横浜の高台、まだ手つかずの自然と、古くからの地元民の暮らしからにじみ出る情感や人情味が漂う、そんな場所の新築住宅です。神社が近くにあって、家の周囲は畑と雑木林と地元の植木屋さんの資材置き場。いつかはここも宅地開発が攻め込んできて街が形成されるのでしょうが、それはまだまだ先のこと。今が旬ののどかさを感じます。「よく見つけたなあ」とうらやましく思いました。
ご主人が店に来られてあれこれお話しした時点で私の中で設計のテーマは決まっていました。“子育てのための庭”です。元気な男の子が2人、その子たちへの父親の思いが、同じ父親同士だからでしょうかとても強く感じられて、「このお父さんは今、とても新剣に、人生でもっとも重要な局面と感じながら子育てを生活の真ん中に置いた日々を送っているのだ」かつてレノンに倣って、ハウスハズバンドを目指して家事育児に奮闘した数年間が鮮明によみがえったのでした。
こと男の子となると、父親は妙に力が入るものです。それこそ自分の持っている価値観や今まで自分の中に蓄えられてきた幸福感を100%その子に伝承しようと。そしてさらにそれを原資として、いつか私を乗り越えて私以上の価値ある人生を築いて欲しい、そういう感情が止めどなく溢れ出てくるものなのです。その思いが世の父親を、スパルタ教育の星一徹に、不器用に背中を見せる寺内貫太郎に、主夫ジョン・レノンに変身させます。きっとこれが父性本能ということなのでしょう。
で、当初は目隠しと植栽だけをイメージしていたご主人に、「もっと庭を楽しみましょうよ。そうするべきです」と半ば押し売りのように提案したプランがこれです。
今回のシリーズでは、このプランにどういった“子育てファミリーガーデン”の要素が隠されているのかを解説してみようと思っています。
妻カオリとスタッフの山本が気づかってくれてブログを手伝ってくれるとのことなので、お言葉に甘えて私のアップは飛び飛びになるかもしれませんが、その分B型女性軍が楽しいネタを提供してくれると思いますので、今後ともよろしくおつき合い下さい。
私自身の“男の子の父親観”に(当初、高野さんの気持は放ったらかしで)ピタッときた今回の設計でした。幸い高野さんご夫婦が共鳴してくださったので実現できた庭です。まずは恒例のビフォー・アフターをご覧下さい。
Before 1
After 1
Before 2
After 2
Before 3
After 3
Before 4
After 4
で、“男の子の父親論”は次回から。なんか大げさですけど、あらかじめ言っておきますがそんな大したことではありません。ただ「うちの旦那は何でこんなに親の自覚がないんだろう。これじゃ大きな子供が一人増えた母子家庭だ」となげくお母さんには、もしかしたら参考になるかもしれません。けっこう多いんですそういうお母さん(奥さん)。
夕べはお客さまからBBQにご招待いただきまして、「いや~最高でした」。心地よい夜風と美味しい肉と、旧知の仲のように歓待してくださった若いご夫婦とのすばらしい一時でした。生き返りました、ホント。多謝!
で、今日はやや本気モードの重いと言えば重い話で、ブログでこういうのはどんなもんかなあと、正直やや腰が引けていたのですが、でもとても大事なことで、且つ子育てに疲れたり迷ったりしている人たちに伝えたいと思っていることのひとつなので、昨日BBQでチャージしたエネルギーを使って一気に行きます。
高野邸 “子育ての庭” はいくつかのゾーンに分かれています。縁側、芝生、ガーデニングスペース、テラス、木陰の遊び場。
出来上がった庭全体を眺めると、リビング前のテラスがメインという印象になっていますが、実は私が設計段階でいちばん提案したかったのは縁側なのです。
その訳は私自身の記憶の中で、実家の縁側を舞台にした幼い日のシーンの数々が、色あせない宝物として今でも鮮明に残っているからでした。縁側があって、坪庭があって、その向こうは畑といういかにも田舎な感じの庭での記憶。スイカの種を坪庭に向かって飛ばし、蚊取線香焚いて昼寝をし、夏休みの宿題、七輪、シャービック、ソーダラップ、少年サンデー、ソノシート、いちご、ネギ坊主、虫かご、沢ガニ、ヤモリ、シマヘビ、カメ脱走事件、いつも10円くれたひいおばあちゃん・・・。少年がその縁側に座って思ったこと、考えたこと、感じたこと、ボーッとしていた時間、その縁側でできあがった何かが、ガーデンデザインを生業とする今の私の成分の何割かを占めています。
縁側はもの思う場所。子供も大人も縁側で心の内側を育てるのです。最近流行りのアウトドアリビングの原点といいますか、やや大げさに言うと箱の中で暮らしている人間が、カエルが水面に呼吸しに出てくるように、外の世界(地球・大自然)を感じて自分をニュートラルポジションに戻すという、禅的な役割を持った場所だと考えています。話それますけど、先日BBQにご招待いただいた石川さんの奥さんが「子供が寝てから主人と縁側に座っていろいろ話すんですよ」とおっしゃっていました。コノコノー!私、そういう提案はしてますけど、実際にそのような日々をお聞きすると、うらやましいといいますか、いつまでもその新婚さんモードを維持して、歩き疲れ、時々足がつり、道に迷いがちな私たち夫婦の横浜マリンタワーのような存在でいてくださいませ、はい。さらに話それますが、名曲“ブルーライト横浜”のブルーライトとはバンドホテル(現ドンキホーテ)から見えたマリンタワーの灯なんだそうです(横山 剣)。ついでに、マリンタワーは巨大な灯台なのです。みなさん知ってました?
軌道修正。縁側の外にはいつもお父さんが黙々と手入れしている芝生があって(わが実家では芝生ではなく坪庭で、いつも祖父が丹誠していました)その向こうにはお母さんが花や野菜を育てている。朝ご飯を作りながら「ねぎとってきて~」と子供にざるを持たせる、高野家のそんなシーンをイメージしての設計です。ちなみに、使用したのはタカショーの“e-ウッドユニットデッキ”。本来はウッドデッキ用の製品ですが、質感と耐久性がいいことと、基本寸法が900×900で、座布団敷いてお茶が飲める幅を確保できることが気に入ってよくぬれ縁として提案・使用しています。
庭がある暮らし。雑草を抜いて、野菜を育てて、そういう親の姿を視界に捉えながら、日焼けと泥で真っ黒になって夢中で遊び回る男の子。それで万事OK! 問題なしです。
前回の縁側に続いて、今日はリビング外のテラスです。さあ、ここからが父親論。いつもの癖で延々長くなりつつ話がそれて行くといけないので、まず結論から言っちゃいます。男の子の父親の心理は「生き直し」です。自分のこれまでの人生を子供に投影して、自分がもう一度やりたいことをその子にやらせ、後悔していることをその子には繰り返させない、これが父親の心の中の全てと言ってもいいのです。母親が女の子にこれと同じような感情を持つということは常識的に皆さんご存じのこと。でも父親もそうなんだというのは、奥さんが自分のお父さんからは感じ取れなかったことではないかと・・・、はい。子供とじゃれてるご亭主を見ながら「うちの父とは違う」という感じ、あるんじゃないですか。
私たちの親世代はたぶん今とは大きくちがっていて、父親が一家の主として頑然と立つ姿を見せることで子育てしていた。育てるというより、「俺の背中を見ていれば子供は自然と育つ」という感じで、自分が家族の長であること、家族内の価値観や約束ごとを決定付ける力と立場を持っていることが父のアイデンティティだったわけです。茶の間のテレビがいちばん見やすい“父の席”には父が留守でもだれも座らなかったでしょ。それが今では・・・私が座っていないと家族がその席を奪い合って・・・。
世代的なこの変化が教育上正しいことなのかどうかはわかりませんが、私たちの父親よりも私たちの方が肩の力が抜けていて、子供と友だち感覚な付き合い方をしている人が多い。私もそうです。それが高度経済成長のまっただ中で家族を顧みるヒマなどなかった父たちへの反動なのか、単に頑固な父を演じられない軟弱な男が多くなったのか、大人の役割をはたせない未成熟なおとなこどもなのか、まだ当事者なので・・・?です。ただ、私は子供と同士的でいることが心地よくて、クルマは「アイ・アム・ア・ファーザー」のBOXYだし、息子と共通の昆虫趣味は、(息子も一緒に)たぶん一生続くだろうと思っていますし、いつかいっしょに世界一周クワガタ獲りに行きたいと考えています。私と私の父との関係ではありえないことです。
今時の父親の“生き直し”、欧米的であることは間違いないと思います。アフリカ的か、エスキモー的か、ポリネシア的かとなると知識が乏しくわかりませんけど、アメリカ・ヨーロッパ的です。ですから、社会のグローバル化による変化、なのか、経済的に豊かになって教育も進化したことで、コミュニケーション能力が上がったのか。要するに、昭和元禄の終焉、時代が変わったのですよ。







で、リビング外のテラスです。リビングルームの主人は今や父親から母親になりました。ことに子供が小さいうちはお母さんの号令に従って家族全員が行動します。えっ、そんなことないですか。「はい、早く食べてね~」「パパは先にお風呂入ってくださ~い」「子供たちはもう寝なさいよ~」でしょ。
でもリビングから外に出れば、そこでの主人はお父さんです。これって湘南スタイル。湘南の庭は“家族が過ごす外の部屋”で、そしてそこではお父さんがスキッパー、子供と奥さんはクルー。船上ではスキッパーの判断と指示が絶対で、それは小さな漁船でも屋形船でも豪華客船でも同じ。湘南のおじさんたちが総じてカッコイイのは、その船乗りの掟が影響しているのかもしれませんね。とにかくリビングから外に出たらお父さんが舵取り役で、特にバーベキューのときの炭の扱いは「おんな子どもにまかしちゃおけねえ」とばかりにタオル頭に巻いて父親力を見せつける大事な場面ですから、家族に内緒で火熾しの練習はしといた方がいいかもしれません。男の子がいる家でお父さんがかっこ良く父権を発揮する場所、その子たちから尊敬と羨望のまなざしを受ける、今や残された唯一の場所、それがリビング外のテラスなのです。 「アイ・アム・ア・ファーザー!」
縁側・芝生・畑、テラスときて、次は子供たちの遊び場です。
“子供の頃は一日がとても長かった”そう思いませんか。歳を取るに従って体感速度が上がって、ついこないだ「新緑は気持いいなあ」と思っていたのに「えっ、もうすぐ夏休みなの!」てな感じです。これは経験値が上がることによって起こる心理的現象で、バス旅行のときに行きよりも帰りの方がはるかに距離が短い感じがする(そういう経験ありますよね)のと同じこと。子供にとっての一日は私たち大人の一年分ほどいろんなことを感じ、吸収しているんだと思います。このままどんどん時が早く過ぎていくようになると・・・、ああ嫌だ嫌だ。子供のように感性豊かに何事にも興味津々で、新しいことを次々吸収しながら一日を長く濃く過ごしたいものです。
で、テラスの脇、物置きの前が子供たちの遊び場です。まだ工事が終わったばかりで草花も植わっていなのに、男の子2人はすでに夢中で遊んでいるようです。
この、遊べる場所を瞬時に見つけて夢中でのめり込んでいくパワーを目の当たりにしたときに、父親は自分がもう子供ではなくなってしまったんだということに気付きます。同時に、子供のときの方が自分は自分らしくてかっこよかったし、今に比べたら一日の充実度は格段に高くて、つまり、わが子の方が今の自分より人間として優れた能力を持っていることを知るのです。そして昨日書いた“父親の心理は『生き直し』です”の“生き直し”が始まる。子供に、大人として指導するのではなくて、自分が失ってしまった強烈な子供力に一瞬たじろぎながらも「な~に、おれだって昔は立派な子供だったんだ」と子供に張り合って、(全力を尽くして)かろうじてリーダーとしての威厳を保ちながら、ガキ大将の座を確保する。要するに子供に負けないようにいっしょに遊んでしまうのです。お母さん方、そういうことなんで、大きな子供が増えたと思って許してあげてくださいませ。そのうちお父さんは子供に太刀打ちできなくなって、その後、ちゃんと一家の主に戻りますから。だって、子供と取っ組み合いして負けそうになったら「俺はお前の親なんだぞ!」と憮然として背中を見せて黙り込むしか道は残されていないのですから。ほんの数年、今だけのことですから、男の子の父親(弱体化したつかの間のガキ大将)をやらせてあげてください。
父親にとって男の子は自分の分身、女の子は妻公認の家庭内恋人、そういう感じなんじゃないですかねえ。ところで、母親にとっての男の子女の子ってどういう感じなんでしょうか。単純にその逆なのかな。まあ、それはともかくとして、“子育ては親育て”なんですよねぇ、ええ。
高野邸の庭、工事は完了したものの、ファニチャー、バーベキュー用品、草花はこれからです。先日ご家族そろって花を選んでいる様子を見かけて、とてもうれしくなりました。そうやって家族全員で植物を選んで、育てて、みんなで遊びまくって、喧嘩して、泣いて、笑って、子供も夫婦も植物も、ジャングルみたいに逞しく豊かに育ってほしい。この庭がその舞台になってくれたら最高です。
現在植わっている樹木は、上から、シマトネリコ、エゴノキ(左)、エレガンテシマとブルーアイス、キンモクセイとサツキです。
まだ草花が1本も植わっていないこの状態から、1年後、2年後、3年後、そして10年後、20年後、どんな庭になっているのか。またひとつ、長~いノリの楽しみが増えました。
いかがでしたでしょうか、子育ての庭。書いていて、自分の経験も思い出しつつあらためてつくづく思ったことは、子育ては親育て、育児は親の修行なのだということでした。純粋無垢な子供たちによって親が一人前の親に育てられていくんですよね。そしておせっかいにも、この庭はご両親にその修行をある程度強いている設計なのです。芝生の手入れと野菜や草花を育てるということです。お父さんお母さん、がんばってくださいねぇ。
誰だってやったことない親勤めを最初から見事にやれるはずがなくて、この汚れ無きわが分身をどう守り、どう導いてあげようかと四六時中考え、あれこれと試行錯誤をした結果、子供と一緒に親が育つ、そういうものなんだなあと。
撮影していて思わずグッと胸が熱くなったのが、おもちゃのシャベルに貼ってあったネームシールでした。このおもちゃを買って、兄弟2人の名前を張り付けたときのご両親の心の内は、とてもピュアな“親”そのまんまの、かけがえのないものだと感じました。
で、私の胸に来たその瞬間をスペシャルにメモリーしておきたくて、フォトショップで絵画風に加工してみました。
男の子、父親、お母さん、家族が育つということ、いろんなことを考えながら設計したこの庭が、高野さんご一家のスクスク元気な、力強い成長の舞台になってくれることを願っています。
「高野さん、ありがとうございました。バーベキューやる時は声かけてくださいね、食材持参でうかがいます」
超大型台風が進路を港南台に向けて進行中。九州のグランド工房さん他、同業者の皆さん大丈夫かなあ。あと姫路にあるカオリの実家、それほど頑丈な建物じゃないので。それで、このまま進路を変えずに横浜直撃したら、あちこちのお客さんの庭が・・・、えらいこっちゃ。まあジタバタしても始まらないので、落ちついてお出迎えしましょう。それにしてもすごい勢いですね、ニュースを見てるとゾッとします。ラニーニャかエルニーニョかわかりませんけど、地球の人類への警告ですよねこれって。いいかげんにきちっと地球に謝罪してエコロジーでロハスな暮らしを始めないとね。
18歳のときに新潟と群馬の県境にある浅草岳(1500メートル)に無謀にも台風最中に単独行したことがありまして、猛烈な風と雨で一歩も動けずに数時間、木にしがみついていたことがあります。そのとき思ったことは「お願いだからもう少しだけ生きさせてください」でした。人間などまったく太刀打ちできない自然の力。その自然に生きさせてもらっているということを忘れたら、そりゃあ痛い目にもあいますよ。みんな気付いていますよねえ、気候が変わってきていること。観測史上最大級だという今回の台風、早く勢力が弱まってくれるといいのですが。