バンホーテン
寒い!キリッとした朝の庭の空気に思わず声が出てしまいました。両手一杯の洗濯物をテーブルに置いて、素早く、かつ丁寧に干してから室内へ。ココアだな、すぐに飲み物が浮かんでさっそく小鍋に牛乳を温め、バンホーテンの缶からパウダーを投入してかき回す。ココアはバンホーテン、夏目漱石の何だったかの短編に出てきたヤツで、それを読んで以来かれこれ40年の定番です。

それを持ち、がっぽりしたダウンのスタジャンを羽織って再び庭へ。

本日も晴天なり。ワクワクする設計が待っている。仕上がった設計のプレゼンテーションも待っている。他に何が欲しいというのか。・・・これで十分である。我輩は猿である。戦争のない時代に生まれ、愛情豊かな家庭に恵まれて育ち、家族と愛情を交わしながら泣き笑いして暮らす、とてもとても幸せな境遇の猿である。

こんな朝を繰り返して、気がついたら燃え尽きた炭になっていたらどんなにか幸せだろうなあ、などと。祖父のデスマスクがそうだったんですよね。白に近い灰色に年輪が浮き立って、笑うでもなく、泣くでもなく、命を燃焼し尽くしたことだけが伝わってくる顔。最後に入院する日の午前中、庭で脚立に登ってご自慢の庭木を整えていた。そして僕に言いました「ひでとし、仕事はあるか?そうか、だったらそれでいい」。

なんでこんなことを唐突に思い出したのか。明日は今朝の陽射しとは一転して雪の予報だから、つい故郷でのシーンが浮かんだのかもしれません。まあいっか。さ、仕事仕事。自分が燃え尽きるまで、あだ30年残っているのだ。え、たった30年?残りは1万日くらいか。多いと思ったり、少ないと思ったりする頭をぐるぐるっとストレッチして、「よせよせ、本当に考えるべきことはとても少ないものなのだ。今日に集中せよ」とつぶやく朝の庭。思えば今年はとても冬らしい冬で、これは数年ぶりのこと。オミクロンもそろそろピークアウトしそうだし、アマテラスが季節にメリハリをつけて、ホモ・サピエンスの心の復興を応援してくれているのだと、都合よく解釈しながら明日の積雪を楽しみに思う雪国育ちの特異な心境。雪自体は現場が滞るし、冷くて嫌なものですけど、いったん景色がモノトーンになってから翌日には見る見るうちに冴えたカラーに変化してゆくあの感じが、故郷の、希望に満ちた春の到来に似ていて、それでワクワクするんでしょうね。

さ、設計設計また設計。「ひでとし、仕事はあるか?そうか、だったらそれでいい」、年に何度か会うたびに同じことを言っていた笠智衆似の祖父。当時は少々ボケたのかな、などと思ったりしたものですけど、今となってはバンホーテン、時々啜っては穏やかに気合が入る定番の記憶です。

昨日も若くて賢いご夫婦が庭の相談に来られました。2人の目から鱗を落とすのにさほどの時間はかからなかったが、心配なのは帰宅してすぐにまた、雑草だらけの庭スペースから鱗を拾い集めて瞳に貼り付けていないだろうかということ。まだ若いんだからそれでいいんだ、と思ったり、気がついたら老人になっているぜと思ったりする頭をぐるぐるストレッチして、今はただ目の前の設計に没頭するのだと。