お上から緊急事態を宣言されずとも、毎日緊急事態だと思っている人は何とかかんとか生き延びられる、という実感。庭を楽しみ賢く暮らす人たちと接していると、そういうことなんだなあと思うわけです。皆さんそれぞれに、仕事、家庭、闘病、介護、子育ての悩み、夫婦の葛藤、ご近所トラブル、経済的困窮、今現在なんとなかしなければならない課題を抱えながら笑って暮らしている。ひとつの不安もなく、淀むことなくさらさらと行く川の流れのように暮らしている人なんてひとりもいないし、千日回峰行をやった阿闍梨さんだって、たぶんですけど、女房の口撃に怯えて、檀家さんの評判を気にして、寺の経営に悩んでいるんじゃないですかねえ。だからこそ、その苦しみを真正面から受けてしまう困った性格だからこそ常人が為し得ぬ修行にドM的に挑むわけで、つまりは高僧であっても日々の時間をいかにいい気分で過ごすかという細やかな幸福の実現を願望として、緊急事態を掻い潜り、四苦八苦しながら生きている。それでも笑うんだと、力を合わせて笑うんだと、ひとりでも笑って過ごすんだと、悲惨を極めている飲食業に限らず、それがスタンダードであるという所にいち早くたどり着いた経営者は、不思議不思議、知恵も浮かぶしファイトも湧いてくる。生きがいであり、糧であり、人生そのものとも言える店をたたむことの悲しさ、寂しさ、悔しさだって、大切な家族と自分の幸せを継続するための積極的な選択であるなら、きっと耐えられるし、また必ず立ち上がる日がやって来る、論理的な根拠はないですけど、絶対にそうなのです。お天道様は見ている、という非科学的にしてスピリチュアルめいた事柄が、政治家が読み上げる空っぽの言葉よりも、何百倍も胸に来ます。アマテラスよアマテラス、正直に、真面目に、愛情に立って暮らしている人たちを、ひとりも見落とすことなく導きたまえ。
なんか、夜明け前の、寒風がキツめの庭にて、こんなことを思ったのでありました。