養生テープ
秋の連休最終日、今年はあまり耳にしなかったけど、確かシルバーウィークでしたっけ。葡萄棚の下でジンギスカンを食べたくなる爽やかな天気でよかったですよね。例年なら園芸売り場が大混雑で駐車場は長蛇の列となるのが、昨日までは閑散として普段の平日と大差なしでした。グラフは横這いとなり、自粛規制も大幅に緩和されたし、皆さんここぞとばかりに家族でお出かけとか、思いっきり休日を楽しんでいるのでしょう。いいですよねえこの感じ、久しぶりに、世の中に平和で穏やかな笑顔が満ちているような気がして。と、早朝の庭で水やりしながら朝日を浴びて、「おお、今日はインデアンサマー・小春日和である」などとニマニマしながら、ストレッチとワンダーコアしてから出勤の支度をしながらテレビをつけたら、何てこった、明後日に台風直撃の恐れありとのこと。行けども行けども目の前に置かれるハードルにため息をついた刹那、養老孟司の言葉が浮かびました。
八方塞がりになったら、九方目をさがせ。
どん底まで落ちたら、掘れ。
ハードルが高かったら、くぐれ。
そろそろだなあと、遠回りして遊歩道の水辺へ。
やっぱり感動します、この姿。
野の花は風にはめっぽう強いんですが塩害にはヘナチョコで、
アマテラス、スサノオを押さえ込んでお手柔らかにお願いします。
養老先生、上手いこと言いますね。言葉ひとつで暗闇に明かりが灯る思いがします。解剖学者は冷たくなった人体を腑分けしながら、目に見えない精神も解剖しているんでしょうね。北山修も医学部の解剖の実習から意識が変容してシンガーソングライターになり、帰ってきた酔っ払い、おの素晴らしい愛をもう一度などのヒットを飛ばした後に少々気を病んで精神分析医のお世話になりまして、それがきっかけで精神科の大先生としてご活躍。 生物学者はスピリチュアルに行きがちだし、細胞を研究すると哲学者になりがちだし、やっぱりね、つまりは、身体ってのは精神の乗り物であって、人とは精神なり、ということなのでしょう。
九方目をさがすのも、どん底を掘るのも、ハードルをするりとくぐるのも、健康な心があってからこそできること。メンタルヘルス・ユア・セルフ。アルコールとかギャンブルとかの各種依存傾向、鬱っぽい感じ、なんかわかんないけど急にイライラするとか、身近な人が敵に思えるとか、人に会うのが怖いとか、眠れない、食欲がない、食欲が止まらないなど、そこから目を背けたときから病は始まります。軽めのうちに察知して、庭に出てリカバリーを。朝日から始まるセロトニン→メラトニンのリレーが、正常な脳機能維持にはとても有効ですから。あとね、家族を大切に。それが基本中の基本。
ホームセンターでは台風襲来を当て込んで、あの大行列の夢よもう一度ということでしょうか、レジ近くにコーナーを設けて養生テープが山積みされています。どうですかね、売れますでしょうか。昨年買い込んだやつが、他に使い道もないのでどのお宅にも大量に余っていると思うのですが。でもこういうのが秋の風物詩になって、やがて家族の安全を祈るというニュアンスを含んだ季語になるんじゃないですかね、養生テープ。
養老先生も養生テープを買うのかなあと養養つながりでイメージしてみれば、多分、ですけど、買わないと思うんですよね。あのお方は永遠の少年にしてナチュラリスト& タオイストなので、台風が来たら嬉々として森へ行き、昆虫たちがどうやって凌いでいるのかを観察するんじゃないかなあと。自然の掟として「逃げれば追われる」というのがあるんですよ。防御に回ったら攻め続けられる。だから養生テープのバッテンを目印に飛来物が攻めてくるような、まあ、幻想ですけど。同時に「攻めれば攻め返される」というのもあって、「守も攻めるも黒鉄の 浮べる城ぞ頼みなる 浮べるその城日の本の 皇国の四方を守るべし」では撃沈必至なのですよ。だからほどほどに、そこそこ用心しながら興味津々で台風を感じてみるというのが、健全なあり方かもしれません。子供の頃にワクワクして雲の動きを見上げていた、あの感覚を思い出して。