今日から数日間、横須賀市の川上邸をご紹介します。
裏庭はあまり日当たりが良くない、建物に向かって下る斜面です。そして周囲の宅盤が高くて、正面と右側が2~3メートルの間知ブロックという谷底にある庭スペースといった感じです。
実はこういう場所、好きなんです。設計的にではなくて個人的にです。一年中設計している庭のほとんどは“明るく”“花咲き乱れる”日当たりと風通しの良い場所。もちろんその方が庭としての楽しさは演出しやすいのです。でも私は(へそが少しだけ屈折しているもんですから)日当たりと風通しが悪くて、ジトッとした雑木林の中で落ち葉と一緒に自分も朽ち果てて行くような、そんな庭に身を沈めたい・・・。10代後半に新潟の山を登山しまくったときに染み付いた感覚ではないかと思います。ヒカリゴケやモリアオガエルの卵や、歩くとグシュグシュいうほど水を含んだ広葉樹林帯の感じが落ちつくのです。・・・暗い。一昔前なら“ネクラ”のレッテルを貼られるところですが、時代が変わって、今はこういう感覚を非難されたりバカにされることは無くなって、情緒、情感の豊かさとして肯定的に評価されたりもします。“ネクラ”も生きやすくなったということです。まあ、それはさて置き、今回の谷底のような庭です。過ごす場所を確保するためにご主人が斜面を削ってまくら木で土留めをしたり、奥様がハーブを植えたりと、ご夫婦の庭との格闘の跡はありますが、全体的に荒れ放題になってしまっていてしばらく人が踏み入った気配がないような状態でした。直射日光がほとんど入らないので何を植えてもイメージ通りには育たなくて“つまらない”というのがそうなった理由のようでした、が、その後お話をうかがってホントの理由がわかりました。
庭が荒れてしまったホントの訳は・・・、新築後しばらくした頃に空き巣に入られたのだそうです。庭からリビングのサッシを壊して。で、それ以来、庭が嫌な場所になってしまったのだそうです。うちの店、グレースランドも2回やられているので(その後セコムに入ってからは被害はありません)、その気持ち、よ~くわかります。物質的な被害よりも気分的な“嫌な感じ”のほうが大きいのです。おそらく庭に出なくなっただけではなくてカーテンを開けるのも嫌だったのではないかと思います。
空き巣に入られたことで庭が嫌な場所になってしまった川上さんご夫妻ですが、今回こうして「庭を何とかしたい」と相談に来ていただいたことは、つまり“家族の進化”なのです。予期せぬアクシデントの連続が家族の歴史をつくります。そしていい関係を育んでいるご家族は、何が起ころうとも必ずそれを乗り越えます。それどころかそれまで以上に豊かで強い家族が生まれます。一年中いろんな家族のいろんなファミリーガーデンを設計しているとつくづくそう感じるのです。
そんなことを考えながら設計に取りかかって、最初に考えたことは“家族が集う場所”をつくりたいということです。荒れてしまった場所を何とかしようとしているご夫婦に、その同じ場所が大好きな場所、家で一番楽しい場所としてイメージしてもらえたら、それが最高の提案ではないだろうか、そう思いました。
力が入ったときに理屈っぽくなるのが私の癖でして、設計もスタートから理屈を線にして組み立てて行くという手法、この設計だけで1時間は解説できるという内容です。でもそこに時間を割いても退屈でしょうから、ひとつだけ。“シンメトリー(左右対称)”を使って自然を切り取ることで、建築に近い感覚の(作為的な)家族の居場所をつくりました。人工的な秩序を武器にして自然を制圧するというヨーロッパ的やり方なのです(欧米か!)。あ~っもっとコマゴマ解説したい!でもここはグッとこらえて・・・。そうしないと切りがなくなりますので。そんな、いろんな理屈と私から川上さんご一家への思いがつまった設計がこれです。
Before
After
Before
After
Before
After
Before
After
リビングから段差無く出られる高さに囲炉裡のあるテラス、外周はガーデニングスペースです。バーベキューとガーデニング、ファミリーガーデンを考えるときに人気のある2つの要素で構成しました。
ヤキスギレンガのシンプルな屋外炉をテラスの真ん中に配置して、“囲炉裡”です。そして特等席のベンチ。
ビール片手に、炭をおこすことから始まる休日の朝。いつか実現したいわたしの野望のひとつです。家族が起きてくる頃にはいい感じの炭火が出来上がっていて、私は仕掛けた鉄瓶のチンチンという音と鳥の声を意識の遠くに聞きながら、ベンチでうとうとと2度寝を楽しんでいる。そんな私をおこさないようにと、静かな動きで妻がブランチの準備を始める・・・。最後のところが無理かなあ、妻が静かな動きで・・・、どうしてもここがシーンとして成立しない。わが妻カオリちゃん、とにかく静かにしているということができない人なのです。吉本新喜劇みたいにギャグるこけるしゃべりまくるの3拍子で生きているので(まあ、明るくていいんですけど)。でもあきらめず、この野望の火を消さずに灯し続けていれば、そのうち妻も弱ってきておとなしい女性になるかもしれない・・・、・・・。
家族が集まり、友人を招き入れ、休日も、平日の夜も美味しく楽しく過ごせる場所。夫婦で、時にはご主人がひとりで炎を見つめている、川上家のそんなシーンをイメージした囲炉裡とシエスタベンチの“屋外ファミリールーム”です。
バーベキュー用品を収納する木製物置きです。屋外の部屋に置く家具のようなイメージが欲しくて選んだのがこれ、タカショーのe-ウッドストッカーです。取っ手がモダンすぎたので、他で探したアイアンのアンティークな取っ手に変えました。そして塗装は、グレースランドオリジナルのアンティークホワイト塗装です。
私の野望その一、妻を静かな女性にすること。んっ、ちがうちがう、囲炉裡とシエスタベンチがある庭で過ごす休日。なのです。
もともとの立水栓は建物に近い(使いやすい)位置にあり、今回のリフォームでそれをあえて坂の上のはじっこ、庭の一番遠い位置に移動しました。わざわざコストを掛けて不便さを生み出した訳です。理由は階段を上がったガーデニングスペースに導線を強制したかったから。夏場はほぼ毎日使う立水栓を建物から最も遠い位置に設置することで自然と庭全体を歩き、意識が庭の隅々まで行き届くようにしたかった。設計によって庭を端から端まで無理矢理にでも楽しませてしまう、こういう手法を私は多用します。すぐに手の届く便利さや無駄を排除した合理性は庭にはさほど必要だと思わないのです。それよりも逆に、不便や手間や意図に反したアクシデントが庭の情緒を醸し出し、ドラマ性を生むのです。庭の構成要素で重要な役回りをする植物、樹木や草花はまさにそういった存在です。もちろん言葉は通じないし、なかなかこちらが意図したようには育ってくれませんし、でも同時に思いがけない楽しみも与えてくれます。また時には感動や落胆といったこちらの心情を揺さぶられるような出来事にも遭遇します。そういったことが庭の大きな魅力なのです。つまり利便性や合理性を追求した庭は、見た目はどうであれ、庭本来の魅力から遠い、味気ない、ドラマが生まれない、誰も幸せにしない、そういう庭になってしまう可能性もあるのです。
こちらはお客さまがお持ちだった土管の立水栓。
まあ、手間をかけてまで不便さをつくり出すこともあり、それには理由があって、そこから便利さに勝る魅力が生まれることがあるということです。
空き巣被害がきっかけで“嫌な場所”になってしまった庭スペースの復活劇、川上邸の最終日は、恒例の草花です。工事完成を待ちきれなかったように奥様が植えたられた草花です。
一日中薄暗い印象だった庭も、大きく茂っていたシラカシ3本伐採したことと、明るめの素材で構成したことで狙い以上に明るい印象になりました。設計時はシェードガーデンをイメージしていましたが、実際薄日も入るようになって、これならほとんどの草花が大丈夫な感じです。
今回の川上さんちがそうであるように何らかのアクシデントに打ちのめされて、それをはねのけたときに生まれる新たなパワーのすごさ、美しさには、日々いろんな場面で遭遇します。それに感動し、自らの活力としています。
庭づくりという仕事は、ことにそういう人たちとの出会いが多く、それがあるからこそこうして次々新しい庭、家族の場所を生み出せているのです。お客さまからいただくパワーが原動力というわけです。もしそれがなかったら・・・、もうヘロヘロに疲れ果てて、お客さまによろこんでいただける庭を生み出すことはできないと思います。
今日もまだ知らない○○さんとの出会いを楽しみに店に向かいます。さっ、仕事仕事!