滝沢さんちの草花をご覧いただきながら、昨日前振りした「庭の草木に癒される」ということについて書きたいと思います。
春の草木の、その生命力に満ちた成長の様子が暮らしに元気を与えてくれる。これは庭を楽しんでいる人なら、誰でも感じることだと思います。
その、庭から感じる「癒し」には二種類あって、痛みや傷が快方に向かう癒しと、平静な状態から何かが活性化していく癒し。マイナスからプラマイゼロへの癒しと、プラマイゼロからプラスへの癒しです。どちらも自分をプラス方向へと導いてくれることなので、特に区別することもないんですけど、あえて分野別けをするなら、ぼくが目指している庭はプラマイゼロからプラスへの癒しを感じられる「プラス域の庭」です。
健康で平静な日々を送る人でも、心身が疲労することや、心の波動が下がることってありますよね。そういうときに、暮らしの中に良くできた庭があると、リチャージできます。
うちのお客様には、日々尋常ではないストレスを受けながら働いている方が大勢いらっしゃいます。飛行機乗りや毎日刃物で人を切る仕事というような人の命を預かる仕事。あるいはもめ事が次々舞い込んで来る法的助太刀業といった人たちです。ストレスのかたまりになることを生業としているそういう方々は、みなさん庭が大好きで、中には奥様の出番がないお宅もあるほどです。
仕事がきつい分、家に帰ったら、庭でリラックスし、リチャージし、リフレッシュする。そしてまた元気に仕事に向う。これが「プラス域の庭」です。
大人だけじゃなく、子どもたちもまたストレスと戦っています。大人がストレス貯め込んでいるのですから当然のことです。登校拒否や情緒不安定、小児性の鬱病などは増加する一方だそうですし、そこまで行かなくても、子どもの笑顔やはしゃぎまくる姿が昔にくらべて少なくなったことは間違いない。何かが歪んできてるんですよねきっと。
ぼくらの頃はそんなことなかったんですけどねえ。少なくともぼくの幼少期は泣いたり笑ったりしつつもストレスはゼロで、基本、来る日も来る日もボーッと流れる雲を眺めていたような、そんな気がします。今は子どもにとっても大変な時代なのです。
そんな子どもたちにとって、親が庭を楽しんでいる姿、親と一緒に庭で笑い、汗をかき、転げ回る時間はとても重要です。そういう庭があって、そういう大人の中で暮らしていれば、・・・どうですか?絶対に大丈夫ですよね。その子たちは大丈夫。
だから「今はまだ子育てが大変だから、庭は・・・」というのはちょっと。
子育てにはいい庭が必要です。庭は子どもを育て、親も育ててくれるのです。
昨年の今ごろ、佐島の北原さんちで清水国明さんとお会いする機会を得ました。立ち話でしたが、初対面のぼくに「自然育」について熱く語ってくださいました。
河口湖に遊びに来る子どもたちを見ていると、ちょっとかわいそうな状態の子がけっこういるんだよ。土に触れないとか虫が嫌いだとか、そしてそういう子たちは笑顔が少ないんだなあ。きつく言えばちょっと壊れかけてる子が多くて、そして必ずその子たちのおかあさんが同じように壊れかけている。おかあさんが先か子どもが先か・・・たぶんおかあさんだと思うんだけどね。壊れたおかあさんが子どもを破壊していってる感じ。
それをね、自然教室で癒してあげたいんだ。「自然育」って名付けたんだけどね。表向きは子どもたちに対してだけどね、実はおかあさんたちへのメッセージなんだよね。
(ぼくの名刺を見ながら)ほおほお、いわふちさんはガーデンデザイナーなんですね。へえ〜ファミリーガーデンをテーマにしてるんだ。家族には自然が必要だよね。うん、絶対に必要。
「家族には自然が必要」。家族や子育てのことでは人一倍苦労してきた国明さんの言葉だけに、ズッシリと重く響きました。
話を「庭で癒される」に戻しましょう。
庭が担える役割り、大きな可能性のひとつが「癒し」だということ。そしてぼくが目指しているのは「プラス域での癒しの庭」だということ。ストレスにさらされる仕事の人ほど庭に夢中になるということ。庭は子どもを育て親も育てるということ。
そして今日は、国明さんが言っていた「家族には自然が必要」ということについて書きたいと思います。
なぜ自然が必要なのかはぼくの息子が言い当てています。
高校生の息子は休みになるとぼくの実家の新潟に遊びに行きます。行って何してるのかと言えば、冬はスキー、夏は虫獲りと魚釣り、他の季節は近所の山や河原を歩き回ったり、畑仕事を手伝ったり。今回のゴールデンウィークは山菜採りをして、大きな段ボールいっぱいの山菜を持ち帰りました。
「どうしてそんなに新潟に行きたいの?」と聞くと「時々自然の中に行かないとバランスが取れないんだ」とのこと。ウ〜ン・・・、素晴らしい自己分析!と感心しつつ、都会ではバランスが保てないと言う息子の先行きがやや不安にもなりました。
でもこの「時々自然の中に行かないとバランスが取れないんだ」という感覚は、まだ柔らかい感性を持った高校生ならではの正直なものだと思いました。
その自然豊かな新潟で育ったぼく自身も、高校生のときは毎週山に行っていました。越後三山、守門岳、浅草岳、平ガ岳、谷川連邦、尾瀬、取り憑かれたように毎週毎週登っていました。その時の気持は、そう、今の息子と同じで「山に行かないとバランスが取れない」でした。暗いうちに家を出て、一日無心で山歩きをすると、自分の中のまっさらな自分に返れる。その心地よさが山に向わせていたのです。
実はみんなそうなんです。自然の中にいるときの人間が最もいいバランスで生きているのです。登山をして、頂上で何が飲みたいかというと、コーラやビールじゃありません。水です。食べたいものは、塩むすびです。ものすごくシンプルはものを欲するようになります。これが自然の中のバランスがいい状態。
山道で人に会うと、だれでも笑顔で挨拶します。きつい上りの最中でも、ムスッとして無言の人はいません。自然の中にいると自然な笑顔になるという、これもバランスがいい状態。
ちょっと長い前振りでしたが、この自然によるバランス調整、自己回復が庭による「癒し」なのです。
自宅の庭で自然を感じ、それに包まれることでストレスを消し去って、まっさらな自分に戻れるとしたら、最高でしょ。生活の中にそういう庭があったら、人生は光り輝くものになりますよね。そして夫婦関係も、親子関係も、子育ても、介護も、元気に前向きにやっていけると思います。
「家族には自然を感じられる庭が必要」
明日は滝沢さんちの庭に、突然舞い降りた天使のお話です。
先日、早朝に妻と庭に出て、芝生の雑草を取りました。辺りがだんだん明るくなってきて、ウグイスが鳴き出して、遠くに見える大船の観音様が微笑んでいるように感じた朝。「庭っていいなあ〜」と実感したその日は、いつもの倍、仕事がはかどりました。