生ける前の器の状態です。
パーゴラにツルが絡んで、パネルにはレリーフや絵皿、バーベキュー用品なんかがぶら下がって、どんどん部屋っぽく演出していってもらいたいとイメージしています
今日は石丸さんちに植えた庭木の、それぞれの役割を解説します。
ぼくは庭に木を植える場合に、何となく植えることはまずありません。なぜそこに木が必要なのか、なぜその木なのか、その木は春夏秋冬どう変化するのか、数年後の姿はどうなっているのか、その木が果たすべき役割は何なのか、そういうことを考え合わせて植栽計画を立てます。
今回ももちろんそうですので、それを簡単に説明していきます。
ウッドデッキの道路側に2本、コニファーのエレガンテシマと、その向こうにレモンを植えました。道路からの視線を遮る目隠しのためです。それぞれに将来的な樹形をイメージして選択配置してあります。
余談ですけど、レモンの位置は敷地の西の角になります。西にレモンは(西に黄色で)金運を招くそうです。風水に関しては門外漢ではありますが、いいと言われていることにはそれなりの何かがあるのでしょうし、いいことはいい!イワシの頭も信心から!石丸さんご夫婦にも「これで金運はバッチリです!」と話しました。もちろんニッコリ。ニッコリするところには風水がどうであれ運が向いてくるのです。
レッドロビンの生け垣です。もともと「何となく」植えてあったものをここに植え直しました。西洋ベニカナメとも呼ばれるこの木は生け垣には最適です。樹勢が強くて刈り込みにも耐え、虫がつきにくい(新芽の次期のアブラムシ程度です)。半日陰でも充分に育つので、どんどん伸ばして、隣りにある木製パネルと同じ高さまで仕立てるイメージです。
バーベキューテラスの一番奥、イスの背後に植えたのがシマトネリコ。コンクリートブロックの無機質な感じを消すためと、その向こうにある雑木林をこのテラスまで引き込む、借景技法を意識してここに植えました。
それともうひとつ、空間構成です。コーナーパーゴラと反対側のこの位置に木があることで、バーベキューコーナーが空間的に成立します。この木がないと視線が抜けちゃって、場に落着き感がなくなるのです。
3年もすればこの樹形のままで2倍以上に成長して、その効果はさらに強まります。
石丸さんちの草花です。
食料も植わっていました。
学校で配った教材でしょうか、他のお宅でも何度か目にしました。こういうのいいですねえ、夏休みみたいで。
まだまだ植える余地があるので、夏に向けて思いっきりガーデニングを楽しんでいただきたいです。
ぼくがイメージする「いい庭」には、家族のやわらかい時間が流れます。そのご家族の歴史の中で、親にとって、子どもにとって、一生の宝物になる時間。何気なくて、取り立ててどうということのない1日のほんのひとときが、そういう宝物として記憶されていくのです。
ぼく自身がそうです。物心ついたばかりのころ、じいさん自慢の坪庭を眺めながらの縁側での何気ないシーンが、年齢を重ねるほどに記憶の引き出しから飛び出してきます。そして今はもうおとなになるための修行を始めたぼくの子どもたちとの、まだ彼らが正真正銘の子どもだったときの思い出は、やはり何気ない一瞬、やわらかい時間の記憶ばかりです。
そいう時間、そういう記憶の舞台になる庭こそが「いい庭」なのです。
やわらかい時間のしあわせな記憶、それを思い起こすのもまたやわらかい時間の中でのことです。
北原照久さんに教えていただいた、書道家の武田双雲氏のことば、
しあわせは獲得するものでもなく
訪れるものでもなく
気付くものである
美術の先生が離任式で残していったことば、
いつまでも
夕焼けに気付く人でいてくださいね
同じような仕立ての庭でも、そこで過ごす人の感じ方、生き方、価値観によってその価値は大きく変わります。つまり庭は人しだい。
しあわせに気付くことができる庭、それが「いい庭」です
そして、子どもたちに「やわらかい時間」を与えられるおとなでいたいなあと。毎日いろんなことが起きますけどね、嫌なこと、思い通りにいかないこと、空からオタマジャクシが降ってくるようなことも起こります。でも、一生懸命に、何とかかんとかクリアして、ニッコリ笑って「やわらかい時間」を生み出せる技をね、みがいていきたいなあ。
話題変わって、溜まりに溜まった設計作業の山がグラッと崩れそうになっていますので、しばらく設計室にこもって徹底的に設計します。もしかしたらブログのアップが飛び飛びになるかもしれませんけど「あぁ、こもってるんだなあ」ということで過去のを引っ張り出してお楽しみください。
さあっ忙しいぞー! がんばって仕事して、かつ、ちゃんとわが家の「やわらかい時間」を生み出せるように。
では今日もはりきっていきましょう!
石丸さんちの庭を再開します。
前回はぼくが考える「いい庭」とは・・・『しあわせに気付くことができる庭、それが「いい庭」です』。そして家族の幸せな記憶は「やわらかい時間」の中にある、と書きました。
武田双雲氏の言葉
しあわせは獲得するものでもなく
訪れるものでもなく
気付くものである
皆さんにはこの言葉、どう感じるでしょうか。きっと若い方には「何を坊さんみたいなこと言ってんだ。幸せってのは頑張って頑張って獲得するもんなんだよ!」とか「現状で幸せを探してたら進歩がないじゃないか。おれはもっと大きな幸せを家族に与えるために毎日必死なんだよ」とか、そう言いたくなる言葉なんじゃないでしょうか。それ、正解ですよ。頑張って、探し求めて、のたうつようにもがき苦しんで、その後に出会う言葉ですから。
幸せのために足元に咲く花も目に入らないほど必死に生きていると、ふと神様がプレゼントをくれる。はるか彼方の頂上を目指して鬱蒼と茂った山道を黙々と歩いて、ついに稜線に出た時に、パッと視界が開けて額に涼風を感じる。そのとき初めて岩陰に咲く小さな高山植物に心を奪われてジワーッと泣けてくる。頑張った人にだけ与えられるご褒美、それが「幸せに気付く」瞬間なんです。
しあわせは獲得するものでもなく
訪れるものでもなく
気付くものである
どうです、少し印象が変わったでしょ。
「幸せのために一生懸命に生きましょうよ」という言葉だと、ぼくにはそういうふうに響きました
いやあ今日はノリノリでテンション上がりまくってしまって・・・軌道修正します。石丸さんちの庭です。
設計依頼から打合せ、施工、完成、そして撮影を通して、ご主人からこの「本気」を感じていました。「この人は家族のために、本気なんだなあ。家族を思うおとうさんの気合いや気負いや、いいなあ、まぶしいなあ、応援したいなあ」、これが仕事の原動力。そして生まれた石丸さんご一家の「やわらかい時間」です。
「本気」 坂村真民
本気になると世界が変わってくる
自分が変わってくる
変わってこなかったら
まだ本気になっていない証拠だ
本気な恋
本気な仕事
ああ人間一度
こいつをつかまんことには
うちの店 GRACELAND (港南区)とレノンの庭(旭区)はホームセンターの中にあります。理由はぼくがホームセンターに来る家族連れが大好きだからです。特に土日のホームセンターは幸せな笑顔がいっぱいで、ときに自分の仕事そっちのけで草花の説明をしたり売り場のコンシェルジュをやっています。家族がいちばん、笑顔の家族連れが大好きなのです。
日曜日、昼間は大混雑している売り場から、夕方になるとサーッとお客様がいなくなります。日曜日の夕方は家族の時間なんですねえ。家に帰って、みんなで楽しかった休日の余韻を感じながらテレビをつけて、お母さんは夕飯の支度を始める。「笑点の時間」です。
撮影したのも日曜日でした。
笑顔が溢れていた庭から主役がいなくなりました。笑顔はリビングに移動して、テレビでは歌丸さんが。でも誰もそれを観ていなくて、夫婦、親子、子ども同士でにぎやかに盛り上がっています。「いいなあこの感じ」って思いながら無人の庭を撮影しました。
小雨も降って来て、
誰もいなくなった、夕方の庭。
写真からは聞こえませんけど、開け放したリビングからはみなさんの楽しい声が。
日曜日の夕方、住宅地を歩くと、庭やリビングから「家族の時間」が通りまで溢れ出しています。こういう情景を越後では「ホトホトッとする」と言います。いい感じでしょ「ホトホトッとする」。
「笑点」の次は「ちびまる子ちゃん」です。パワー全開でワイワイはしゃぎまくっていた子どもたちもテレビに釘付け状態で、お父さんお母さんはひと時解放されて夕げの支度も仕上げに入ります。
「ちびまる子ちゃん」が終わると、日本中、函館の家族も、秋田の家族も、新潟、横浜、兵庫、広島、長崎、屋久島、沖縄、全国の家族が「サザエさん」を観ながら日曜日の夕食です。
暗くなって来た庭を写しながら、
宇宙から日本を見ている若田浩一さんからは、
たぶんこの時間がいちばん美しく見えるんじゃないかなあって。
サザエさんの時間、
日本中の家や庭が光り出す時間。
家と庭の光ですから「家庭の光」ですよね。日本列島が家庭の光で輝き出す時間、いいなあ。
ちょっと妄想が広がり過ぎでしょうかねえ。でもねえ、一度見てみたいです、サザエさんの時間の日本列島。
おっ、今日は日曜日ですね。「サザエさんの時間」・・・今日の日本は宇宙からどう見えますかねえ。
夕飯も終わって、子どもたちもさすがに電池切れで眠くなってきます。お風呂に入ってパジャマに着替えて、大盛り上がりだった日曜日も終了です。
子どもたちを寝かせつけて、シーンと静かになる瞬間は「親の時間」です。ソファーで寝てしまった子どもを布団に運ぶとき、親は親になれたことを感謝しますよね。それは同時にいつも自分を布団まで運んでくれた親への感謝。
今回の撮影はそんなご家族の様子を覗き見しながら、じっくりと暗くなるまで続けさせていただきました。
石丸さんち、いい家族の日曜日のエンディングを庭から感じてみたいという思いつきでした。
せっかくの団欒なのに庭でぼくがうろちょろしていて申し訳なく思いつつも、
幸せなドラマを舞台袖から観せてもらっているような、
何ともいい気持でした。
手前味噌ですけど、ファインダーをのぞきながら「いい庭だなあ」って。それはイコール「いい家族だなあ」ということなんですよね。
昼間はとても太刀打ちできないほどのパワーで手こずらせる子どもたちが、満足し切った、安心し切った顔で寝息を立てる時に訪れる「親の時間」。
この庭で育って大人になったとき、彼女たちはどんな家庭を築いてどういう庭をほしがるのかなあ。そのとき「庭のおじさん」がまだ元気だったらいいなあ。そのとき・・・二十数年後かあ・・・。
我が家は長命の家系なので問題なし!きっと今と同じで毎日庭を設計していることでしょう。
生きる限り 現役で勝負だ!/横山剣
親子2代にわたって庭をやらせていただくことがこれから増えてきそうで、あらたな楽しみです。親の思いが庭になって、そこで育った子が親になってまた庭が生まれる。「庭のおじさん」は手塚治虫の火の鳥みたいに両方の庭に現れるのです。それを彼女たちの子どもがポカーンと口を開けて見上げている。
妄想めいたイマジネーションですけど、庭屋は家庭のコーディネーターでもあると思っていますので、そこまでやれたら本望だなあと。そのためには長持ちも大事なので、健康維持にも努めながら、さっ、今日も一日がんばりますよお!
撮影にうかがってすぐにご主人が「仕事から帰って子どもたちが寝ていると、うちのとここに出てお酒を飲むんですよ」と。うれしかったなあ、その言葉からこの庭の「大成功」を実感できました。
「子どもが寝静まってから夫婦で庭に出て、キャンドル灯してワインを飲んで語り合う、そういう約束をしませんか。疲れていても喧嘩していても、そのことだけは習慣にしましょう。そうすれば一生夫婦は安泰、家庭円満ですよきっと」
庭の打合せをしながらそんな話をし始めてからもう十数年が過ぎました。十年前には「庭に木を植えて芝生を張りたいだけなのに、この人はいったい何を言っているんだろう?」といぶかしがられたりもしましたが、ここ数年は「なるほど」とか「いいですねえそういうの」という反応に変わってきました。ぼくの提案力がアップしたのか、それとも世の中が進化したのか、ぼくにはものすごくうれしい変化です。
庭は眺めるものではなく「家族が過ごす場所」なんだということ。そしてその家族の核は夫婦なんだということ。
ところがその肝心かなめの夫婦が一筋縄ではいかないんですよねえ。だから庭が必要なんですよ、夫婦で過ごす庭が。一筋縄ではいかない、あざなえる縄のごとしの男と女がタペストリーを織り上げる場所、庭。
あと10年たったら、日本中の庭がそういう意味を持つ「家族が集う外の部屋」として暮らしに欠かせない場所になっているんじゃないかと思います。そうなったらいいなあと、イメージしているのです。
今日で石丸さんちのご紹介は終了です。
北海道出身のご主人と山形出身の奥様が出会って、横浜に住んで、毎日頑張って、素晴らしい家庭を築いて、いいなあ、とってもまぶしい石丸さんご一家でした。
石丸さんへ
いつものことですけど好き勝手書かせていただいちゃいました。思う存分庭を楽しんで、また進化した庭を撮影させてくださいね。ありがとうございました