市丸さんちの草花をご覧いただきながら、今日はちょっと庭からはなれて以前にラジオで仕入れた話をもとに、ふだんご来店いただいたお客様に話していることの一つを書き留めておこうと思います。
ラジオで仕入れた話とは、
50年前の日本人は朝起きると「何か食べ物あるかなあ、今日はどうやって食べ物を手に入れようかなあ」と考えていた。というものです。
確かにそうだったんですよね。50年前といったら私が生まれたころですから、物心ついたばかりの私の記憶でも、食料確保が生活だったという感じはありました。とにかく食べ物、ご飯はありがたいもので、好き嫌いなどもってのほかで、「お百姓さんに感謝しながら食べなさい」とか「ご飯粒を残すんじゃない」とか言われたものです。まだ戦後の感覚もあったので、大人たちが食べ物がなくて苦労した話は日常的に聞いていましたし、栄養失調の子供や近所の人が米や味噌を借りにくる、なんていう光景もありました。ちなみに保育園では生温くて臭くて、粉がダマになっている脱脂粉乳を飲んでいたし、小学校の夏休みには肝油ドロップが配られていた、そんな時代でした。
今、そんなことないですよね。50年経って、人は朝起きて「何か食べ物あるかなあ」とは考えなくなりました。別に朝食を食べないで出かけても、お腹がすいたらコンビニに入ればいいし、食べたいときに食べたいものを買うお金なら、小学生でも持っています。
便利になったんですよね、そして豊かになった。地球上の6人に1人はいち日1ドル以下で生活していると言いますから、財布の中身を気にしないで食べたい時にカップラーメンやおにぎりを買える、われわれのお金持ち度はものすごいことです。でも、それでよかったのかなあって。
この、人が朝思うことと別に、50年で変化したことがあります。それは地球の気温です。
これはJAG(ジャパン・ガーデンデザイナーズ協会)の勉強会で入手した、1000年前からの気球気温変化です。ゾッとしますよ。
過去1000年間の北半球平均気温の変動

1000年前から900年間、北半球の気温はゆっくりと0.2度下がりました。そして100年前からグラフが暴れだしていますね、これは化石燃料を使って工業化が進んだことを表しているのでしょう。つまりある意味、発展による気温上昇とも解釈できます。グンと上がっていったのがいったん下がって落ち着きかけていますよね、それが50年前です。そして最近の50年は・・・、グラフにならないような急上昇で、もう壊れてしまった感があります。50年間で1度近くの上昇、1000年グラフで観ると、もう異常事態というか、取り返しがつかないことをしでかしてしまった気さえしてきます。
詳しくは2007年8月15日「恐怖!地球温暖化のはなし」と翌日2007年8月16日の「壮絶!東京のヒートアイランド現象」をごらんください。
つまり、人は朝起きて食べ物の心配をしなくてよくなったのと引き換えに、地球を痛めつけてしまった、ということですよね。便利に、豊かに、でも多分、それは度を超しちゃってますよ。「50年前くらいが人類として健全だった」、そう思いませんか。ソニーのカメラでGPS機能付きのが発売になりました。地球上のどこで写してもその位置がカメラに地図で表示できて、写真にその情報が残るのだそうです。(私は昔からソニーファンですけど)何のためにそこまでの機能が必要なのか、何でそれを量産して売りまくらなければならないのか、私にはさっぱり理解できません。それで人が幸せになるならいいんですが、今まで世の中にその機能がないことで不幸になったひとはいないので、多分不必要な高機能なんですよ。そうやって、もう必要のないものを考え出しては生産し続けなければ経済を維持できない生産中毒状態になっているんですよね。
これはぼくごときが、大きく構えて社会批判をしているんじゃなくて、そういう状況下でぼくたちはどのように暮らすことがいいのか、ひとりの庭屋がその提案をするための前振りですから、そのようにご理解下さい。
で、どう暮らしていったらいいのか。結論を先に言いますと、「焼き芋食いながら暮らしましょう」。