見つめる
卵胎生(胎内で卵を孵化させ幼魚の姿で出産する)のミッキーマウスプラティ、たまらなく可愛いのです。

植物の成長が土次第であることと同じく、魚も水の状態が良いとイキイキと食べ、イキイキと泳ぎ、イキイキと交尾をする、彼らが人生を送る小宇宙の管理人としては、その様子がうれしくてうれしくて。草陰に4ミリほどの子供を見つけた時の興奮たるや、昨夜は水槽の前にあぐらをかいて、気がつけば30分も水中を見つめていました。

見つめること、これはぼくの癖というか特性かも知れません。水中を見つめながら思考は故郷の魚野川で鮎を追ったことから、やがてシュノーケリングを楽しんだ日本海へワープし、ついにはハワイのハナウマベイへ。お手軽な時間旅行です。

見つめるのに打ってつけなのがカメラ。スマホじゃなくて一眼レフ。広角なり望遠なり、普段の視野とは違う世界を見つめて、どこにピントを合わせるのか、光の状態は、背景のボケ具合は、シャッタースピードは、この一連の考え事が別世界へといざなってくれる乗車券。

この頃、何かを見つめたことありますでしょうか。見つめる、見つめる、見つめる。違う世界に入り込むまで見つめ続ける楽しさよ。そういえばもう何年も、女房を見つめていないなあ・・・などと。出会った頃は永遠に見つめていたかったのに、いつの頃からか彼女と目が合うと、何を言われるか怖くて怖くて。ま、戯言です。
さ、仕事仕事。まだ現世に出現していない幸福な庭風景を見つめて、設計設計また設計。

そうか、見つめることが好きなのは、仕事柄なんでしょうね。ゼロから価値ある空間を生み出すためには未来を見つめないことには始まらない。そして卵胎生、感動の卵を脳内で孵化させてから出産する、その繰り返しをひたすら繰り返して、かれこれ30年が経ちました。

以上、水槽を見つめているうちに、水中を漂い、やがて海馬を漂いつつ前頭葉で思ったことでした。