横浜市栄区の丘の上にある閑静な住宅地にお住まいの鈴木さんから、駐車場スペースを1台から2台に広げたいという依頼がありました。現状はご覧のようにいたってオーソドックスな仕立ての外構で、落ちついた住宅地にマッチし、よく手入れされた生け垣から、充実した暮らしぶりがうかがえます。
さて、まず考えるべきことはオープンにするかクローズにするか。クローズの Plan A とオープンの Plan B を作成。ついでに庭のリフォームプランとして、現在の芝生の庭をベースにして、 A はウッドデッキ、 B はテラスを組み込みました。
Plan A
Plan B
B をもとにして、既存のカーポートを片屋根タイプにし、オーバードアを無くすことで、クルマの出し入れがしやすい広々スペースを確保したのが次の Plan C です。
Plan C
さらに、細部を変更して(ご主人がとても熱心で、あちこちにご主人からの提案やアイデアが盛り込まれています)、完成したのが Plan D です。
Plan D
明日はビフォー・アフターです。ガラッと変わりました。
Before
After
Before
After
Before
After
Before
After
この鈴木邸があるのは栄区桂台、相模湾から鎌倉の森を通過してきた心地よい風が吹く住宅地です。アフリカ人は“いい風”が吹くところに家を建てるそうで、その話を聞いてから“いい風”を意識するようになったのですが、ここ桂台の風は海と森のエッセンスを含んでいてその混ざり具合がとてもいい。一年中、さわやかで柔らかい風が吹いています。そうそう、風が吹くというより、そういう風に包まれている感じの街なのです。そして鈴木さんちはこの外構リフォームで、その良質の風をさらに取り込める家になりました。
娘さん一家がしょっちゅう遊びに来れるように駐車場を広げたいという、実用面での目的で始めたガーデンリフォーム。庭スペースが今までよりクルマ1台分狭くなったわけですが、楽しさは倍増した気がします。お孫さんが芝生ではしゃぎまわったり、庭でワイワイとバーベキューを楽しんだり。近所の人たちも声をかけてきて、参加者と持ち寄りの食材がどんどん増えていく、そしてそこに“いい風”が吹き抜けていく。そんな横浜ロコな休日の庭シーンが浮かんできます。
メインとサブの2台分の駐車場が出来上がりました。素材はヤキスギレンガとまくら木です。サブスペースは来客用なので普段は日当たり良好。わだち以外は芝生を張って(ご主人が芝生好きなのです)、前庭感を出しました。たとえば、この2台分のスペースがコンクリートだったら・・・、味気ないですよね。実用性を維持しつつ、シンプルに、できるだけナチュラルな素材でまとめるということで、駐車場もご覧のとおり前庭の一部になるのです。
芝生の手入れはちょっと・・・という場合は、クルマがまたげる程度の背の低い草花を植えてもいいですし、それも面倒という方にはヘデラ(常緑のアイビー)をおすすめしています。ヘデラなら年に何度か徒長した茎をつまむだけで、ほとんど手入れがかかりません。
大人数のパーティーの時は、ここにもイス・テーブルを出して(町内みこしの休憩所みたいに)、この住宅地は、そんな田舎的光景もイメージできる落ち着きと、良好なご近所付き合いがある成熟した街です。
宅地分譲が始まって、次々と新しく若い家族がやってきて出来上がった街が、20年、30年と経つうちに、街もそれぞれの家族も成長していきました。三代目となるお孫さんが遊びにくるのを楽しみに、おじいちゃんおばあちゃんが若夫婦用の駐車場を広げるようになったのです。
街のスタート時点で同世代だった住人もほぼ同じように家族構成が変化して、今では若い人が少ない静かな街になっています。住んでいる人たちは「小さい子どもがほとんどいないから静かすぎて寂しい」とおっしゃいますが、ここのようにいい風が吹かない東京などの場所から遊びにくるお孫さんたちにとっては、静かでのどかで温かい、優しいおじいちゃんやおばあちゃんが迎えてくれる幸せな場所として記憶されることでしょう。それはその子たちにとって一生の宝となるのです。歳とったらそういう役回りを果たすのも浮き世の勤め、越後の山奥で育った私にはこういった田舎っぽい感覚が、人生上のけっこう大事なこととしてインプットされています。
あなたがお住いになっている街の年齢は何歳でしょうか。昨日に引き続いて、街のライフサイクルについて考えてみましょう。
100年以上前からあった街は家ごとの家族構成がまちまちで、いろいろな年代の人によって街が構成されています。しかし街の歳が若いと、例えば宅地造成から25年の住宅地では、子どもは独立して家を離れ、ご主人はそろそろ定年ということになります。子どもたちが遊び回る姿や歓声が無い、静かで落ち着いたライフサイクルに入ります。その後何十年かかけて、若い夫婦が引っ越してきたり、子世帯が戻ってきて同居をはじめたり、そうやって世代が混ざってきて、そこまでいってようやくその街が街として安定したエイジバランスを得ることができるのです。そのバランスが整うまでは、成熟した街に必要な祭事や行事も成立しづらくて、なかなか地域コミュニケーションの厚みも出てきません。隣近所の相互扶助、地域が子どもたちを育てる、大人どおしが生き甲斐を与え合い増幅し合う、そういう古き良き昭和的価値を持った街は、街年齢的には50歳以上から、そんな気がします。
横浜港南地区にはちょうどその“静かなサイクル”に入った住宅地が多くあります。庄戸、野七里、上郷、本郷台、小山台、丸山台、舞岡・・・。造成、分譲から20年~30年、どこもいい感じに木々が育って、住んでいる人たちも熟年世代なので、庭に花を咲かせて、日だまりで野菜を作り、生け垣や芝生を手入れし、充実した日々を送っている感じが町並みから伝わってきます。そういう街は、この先10年20年で、さらにワンランク上がった本当に魅力的な街に進化するのです。
ですから、ここで提案です。これから新築を考えている若いご夫婦へ、新興住宅地で物件を探すよりも、現在静かになっている、落ちついた、年齢層の高い住宅地での新生活をイメージしてみてください。新築でも、しっかりした造りの中古住宅でもいいので、熟年層が多く住んでいて、街路樹や庭木がしっかり育っている街。健康で明るいお年寄りが大勢いる街。10年後に理想的な地域コミュニケーションが完成する街。そういう場所で子どもを育て、家族で地域の行事に参加し、円熟期を迎えようとしているその街の担い手として、ご近所の方と親戚か家族のような感じで日々生活するというのはいかがでしょうか。ピカピカの新しい街で子育てし、定年の頃には子どもが独立して“静かモード”になった街で老後を考えて「そろそろ海辺のマンションに引っ越そうか」(それも素敵ですけど、それではお孫さんのふるさとがなくなってしまいます)というのと、自分の街、子どもたちが自分のふるさとと思える街で暮らすのとどちらが豊かでしょうか。
高度経済成長期なら別ですが、21世紀は心の時代、心豊かなことが時代的価値となる時代です。今はアメリカ的価値観からヨーロッパ的(アジア的かも)価値観への転換期なのです。時代感覚をもって先を見据えれば、これからどこに住んだら家族が幸福になりやすいのか、有利なのかということをぜひお考えください。港南台周辺のそういう住宅地は一部過疎化が始まっていて、優良な中古物件がたくさんありますので、今がチャンスです。ちなみに私は庄戸のいちばん上の山際で「ウグイスがうるさくて寝てられねえよ」と文句言いながら、円海山(庄戸から散策路が延びています)にカブトとクワガタを増やしつつ、野菜とハーブを育てながら暮らしたいと妄想しています。
鈴木さんのご主人は芝生好き。芝生の手入れは20年以上ご主人の担当だったそうです。何のお仕事をされてきたのかお聞きしていないのでわかりませんが、とてもおだやかでありながら、部下に慕われ、一流の仕事をされる(めざしたいところですが、ということは私は現在そうではないわけでして・・・)、そういう感じを受けるご主人で、芝生の手入れも丹念に繰り返してきた様子がうかがえました。ただ、これは手入れの問題ではなくて、下地の水はけが悪くて年々ゆっくりと弱ってきている状態で、この際下地からやり直そうということになりました。
古い芝をはぎ取って、水はけを良くする芝用の土壌改良をして張り直したので、この夏は毎週芝刈りを楽しんでいただけると思います。
芝刈り、雑草取り、水やり、施肥、目土、エアレーションと芝生の手入れは一年中続きます。それを柔らかい表情で淡々と繰り返す芝生マニアがかもし出す独特の雰囲気、一言でいうと“豊か”です。もう少し解析すると“おだやか”で“まじめ”で“哲学的”で“健康”です。ご近所の、芝生がきれいな家のご主人か奥様か、芝生担当の人を観察してみてください、きっとそういうタイプなのです。これ、今までほとんど外れたことがありません。ですから逆説的に言うと、“豊か”に暮らしたい人は芝生を始めるといいのかもしれません。
日々「芝生の手入れが大変だから」という相談を受けていて、芝生の手入れや雑草取りから解放される庭を提案していますが、静かでバランスの良い幸福感をめざして“芝生を張る”ということもご一考ください。ついでに付け加えますと、長年芝生の手入れをしてきた方は総じて長生きです。
鈴木さんちの庭でいちばん目を引く木はシラカバ(シラカンバ)です。今日はそのシラカバの話を。
若い頃(こういう言い方をしてしまう年齢になったんだなあ)歩き回った新潟、群馬、長野の山々での記憶にシラカバはあまり登場してきません。今思い返して自分でも意外だったのですが、たとえば中学高校と頻繁に行った尾瀬。尾瀬沼から尾瀬ケ原を通り抜けて沼田よりの鳩待峠まで、その景色にはほとんどシラカバは登場しません。でも土産物屋に行くとシラカバ細工を売っているましたので、私にはシラカバというと、山から下山してから目にする観光地のお土産というイメージがありました。尾瀬沼のほとりや尾瀬ケ原の背景で朝夕、四季折々に表情を変えながら美しさを提供してくれている林はシラカバと同じ樺の木の仲間のダケカンバです。山小屋のおやじの説では、ダケカンバはシラカバより標高が高いところに生息するのだそうで、尾瀬ケ原の標高は1500メートルで、シラカバが生い茂る軽井沢は1000メートルですから、その間に標高による植生区分があるということなのでしょう。
後年、ハードな登山ではなくて高原散策する機会が増えてきて、軽井沢、蓼科・・・、そうするとシラカバはつきもので、観光地としての演出もあるのでしょうが、これでもかこれでもかと絵はがきのようにシラカバが登場します。高原の風景には欠かせない木になっています。
登山は基本的に独りで楽しむ時間。パーティーで登ったとしても、気分的にはでっかい自然と向き合うのは自分ひとり、そういうものです。それに対して高原散策は連れ合いや子どもや友人たちと、その風景と空気を共有するという、登山とは違ったコミュニケーションを伴った幸福感があります。その高原リゾートでの幸福な時間を象徴する木がシラカバで、それを我が家の庭にというご希望は年々増えています。それに合わせて改良品種も増えてきて、以前は関東の住宅地では暖かすぎて枯れてしまったり色が白くならなかったりしたシラカバも、今では安心して植えられる木になってきました。
ヒメシャラ、ヤシノキ、ジャガランタ、そしてシラカバ。こういった個性的で、その背景に家族のリゾートでの満ち足りたシーンが広がる、そういう木々を庭に植えるという発想が、ファミリーガーデンをより魅力的にします。
鈴木さんの奥様からご連絡をいただいて最初に現地に伺ったとき、大量にぶら下がっていた庭のレモンを数個もらって帰りました。これが美味くて、妻と台所でガブリ! 残りはジンで割ったりサラダに使ったりで、感激の味でした。野菜も果実も、自家製の採れたてはスーパーに売っているそれとはまったく別のものです。
今は花が終わって小さな実が付いたところ。また来年、いい感じに実った頃を見計らって「お庭の具合はいかがですか~」と覗きにいってみようと企んでいるしだいです。
鈴木さんちの最終日は草花をご覧下さい。
心地よい風が吹く静かで落ち着いた住宅地で、静かで落ち着いた、充実した日々をお過ごしの鈴木さんご一家。シラカバ、レモン、芝生、草花、時々遊びにくるお孫さん。その平静な日常を実現することがいかに大切であり且つ困難であるか、我が家に照らして深く考える機会を得た仕事でした。私もご主人にならって芝生をはじめようかと・・・(カオリ/エエッ! シバフウ! どこでえ~! 誰が手入れすんの~! いいかげんにしてよ~!)・・・静かで落ち着いた平静な日常・・・かあぁぁぁ・・・。