庭のセットアップ
あまりの天気の良さに早めに帰宅し、犬たちと散歩を楽しんでから、庭の手入れに2時間ほどを使いました。
連日「草取りや手入れが大変で」という前提から始まる相談事に、いかにすれば楽になるかのあの手この手を話しているのに、当人はほとんど大変だと思ったことがない。それどころか贅沢な時間だなあと、今日のように仕事を少々サボってでもやりたいお楽しみなのですから、変なもんですよね。
自分の感覚のままに「雑草取りって楽しいですよ」などと言ってみたところでいぶかしげな顔をされるのがオチだし、どうしたものかと思うんですけど、考えたら庭仕事が楽しいタイプの人は、庭に関して何も困りごとなどないわけですから相談にはやって来ない 。来るとしたら「もっと楽しくしたいけど」という類いの相談で、これはもう、こちらとしても楽しい楽しい。その心持ちに引っ張り上げられるし、ぼくよりも高いエネルギー値を感じれば、即座にその人のハートに見えないコンセントを繋いで、無断でエナジーチャージです。
しかし大体は自分のエネルギーを消耗しながら、お客様のストレスを取り除くことが通常業務ですから、まずは「庭の手入れはストレスである」という立場に自分を置くことから会話は始まり、そのポジションのままで無事に任務を果たして、そして我に返って、さあ明日は夜明け前に雑草を引っこ抜いてしまおう。そうそう、芝生の肥料を買って帰らねば、となる。庭に関してとても裏表があるわけです。どっちが表かはメビウスの輪で不明ながら、本当は「庭の手入れは快楽である」という立場でのみ仕事がしたいなど、慢性的にそう思うわけです。言ってしまえば雑草にストレスを感じている限り庭を楽しむことはできない。苦労を減らしたところでそれが楽しさには直結しない。なぜそんな困ったところに立って、呆然と庭を見つめているのか、たぶん、ですけど、庭と対峙する心構え、設定がズレているんじゃないかなあ。でもまあそれが多数派ですから、いいんですよ、その感覚のままご来店くだされば。ご希望ならメンテナンスフリーの庭も提案できますし、とにかく庭を楽しむ暮らしを実現して欲しくて毎日庭でコンディションを整え、朝から気合を入れて店にいるわけですから。
ただ、わざわざうちに来なくても、設定のズレを修正できれば簡単に「手入れが楽しい庭」になりますから、雑草を見てはうんざりしているあなた、ちょっと脱力して、リラックスして、もうしばらく付き合いください。「そもそも論」で行きますので概念的ですけど、もしかしたらハッとしてGoood になるかもしれないので。
ではまいります。そもそもですよ、庭って何のためにあるのでしょう。これは庭をお持ちじゃない人たちは瞳をキラキラさせながら即答しますが、不幸にして、曖昧な概念のままで庭付きの家に住んでしまった人たちは即座に嫌な顔をする問いなのです。人は痛いところを突かれると疲れてしまう。疲れたくないから考えない。考えないから庭は楽しい場所にならない。楽しくないだけならまだしも、やがてストレスが積み重なって「ったく、なんで庭なんて場所があるの?もう嫌、こんな生活」と、中世ヨーロッパのお姫様のごとき悩みを抱えて、侍従に文句を言い、慌てた侍従長(ご主人)が「姫君、即刻この忌まわしき庭から草木を引っこ抜いて、防草シートを敷いて人工芝にいたしますゆえご安心を」となってしまう。珍しいことではありません。で、庭って何のためにあるのでしょう。答えはズバリ、「幸せな人生を送るため」です。
ではなぜ多くの人が庭によってもたらされる幸せを感じていないのか。繰り返しますけど、設定が合っていないから。パソコンみたいなもんで、セットアップしないことには役に立たないただの箱のまま。では設定方法は?このブログのアーカイブ『家族の庭のつくり方』をお読みください。あるいは姫君、図面と写真を持ってご来店を。毎日庭でコンディションを整えて、朝から気合を入れて、ワックワクで店におりますので。