ちなみにさらに遥か遡れば、前方後円墳の前方は前にある方形(四角い土地)ですから建物の敷地で、後円は裏庭(来場者が集う広場・コロッセオ)を意味しているというのがぼくの素人説で、学術的諸説には一切出てこないながら、外構と庭の設計を生業にしている者には、そうとしか思えない形状なのでありあす。天岩戸の前の広場(前庭)で、太陽神復活を願う人々が舞い踊ったことと同じく、太古の昔から人々は共通の思いを胸に広場(庭)に集い、語り合い、不安や怒りの感情を分かち合い、祈りを込めて歌舞音曲に興じていたに違いない。これが祭りの原形であり、庭とは元来そういう場所だったのだ、というのがぼくの庭屋的持論です。余談でした。
明治時代から大正時代になると、個人邸に寺社仏閣の庭や大名庭園の要素を取り入れ、景石、池、仕立て上げた名木を配することが功成り名を遂げた旦那衆ステイタスとなりました。このいわゆる「文士の庭」が最先端の庭のスタイルとなり、西洋建築のお屋敷が増えるに従い芝生とレンガが多用されてゆきます。そこに武士と粋人が嗜んできた茶道の茶庭文化が相まって、ぼくらが思い浮かべる家庭の庭の基本的な構成が出来上がりました。
そして昭和時代、敗戦のこともあり、日本の庭の進化は止まってしまいます。一大決心でローンを組んで家を建て、さて、建蔽率の関係での余剰地をどう扱っていいか、建築業者、造園業者、そこに住まう人の誰ひとり積極的な発想を持つことなく途方に暮れ放置するか、あるいは江戸・明治・大正の様式を止む無く踏襲するかで、平成、令和と時は流れ、その足踏み状態のまま今日に至っているのです。
ぼくらはそろそろ、占領国から自立した日本独自の庭の概念を獲得しなければならない。大袈裟ではなく、真剣にそう思っています。なぜなら、アメリカあんなことなので、もう憧れる要素がなくなってしまった。ではヨーロッパに羨望を向ければよいのか。違います。パリ五輪の開会式で、フランス人が持っている歴史と文化の分厚さに驚愕し感動したものの、それは決してぼくらにそぐう質のものではないし、そもそも憧れ癖みたいな態度では独自の文化を育むことなどできないのです。そもそもパリ万博の頃には彼らフランス人たちがぼくらの三代〜五代前の日本人が持っていた文化に憧れた。そのクールジャパンから美術界のフランス革命とも言える印象派が生まれたのですから。ですから、もう憧れるのはやめにして、諸外国から憧れられる日本独自の生活様式を築き上げるタイミングなのです。それは海外との比較ではなく、ぼくらが現状の中で、いかにして家族の幸せを実現させてゆくか、という一点に意識と努力を集中させることが肝要。その手始めに、進化を止めて久しい庭を、概念から変えてゆくという、そんなムーブメントが起こってくれるといいのですが。
日本人は「家庭」という言葉を持っています。家と庭で家庭。「家」はこれ以上必要ないところまで進化し住環境は充実しました。さて、置き去りにされっぱなしで雑草対策以外に人々の気持ちを動かさなくなってしまった「庭」の方を、しっかりと見つめてみてください。あなたとご家族の幸福な人生のために。そして庭のある暮らしが、幸福な人生のシーンとして積み重ねられてゆきますように。
では始めます。「 昭和の庭 ☞ 令和の庭 」。
昔ながらのよく手入れされた、格の高いお庭です。とても賢明に暮らしてこられたことが伝わってきます。