ワープ
横浜から一路、越後は魚沼の盆地へとひと馳り。運転手はきみだ、助手席はぼくだ。女房はこの頃ぼくの運転が当てにならないと、決してハンドルを譲りません。確かに、視力が落ちているし考え事が多くなって、自分でも昔のような颯爽としたドライビングができなくなっているという自覚はあります。いつの頃からか移動手段として惰性っぽくなっちゃて、運転に対してワクワクするゲーム感覚が失われている、そんな気もするのです。



まあいい。女房はお気に入りの新車が楽しいようで、拓郎と泉谷を大音量で流しながらの鼻歌まじり、隣りにいて安心感がある。現実として、還暦過ぎると男は老いてゆくが、女はパワーを増してゆくのです。それを甘んじて受け入れましょう。


後部座席の孫たちはひとしきりはしゃいでいたが、すぐに熟睡。懐かしき名作ゲーム『ぼくの夏休み』の舞台だった月夜野村を過ぎて目を覚まし、山が連なる風景に歓声を上げる。いよいよあのトンネルに突入だ。




国境の長いトンネルを抜けると、そこは紅葉の故郷。


何度通ってもこのトンネルの不思議さが楽しく思われます。国が違うように、季節が変わるように、数分で別世界へワープする。



途中パーキングに立ち寄ったら、ふたりは歩道の枯れ葉に興奮して踊り出しました。かっわいいなあ〜。いいぞいいぞ、色づいた葉っぱに興奮する健やかなる感性。





小出インターに到着。さっそく着替えて法事開始。快適に、安全に、とても見事な運転であった。何より楽しんでいる感じが伝わってきて嬉しかったのであ〜る。女房が喜んでいることが嬉しかった。お、嬉しいという字は女が喜ぶと書くんだ。なあるほど、この嬉しさは文字が生まれた頃から世の男たちが味わってきたことなのだなあ。




ちなみ『にすい』に『妻』で凄い。にすいとは氷の意、故に冷たい妻ほど凄まじいものはなし。『さんずい』に『女』で汝、目下の者や親しい人への二人称代名詞。太古の昔から、男どもは女の言動に怯え、尻を叩かれ糧を求めて懸命に働いてきたのだ、ということがわかります。現代では社会的立場が逆転しました。男は仕事に自主的な自己肯定感と誇りを持ち、ともすると「俺が食わしてやってんだ」ぐらいのことを言ってしまう。昭和時代にはよくあった家庭崩壊の引き金となる台詞でした。


そんな思い上がりもこの頃では『にすいの妻』たちの猛反撃によって沈静化され、年若い夫婦は最初から、人生の舵取りは奥様が担っているのであるという掟を身につけて、ぼくらから見るととても賢く平和な家庭を築いておられる。うちの子供らや甥っ子姪っ子もそれぞれに、見事にその今風のスタイル生きている。いちいち揉めてばかりだったぼくら昭和の夫婦を反面教師とした、素晴らしき生活感覚なのであります。



ワープする。コロナで間が空いてしまいましたが、時々はトンネルを抜けて、故郷の風景と人々に接し、我が根っこを元気づかせようと思いました。幸いにして元気に暮らす母の存在を軸として、越後三山、魚野川、広がる田んぼ。
兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷
如何にいます父母 恙なしや友がき
雨に風につけても 思いいずる故郷
こころざしをはたして いつの日にか帰らん
山はあおき故郷 水は清き故郷
こんな童謡が胸に来る、そういう年齢になったんだなあと。子や孫たちにも健康で美しき、田舎っぽい人生が巡りますように。
翌日横浜へワープ。さてと、日常に、魚沼で吸い込んできた空気を追加して、新鮮な気持ちで幸福なる家族の庭を思い描きます。設計設計また設計。