人を外見で判断してはいけない、というのは平和で長閑な昭和時代のコモンセンス。魑魅魍魎が跋扈する、おっと、漢字が難字な感じなのでカタカナ変換、チミモウリョウがバッコする令和の御世においては、人であろうと物であろうとそのデザイン性から本質を探るは必須の能力。ことにマスク着用が常識となった昨今なればなおのこと、瞳の輝きやら目尻のシワやらでご機嫌を察知せねば生き残れませんぜ。というわけで、その男性は70代、身なりや姿勢や言葉使いから、大きな企業を勤め上げて今は悠々自適なのであろうと推測され、充実の人生を仕上げるにあたって庭をどうにかしたいのかと、ウェルカム・マイ・ワールドと、瞬時に、無礼のないように気構えました。ん、ただ一点、瞳が潤んでいることが気になって、あまりこちらから話しかけない方が良さそうだと判断して軽く微笑み、言葉を待ちました。
サボテンの花
サボテンが枯れそうで、これは助かりますか?
ジェントルメンは紙袋から小さな小さなサボテンを取り出して、ぼくに手渡しました。鉢は直径高さ共に5センチくらいで、その上にお供えみたいな球形のサボテン、直径3センチほどです。
これですね。どうでしょう、とても元気そうに見えますけど枯れそうなんですか?
はい。買った時より色が薄くなって、明らかに元気がないんです。
そうですかあ・・・
困った。そして同時に、またか、とも思いました。庭全体や草花に、あるいはペットに、多くの場合は妻や子に愛情をそそぐことが生きがいになっているのは、我が種族におけるごく普通の幸福なる習性なのですが、サボテンに限らず小さな植物に大きく感情移入している場合、そこには相当に深刻な背景があるということを何度も経験してきました。上等で正当なる身なりにそぐわない、抑揚を失った弱々しい声。どうやらそのようです。気になった瞳の潤みは眼病ではなく涙が溢れる寸前なのだと、繋がってほしくないところに繋がってしまいまして・・・困った。 もしもこの流れで70代の紳士に泣かれたら、60代の似非紳士エピキュリアンに成す術などあろうはずがない。せめて女性であれば、長年に渡り培ってきたヴィヨンの技量をフルに使って相手の笑顔を回復させられる可能性はあるのですが、いやはやどうしたものか。でもこうして後生大事に現物を持ってのご来店ですから、う〜ん・・・。
当方の困惑を察知してか、紳士が自ら裏事情を話し出しました。
一昨年父が他界いたしまして、大往生だったんでよかったんですけど、やはりショックというのはあるもので、父が世話をしていたシュロチクの鉢植えを大事にしようと毎日水をあげていたんです。そのシュロチクの元気がなくなってきて、妻が「もう枯れそうだから捨てますよ」って、私の制止は聞かずにバサバサ切って、引っこ抜いて処分してしまいました。それが悲しくて悲しくて、お恥ずかしいことですが、泣きました。父が切られて捨てられてしまったように思っちゃったんですかね、その瞬間に何かが壊れて、立っていられなくなったんですよ。初めてです、あんなのは。それからしばらく何も手につかなくて、やる気も出なくて寝てばかり。
そんなことがあったんですか。辛かったですね。わかります。それで、今はどうですか?とてもお元気そうに見えますけど。
ええ、物は考えようで、このサボテンを買ってから急にやる気が出ましてね。ところがこいつもだんだん元気がなくなってきて、あの時の、何かが壊れた時のことで頭が一杯になるんです。それでこちらに伺えば助かるかもと思って。お隣さんがこちらで庭をやられたそうで、時々話に出ていました。すごく綺麗な庭で、奥様は毎日庭にいて、よく声をかけてくださいます。
そうれはそれは。ところで、さっきお父様の鉢植えに毎日水をやっていたっておっしゃいましたよね。このサボテンにも毎日、ですか。
ええ、やり忘れたことはありません。
そうですかあ。真面目な性格なんですね。それと愛情深い。
男性はニコッと笑って、「とても真面目です」と。
脳内には古畑任三郎のテーマが流れました。はい、問題は解決。極力古畑のモノマネにならないように気をつけながらのアドバイスの開始です。
ご主人、原因がわかりました。チャラララララララララ〜♪ なぜお父様の鉢植えが枯れ、今度はサボテンの元気がなくなってきたのか。チャラララララララララ〜♪ 根腐れです。予想ですけど、受け皿にはいつも水が溜まっていますよね。植物は地中と地上で連動していますから、地上部分に元気がない場合は地中に原因があるものです。根っこはいつも手が届くところに水があると伸びる必要がないわけで、だから上の枝葉も伸びないし、常に水が溜まっている状態では根が腐って上も枯れてしまう。ご主人の来し方は仕事仕事で、園芸を楽しむことがなかったのでは?年齢的にも団塊ですし、そういう時代でしたから。
えっ、水のやり過ぎだったんですか。
十中八九それが原因です。
前のも?
そうです。
その方はへたり込むように椅子に腰掛け(それまでは座るのももどかしい感じで立って話していました)安堵のため息をひとつ吐いてから大笑い。
なああんだあ、そうだったんですね。そういえば妻にも何度か言われてました、そんなに水をやらなくていいのよって。でも私は、そう、ご指摘通り真面目な性格なもので、せっせと欠かすことなくあげていました。ははは、なあんだあ、そういうことですかあ。
先刻より、15メートル離れた場所からこちらを凝視しているご婦人の存在が気になっていました。腕組みをして、川崎麻世の前夫人か峰竜太の現婦人か、遠目にも鬼の形相を感じてこちらとしては恐くてチラ見しかできない。きっと奥様なんだろうなあ。シュロチクを捨てたくだりから察するに、頭には角が生えているに違いないと、我が女房とダブってビクビクだったのです。しかしこうしてご主人様の悩みと不安が消えて笑い声になったことで、さて反応は、とご婦人を見ると目が合いまして、鬼は腕を解いて軽く会釈してくださいました。そうかそうか、きっと生真面目にして女性脳には理解不能で、思いがけず繊細だったご主人をどう扱っていいのかわからなくて困っていたのでしょう。もしかしたら老人性うつを心配されていたのかもしれません。
仕事仕事で植物のことなど一切考えたことがなかったであろうご主人に、光合成の解説から始めて草花の育て方のコツを伝授いたしました。団塊世代の特徴で、メモを取りながら興味津々。やがて奥様が近づいてきて、そんなご主人の様子にほっとされたご様子で、「あなた、来てよかったわね」と。そこにはカエラや美どりではなく、木村多江が立っていたのでありました。めでたしめでたし。
ああよかった、一時はどうなることかと、お願いだから仲良くしてよと念じながら話していたもので。いろいろあるでしょうが夫婦は夫婦。なんであんなに酷い扱いをされて離婚しないのかしら、などと外野はおっしゃいますけど、なあに、様々なケースを見てきましたが、なんで離婚しないのかなあって言われてからが夫婦善哉に隠し味が効いておいしくなるのですよ。リン気や短気で食べ損なわないようにいたしましょう。それと、できることなら庭はふたりで楽しむようにしていただきたい。ふたり揃って植物の営みや自然の変化を感じ取れば、会話が減っても、言葉の本意が通じなくなっても問題なし。ひとつ屋根の下で、あの時同じ花を見て、美しいと言ったふたりの心と心に、適度に水やりすれば丈夫に育つから大丈夫。グッジョーブ。バッチグーですよ。
サボテンを地植えにする場合は雨の日に庭に降った水が流れてゆく先で、
かつ水捌けと日当たりがいい場所に。
庭の盛り土を支えている石垣の隙間に根付いてくれれば、
一切世話することなく成長し、やがてたくさんの花をつけるようになります。
多肉植物は基本的に放ったらかしがベスト。
子育ての如く、手をかけるよりも設定が大事です。




一件が落着し、帰り際に交わした木村多江さんとのやりとりです。
あのお、亡くなったお父様は庭が好きだったんですか?
ぜんぜん。一切お母さん任せで草取りもしない。お母さんが亡くなってからは書斎から出ることもなくなって、ずうっと時代小説を読んでいました。池波正太郎と司馬遼太郎が大好きで、同じのを何回も読んでいたみたいです。庭の担当は私になって、腰に蚊取り線香ぶら下げて雑草と戦ってますよ。
ご主人は?
庭ですか?興味なし。時々は誘うとお茶を飲んだりしますけど、蚊がいるだけで大騒ぎするし、外が嫌いみたいです。
そうですか。この機にご主人に野菜作りをご指導願えませんか、一応のコツはさっき話してありますから。きっと食べきれないほど収穫するようになりますよ。
あら、それは面白そうね。あの人凝り性だから、やるとなったら凄いかもしれない。よかったあ機嫌を直してくれたみたいで。へそを曲げるとけっこう面倒でね。ありがとうございました。
ハハハ、こちらこそありがとうございました。今後ともご贔屓に。
ご主人はすでに少し離れた野菜苗売り場で、興味深げにラベルを読んでいます。やはりそうです。凝り性で愛情深い団塊世代は、場の設定次第で枯れもするし花も咲く。ゲバ棒・総括・アジテーション。いちご白書をもう一度。肩まで伸びた髪をバッサと切って、「もう若くないさ」と言い訳したかと思ったら、熱冷めやらずイージライダー・イージューライダー。仕事はやり手でバブルを闊歩し、稼いだ金で理想の住居を獲得して、さて老後となったら、あれ、庭ってどう楽しめばいいの?いいのいいの庭なんて楽しまなくたって。あなた方は人類史上最高に運のいい巡り合わせで幸福なる平和と成長の時代を生きたんですから、これ以上望んだらバチが当たりますよ。せいぜい奥様を大切に、正論を言いたがる口にチャックして、論争をしたがる癖も封印して、植物に倣って自然な気持ちで日々をお楽しみください。いやほんとにそう思うんですよ、時代を創った先輩諸氏に感謝を込めて。どうかどうか、昔の偏屈癖が抜けずに晩節を汚すことなかれ。兎にも角にも夫婦仲良く、それがあなた方が叫んでいた Love & Peace に他ならないんですから。ただあなたたちは、熱狂のあまりにゴール地点を見失っていたのかもしれません。メソメソ泣かないでくださいよ、お願いだから。反体制分子が幾星霜、ついに体制側となったと思ったら家庭内孤立、会話なし、友もなし、ついに熟年ならぬ老年離婚なんて結末は笑い話にもならない。あの日の熱狂がただの狂気で、そこに愛がなかったことの証明になってしまいますしね。かつて熱血左翼青年だった先輩諸氏よ、いよいよ念願だった仕上げの時が来ましたぜ。レッツラゴー!とオオ・モーレツに、奥様に愛の言葉をプレゼントしてみてはいかがでしょう。え、いまさら照れ臭い?んなこと言ってないで、ドンと行こうぜ、ドンとね。ドンガラガッタドンとドンと行きましょう。