庭が完成して、撮影にうかがって、その写真をブログ用に整理しながら「この写真にはこういうコメントを」とか、あれこれ考えるのが楽しい楽しい。そうしながら準備完了して、こうして書き込むときがまた楽しい。皆さんに親友を紹介するような、そのつど新鮮な、活性化した気持ちというか高揚感がいいんだなあ。
庭の設計とブログでのでき上がった庭の紹介。忙しさの中で自分らしさをキープするためのスタイルになっています。いいバランスです。
ではまいりましょうか。
Beforeはこうです。

小池さんちは新築で、建築計画進行中から声をかけていただきましたので、ジックリと、何度もプランを練り直すことができました。
最初にご提案したのがこれです。
Plan A

駐車場を含めて、庭以外の外構が外構っぽくならないように。庭とリビングが道路側なので、適度な目隠しを施す。この2点を意識してプランしました。あと、庭については「過ごす」ということに重点を置いて組み立ててみました。
同じ考え方で仕立てを変えたのが次のPlan BとPlan Cです。
Plan B


家が完成した時点で、ご夫婦ともに庭部分のイメージがピタッときていなくて、とりあえずリビング前以外を施工することになりました。その完成を見て、しばらく暮らしてから、庭部分を再度イメージしてみようという判断です。これって正解。新築の時点で庭をどうイメージするかは、その後の暮らしを形作る大切な局面ですから、今回のようにジックリと考えた方がいいのです。
リビング前を除いたプランがこれです。
Plan D

引っ越しの片付けが完了した頃にご連絡をいただきまして、残りの部分を打ち合わせしてでき上がったプランを明日ご覧いただきます。
ご夫婦がA〜Cをジックリとイメージして、楽しみながら悩んで、そして導きだした最終プランは、「そうか、そう考えればいいんだよなあ」というものでした。
ウッドデッキとバーベキューテラスという2部構成をどう組み合わせるかということを考えるうちに、ご夫婦が導きだしたアッと驚く「第三の道」が「ウッドデッキのようなバーベキューテラス」でした。これです。
Plan E

右側から3分割します。

ぼくからの一方通行の提案だったら、きっと出てこなかった数式です。
明日から数日、ビフォー・アフターをご覧いただきます。
一昨日書いた「夢っていうと遠すぎる。目標にすると疲れてしまう。トキメキくらいがちょうどいい」について、引き続き今日思ったことを書きます。
「どうせなら、でっかい夢を持て」、これは加山雄三さんの言葉。「大丈夫、夢は叶う」、これは北原輝久さんの言葉。「夢を生きよう!」は本田健さんが名刺の裏に書いてくださった言葉。
夢を持つって、その言葉自体で気分が上がりますよね。そう、大事なのはこの気分が上がるということ。夢を持つことが大事なんじゃなくて、夢を持つことでいい状態になれることが大事なんだよなあと。夢だの目標だのと言わないで、黙々と田んぼを守っている農家のおじさんの笑顔もまた、夢追い人と同じく輝いていますからね。「ゆめ?そうだなあ・・・孫もこの田んぼを守ってくれることかなあ」てな感じで。
夢を追うあまり、大切なことを見失ってしまいそうになることってあるでしょ。太平洋に消えた風船おじさんとかね。
ぼくは前のめりに夢や理想を追うとき、そういう状態に陥りそうになります。つい最近もそうで、少々やりすぎて周囲とギクシャクしてしまったことがあって、妻に「言ってることはわかるけど、あなたのやり方は間違ってるよ。北原さんならどう考えると思う?」と叱られて、そのときは熱くなっているもので相当ムッとしたものの、あとで考えたら確かに妻の言う通りかもしれないなと反省しました。そして思い出した北原さんの言葉がこれでした。
妻とのもめ事を解決するのは、どんなに優秀な弁護士よりも「ごめん」のひと言。
以前、妻と夫婦喧嘩の真っ最中に(うちは仲がいいけど喧嘩もするのです)北原さんからこれを言われて「確かにそうかもしれませんけど、いくら何でもこっちからごめんなんて言えないこともありますよ」と。しかし北原さんからはキッパリと「いわふちくん、まだまだ修行が足らないね」と返ってきました。
喧嘩のいきさつなどはまったく関係なく、とにかく「ごめん」と謝ることだ。そう言い切るところに北原さんの素敵さ、軽やかさを感じた出来事でした。
妻ともめるときというのは、後で考えるとたいがいぼくが夢や理想に前のめりになりすぎているのです。思考が直線的で余裕がなくなっていて、つまりバランスを欠いている状態。そのことを妻は、理屈じゃなくて直感的に感じ取るんでしょうねえ。そして何かにつけてぼくの気に触る物言いをして喧嘩をふっかけてきます。もっと上手なやり方があるんじゃないかとも言いたいけど、これというのはきっと彼女自身も気がついていない、女性の本能的なバランス維持装置なんでしょうね。
この、男が持ち合わせていないバランス維持装置が、妻(女性)のやっかいで、ありがたいところ。売られた喧嘩を買わずに冷静に判断すれば、「妻が突っかかってくるときは、自分がバランスを欠いているとき」なんですからね。
それに気づいたら、ちょっと引いて、夢や目標に前のめりになっている自分の姿勢をスッと垂直にして、「夢っていうと遠すぎる。目標にすると疲れてしまう。トキメキくらいがちょうどいい」と言ってみる。すると、リラックスして、バランスを取り戻すことができます。
ありがたい言葉を教えていただきました。
大切なものを失ってまで、実現しなければならない夢なんてない。
これは書道家の武田双雲さんの言葉です。
今朝は3時に目が覚めて、2度寝をせずに書き込みました。ワールドカップ準決勝、ドイツ対スペイン。後半28分、今スペインが1点入れました。レベルの高い試合は美しいですねえ!
今日もトキメキながら、華麗に美しく設計しますよー!
もう一度プランをご覧いただきましょう。


ではビフォー・アフター。今日は道路側の外構です。
Before 1








一昨日のラジオ「横浜ロハス」で、北原輝久さんが岡田監督の言葉を紹介していました。
人間万事塞翁が馬
母校の講演会で語ったことだそうです。それに感動した北原さんはすぐに監督にメールしたそうです(即行動。こういうのが北原流)。
今回の岡田ジャパンの展開はまさにこの言葉そのものでしたよね。
その番組で北原さんがもうひとつ、陶芸家、河井寛次郎の言葉を紹介していました。
勝利の神は細部に宿る
これもまた大きくうなづけます。「手を抜くと手がかかる」と解説していましたけど、全くその通りです。細部にこだわる、キッチリ仕上げると、そこに勝利の神が宿る。
で、その言葉をさっそく「いい言葉手帳」に書き込んで、ついでに河井寛次郎って誰?と思って検索してみたら、寛次郎が書いたという三編の書が出てきました。
新しい自分が見たいのだーーー仕事する
驚いて居る自分に 驚いて居る自分
此世は自分をさがしに来たところ 此世は自分を見に来たところ
はっきりと「自分大好き」な人ですよね。何だか清々しい気持ちになりました。これでいいのだ!
京都のお坊さんの言葉です。
随所に主となる
あなたの人生の主人公はあなた。さあ、あなたは今日、どんな主役を演じますか?
優しい笑顔をたくさん振りまいて、さっさと逝ってしまった青木聖治さんの人生は、優等生的じゃなかったけし、暮らしは楽ではなかったけど、でも、しっかりと主人公でした。友人として、そう思います。青木さんと知り合ったすべての人の心に、キャンドルの灯りをともしたような、すてきなドラマでした。
「新しい自分が見たいのだーーー仕事する」かあ。よっしゃ、自分大好きでいきましょ!設計するぞー!
Before 5








明日は庭部分です。
昨日は不思議な日でした。次々人と会う日。
お客様、古くからの知り合い、仕事関係の問屋さんや職人さんなど、入れ替わり立ち替わりという感じでほぼ一日中。どの人とも大盛り上がりで、それに加えて遠方の友人から電話も入って・・・誰かが仕組んでいるのかなあ、と思うほど。
スケジュールとしては「港南台店で設計作業」で、根が生えたように黙々と設計に没頭するイメージだったのが、結局朝から晩までしゃべりっぱなし。設計と同じく人に会うのが大好きなので、楽しくて、あっという間に夕方になりました。
何の具合なんでしょかねえ、こういうことって。スピリチアルな世界の人なら解明できるのかもしれないなあなんて思いました、美輪さんとか。もし解明できたらその技を身につけたい。毎日こうだったらいいなあと。
次々と出会いがある不思議な日
この感じ、忘れないようにしたくて書きとめておこうと思った次第です。
さあ、今日は、どうなるかな。
Before 9








テラスを通り過ぎて振り返るとこうです。


このように、場を区分けし、意味を持たせて、立体的に構成することで、限られた庭スペースは倍ほどに広くなったように感じるものなのです。
ビフォー・アフターはここまで。いやあ、今回はタップリとありました。一瞬で、パッと変わる。お楽しみいただけたでしょうか。
明日から、駐車場、アプローチ、芝生広場、バーベキューテラスと解説していきます。
夏休みに向けて、家族全員あれこれと計画の出し合いみたいになっています。まるで家族の時間の争奪戦のようです。ディズニーランドで「シルク・ドゥ・ソレイユ ZED」を観たいとか、お盆は田舎で過ごしたい、長岡の花火も行きたいし・・・仕事とバイトのスケジュールの隙間を「楽しいこと」で埋めていくのです。
その議事進行役、あおっているのは妻カオリ。ぼくは放っとくとひたすら慣性の法則に従って、農耕民族的に淡々と同じ日々を過ごすタイプなんですが、妻は違って、開拓者的というか狩猟民族的というか、次々楽しいことを企んでいないと落ち着かないタイプ。ワイワイガヤガヤと盛り上がっては、気がつくとぼくのスケジュールに「遊びまくる日」が組み込まれていきます。そしていつもそこに、家族の最高の思い出が生まれます。
「夫は農民で妻は狩人」という組み合わせ。正反対が心地いい。
こういうのが、相性がいいっていうことなんでしょうねえ。「楽しみたがり屋」の妻に、感謝です。
一般的にはこのスペース全体を土間コンクリートにしてしまうところだと思いますが、そこは「偏屈な庭屋」、1台分は前庭アプローチにして、駐車場全体も前庭っぽく見せられないかと考えました。さらに欲張って、前庭アプローチにも駐車できるようにと。

ここに使っている枕木は、ちゃんとした枕木です。というのは、市販されている枕木の多くがガーデニング用に生産されている(ちゃんとしていない)もので、今回のように土に埋め込むと、数年で腐ってしまいます。ちゃんとした枕木とは、使おうと思えば実際に鉄道に使えるもの。ケンパスやユーカリなどの、重くて固い材質のものがちゃんとした、本物の枕木です。

このように、塀やフ ェンスがないのに門扉がある仕立て、好きなんですね、開放的で。
スタイルとしてはセミオープンと言います。



門扉が壊れたので取り替えたいというお客様がご来店くださいました。
娘さんがバレーをやっている方で、5年前、うちの娘が通っていたバレー教室の忘年会(料理持ち寄り)で、得意料理のチャーシュー(昔、チャーシューが評判のラーメン屋をやっていました。いろんなことやってたんです)を作って持っていったぼくをおぼえていて、声をかけてくださったとのことでした。チャーシューの記憶で縁がつながるとは、料理が趣味のぼくにとって、ものすごくうれしい出来事でした。
「今度はどんな門がいいかしら」とカタログをペラペラめくっているときに、ぼくが、「ちょっと唐突ですけど、次は門扉なしでもいいんじゃないですか?」と。
その方の表情がパッと輝きました。そうか!って感じで。
ごくごく一般的な戸建てでは、門扉がなくても何の不自由もない、その方がかえって暮らしやすいというケースが多いのです。「防犯上どうなんですか」と思われるかもしれませんけど、例えば一週間旅行に出かけるとして、玄関ドアは施錠しますが、門扉に施錠する方は少ないのではないでしょうか。オートロックの門扉や、普段から必ず施錠するという方は別ですが。
つまり、ほとんのど門扉は「思い込み」なのです。家を建てたらアプローチの道路際に門扉があるものだ。その思い込みで、15万から20万、それに付随する塀を含めると30万〜50万円も使うのは・・・。家族全員、一族郎党で一生の思い出になるような上等な料理を食べたり、ちょっとした海外旅行に行ける金額ですからね。それを無くてもいい門扉にかけるって、ね、もったいないですよね。
実際、新築住宅のかなりの割合が門扉のないカタチ「オープンスタイル」です。この傾向、いいと思います。もちろんケースバイケースではありますが、よーく考えると必要のないものに貴重なお金をかけないで、その金額以上の価値を感じるモノやコトに使いたいですよね。
新築を考えている方、業者に勧められるままに門扉やフェンス、さらにカーテンや照明器具や家具や家電をそろえないで「もしそれがなかったら何が困るのかな?」と、ちょっと引いて考えることで、たぶん100万円以上は浮くはずですから、その分を家族の幸せのために、ほんとに有効に使いましょう。新築に伴う打ち合わせのストレス、引っ越しの疲れを癒すためと、新居での暮らし方についての家族会議もかねてゆっくりと湯治にいくとか。もちろんぼくに連絡して、庭に予算を振り分けるのもいい使い方だと思います。
その門扉、ほんとに必要ですか? 15万円。
今日は芝生広場に入っていきます。



抽象的なヘラクレス、脱力していてとぼけた感じで、なかなかいいデザインですよね。ぼくは好きです。
小池さんちは男の子がいて、男の子はやっぱり昆虫を選ぶんですよねえ。
大人に人気の高い、小鳥やレトロなデザインの蛇口にしたい場合は子供に内緒で選んだ方がいいようです。男の子は昆虫、女の子は金魚や犬を選びます。
この芝生広場は実はご主人のゴルフ練習場なんですけど、広さ的にあまり思い切ったスイングは・・・。わかっていたんですけど、テラスの奥行きを十分に取りたかったもので・・・。でもご主人はゴルフよりも芝生の手入れに熱心で、良かったなあとホッとしています。ご主人方って芝生にはまるんですよねえ。

あるご主人の言葉です。
「芝生の状態がぼくの状態なんです」
わかりますねえ。芝生にしゃがんで無心で雑草取って、肥料や水を与えて、芝刈りして、健康で美しく手入れされた芝生になると、自然と世話した人の心も健康で美しくなりますよね。
芝生広場の奥はキッチンガーデンです。

他にトウモロコシとシソが植えてあります。夏休みの収穫が楽しみです。
この芝生広場がパター練習場になるのか、芝生自体を楽しむご主人のメディケーションの場になるのか 、徐々に奥様のキッチンガーデンとして開拓されていくのか、その進化を時々楽しみに覗き見しようと思います。
昨日、タカショーの営業さんが遊びにきてくれました(遊びにじゃなくて仕事に来たのかな?)。いやあ楽しかったなあ。夢を語り理想を語る営業さんがそろっているタカショーという会社、面白い!
(たぶん)営業に来たのに仕事の話をまったくしないで、趣味や家族のことや、地方文化論まで飛び出して、大盛り上がりして、ニッコニッコしながら帰っていきました。もちろんぼくもニッコニコ。設計でこんつめてたときだったので、何だかとってもありがたかったなあ。その後、上機嫌でまた設計ができました。
場を笑顔いっぱいにして去ってゆく
仕事でも、そうじゃなくても、これって見習いたいことです。相手を上機嫌にする。日に何度それができるか、できているかと考えると、どうでしょう。それができるためにはまず自分が上機嫌でいること。
今日は一日、そのことを考えながら過ごしてみます。
書道家で上機嫌研究家の武田双雲さんの言葉です。
うん、結局のところ、人生で大切なのは毎日の機嫌なのだな。
もういっちょう。
豊かな家庭と人生をつくるのは、仕事やお金よりも、安定した上機嫌。
双雲さん、いいこと言うなあ。

では中に入っていきましょう。


今回は2方向から火を囲めるL字です。


そのパーゴラの柱に取り付けた木製パネルもまた、目隠し効果で居心地の良さを生み出しています。明日はそのことを。
ついに夏がやってきた!って感じの強い日差しと丹沢連邦の上には絵に描いたような入道雲。近所の公園ではセミが鳴き始めました。明日からの連休中に梅雨明けするそうです。
さあてと、今年の夏はどうしますかね。とりあえず来週、田舎(魚沼)に行きたくてウズウズしている息子を積んで帰郷して、ぼくはとんぼ返りして仕事して。その後は・・・、妻と娘はディズニーランドかハワイか沖縄か伊豆(選択肢が広い!)に行きたいと盛り上げってるし、ぼくは材木座でウインド三昧したいし、長岡の花火と新潟の海も楽しみたいし、魚野川でアユ釣りもしたいし、お盆は姫路(妻の実家)に行きたいし、実家のお父さんを横浜につれてきたいし、芝生の手入れして、ガーデンファニチャー買いそろえて、友だち呼んで庭でバーベキューしたいし、新潟の甥っ子姪っ子はいつ横浜に遊びにいけるのかとワクワクしているし、そしてそして、仕事は相変わらず山積みなのでそれもしっかりとこなしたいし(これが一番やりたいこと)。
やりたいことだらけで、夏が足りません。アセるなあ。
とにかく、今日は、仕事します。
いいですよね、この夏の高揚感。大人は宿題ないしね、もう最高です。ね、宿題がない夏休みなんてね、ニンマリしちゃいますよね。大人になってよかったー!
目隠し、「目隠しと見晴らし」をどう設定するかが、庭や庭に面したリビングの居心地を決定づけます。
今回は、今日ご紹介する木製パネルと木工フェンス、明日ご覧いただく植栽の構成とで目隠しを施しました。「開放的でいて落ち着ける目隠しと見晴らしの具合」というあたりを感じ取っていただけたらと思います。


もちろん風通しもいいし、耐久性がありながら柔らかい木の素材感もあって、とても便利に、ほぼ毎回設計に取り入れています。


この2種類のパネルは道路からの目隠しが目的です。他にもうひと方向、お隣りさん側の目隠しも必要で、こちらはフェンスを隔てて玄関アプローチで、その向こうがウッドデッキとリビングの窓があるため、木工フェンスでやや強めの目隠しにしました。



明日は樹木による目隠しをご覧いただきます。
ついに、梅雨が明けました!正真正銘の夏が始まりました。もう躊躇することなく、遊びまくりますよー!といっても、仕事のペースはそのままで、その隙間をぬってということですけどね。
だから夏は、毎日がギッチギチに濃くなります。それが好きなのです。エネルギー値が明らかに高くなるんですよねえ夏は。
妻と娘は、念願だったミニチュアダックスのワイヤーの子供が生まれたという知らせを聞いて(前々からブリーダーに頼んでありました)、ご対面に、東京へと向かいました。「とりあえず見てみるだけ」と言いつつ、あの勢いだとその場で交渉成立して連れて帰ってくるような予感。一本の電話からいきなり家族が増えそうです。
まあね、それもよし。子育てがほぼ終了した我が夫婦にはありがたい存在になりそうです。ただねえ、やたらに吠えるんだよなあヤツは。
まあよく言って聞かせましょう。ぼくは犬語もしゃべれるので。
では、2010年の夏を始めましょう。


木製パネルと庭木のふたつの目隠し効果で、テラスは開放的でありながら落ち着ける居心地に。


昨日の予想通りに、帰宅すると、それはそれは愛らしい瞳の子犬が思いっきり尻尾を振りながらぼくに向かってジャンプしてきました。・・・まあねえ、しょうがないですね、かわいすぎます。
さっそく妻から、その新しい家族に関する諸注意が延々一時間ほどありまして、だんだんかわいらしさ以上に不安がつのり・・・。この天使のような生物は、まぎれもなく生き物なわけですからね。
妻からの諸注意の内容がほとんど子育てと同じで、何だか懐かしい気持ちにもなりました。
白状すれば、子供の頃から犬を飼いたくて仕方なかったんですけど「死んじゃったときが悲しすぎるから駄目!」という母親の言葉が自分の中で大きくなりすぎていて、今まで一度も飼ったことがなかったのです。
お客様のお宅のワンチャン見るたびに「いいなあ、すごいなあ」とつぶやいていたのが、妻と娘のおかげでこんな展開になって、内心は面相を崩してヤツと転げ回りたいのですが、家族に対して一応飼うことに難色を示してきた手前、そうもできずに「フン、愛いやつじゃ」みたいなこと言ってます。
おじさんには似つかわしくない言葉ですけど「たまらなくカワイイ」。早く家に帰りたいこの気持ち、久しぶりだなあ。

人気者が並んだ中でも、最後のジューンベリーは特に人気です。春の花、柔らかい緑色の葉っぱ、優しい幹、しなやかな樹形、そしてなんといっても実がかわいらしくて美味しい。
明日はそのジューンベリーの実を使った、奥様手づくりのお酒とジャムをご覧いただきます。
海の日!さあ横横突っ走って海に行くぞー!
と言いたいところですけど、夏を遊びまくる前提として仕事をこなす必要があるわけでして、今日はみっちりと設計します。海の家で設計しているイメージで。 「すいませーん、生ひとつくださーい」というわけにもいきませんけど、でもまあそんなイメージで。
材木座海岸は、いい風吹いてるだろうなあ ・・・。
これ以上書くと愚痴になるので、さっ、仕事仕事。


グラスの奥にある赤い液体の瓶は「ジューンベリー酒」です。
ジューンベリーの根元に小さな看板を発見しました。


お子さんがつまんで、野鳥も食べにきて、それでもお酒にできるほど穫れたんですね。さらに、ジャムも。

ジューンベリーって、やっぱりいいなあ。こういう楽しい木が一般的に流通するようになって、庭の楽しさがふくらみました。これからも設計に入れ続けます。
撮影時はこれらの天然の美味さに感激しつつ、同時に「奥さんは料理のセンスがいいなあ」と感心しました。サワーとジャムの甘みの具合がちょうど良かったんですね。 これってなかなかね、毎日料理している主婦の皆さんでも、ね、むずかしいですよね塩梅が。
德光和夫さんがテレビ番組で言っていました。
ものの美味さってのは、ほどの良さなんだよなあ。
ほどほど、いい塩梅、それがセンスなんですよねえ。ぼくですか?ほぼ毎回、甘すぎたり塩っぱすぎたりしています。料理のセンスはちょっと・・・。まあ家族は優しいので毎回「美味しい」とほめてくれますけどね。家族にほめられて、おだてられて、「男子厨房に入り浸り」なのです。 でもほんと、料理に限らず「ほどの良さ」というセンスを身につけたいです。何でもついついやりすぎてしまう方なので。

自給自足や大量に収穫して誰かにあげたいと思って野菜を作るなら別ですが、花も野菜も暮らしを楽しく彩るものとしてとらえるなら、こう いうスタイルもいいと思いますよ。
庭の野菜はなんであんなに味が濃いのでしょう。いつも思うことです。
わが家ではオクラとモロヘイヤと小松菜と青ネギと、ワタミファームのミニトマト(有機栽培で超健康な苗でした) が元気に成長していて、オクラと小松菜と青ネギはまだですが、モロヘイヤとミニトマトは時々食べていて、毎回その味の良さ、濃さに感嘆しています。
自家製なのでもちろん有機肥料です。それがいいのでしょうかね、スーパーで買ってくるものとはまったく別物の、フレッシュで滋養が高い味で、たった小ザルに一杯のモロヘイヤ、数粒のミニトマトで、自分の中の健康成分が活性化するのを感じます。不思議なもんです。
夕べ遅くに関越道をひとっ走りして、今朝は魚沼の実家で目覚めました。朝から強烈な日差しでありながら、空気はひんやりとしています。この感じ・・・子供のころの夏休みにワープ!全身がうきうきしている自分を感じます。
今日は息子に川遊びを伝授して、山歩き、温泉も楽しんで、目一杯充電して、また横浜に戻って、明日からがんばりますよー!
駐車場の奥にある植栽スペースを斑入りのアイビーで植えつぶしました。目的は「緑被率を高める」ため。周囲がコンクリートなので、一年中緑のこれが適しているのです。場の雰囲気を「外構」から「前庭」に変えるための植栽ですから、ガーデニングを楽しむというよりも建築素材のひとつとしての植物ということになります。

この白い花はマンデビラ。初夏から夏にぐんぐん成長するツル性の植物で、花も次々咲きます。赤と白があって、赤い花は情熱的な夏を、白は涼しげな庭を演出してくれます。


種をまくのが遅くなって、奥様ははたして夏休みに咲いてくれるのかと心配していました。さあて、どうなりますかねえ。伸び始めると信じられないようなスピードで成長しますから、きっと間に合うと思いますけど。楽しみです。
次はコリウス、観賞用のシソです。夏の暑さで庭に花が少なくなったときに、このコリウスが存在感を発揮します。お盆がすぎて時々「んっ、秋風かな」という時期に最盛期を迎えて、10月後半には消えてゆくコリウス。夏の名残りを感じさせる秋口のコリウスには、過ぎ去った夏の思い出が駆け巡って、胸が苦しくなるような情緒があるのです。大好きです。

こうして書いていると、あらためて、ぼくは夏がツボなんだなあと思いました。幼い頃からの「夏休み」の思い出があり過ぎなのかもしれません。コリウスを見て、夏がスタートしたばかりなのに、もう秋風の頃の情緒に思いが行ってしまうとは・・・。
「甘く切ない夏の終わり」があるから、なおさら夏は燃え上がるのかもしれませんね。 常夏のハワイだったらきっと感じることのない夏の終わりのあの感傷。ぼくの情緒の骨格はやはり「夏」でできているようです。
そのDNAは息子にも受け継がれていて、夏休みを新潟で過ごしたいというので、一昨日の夜に連れて行って、昨日は川遊びをあれこれ伝授して、ぼくはまた横浜へと。先ほど到着してこうして今ブログをやってます。
新潟はプレステの名作「ぼくの夏休み」そのままのすばらしい夏世界でした。やっぱ夏はいい!
さっ、夏がツボの人も、そうじゃない人も、思いっきり、2010年の夏を楽しみましょう!

花の数と幸福感は比例するのです。
だまされたと思って、徹底的にそうしてみてください。幸せになるために必要なことを花が教えてくれます。ほんとですって。
とはいうものの、こう暑くては・・・。庭に出るのは危険ですから、早朝と夕方にしましょうね





子供っていいなあ。男の子も女の子も、その成長を目撃することは、この世で最も美しく感動的なことですよね。
藤川清美さんという方の言葉です。
一年楽しむなら花
十年楽しむなら木
一生楽しむなら人
ふと思い出したこの言葉、いいでしょう!
庭屋的に補足すると、花も木も人も、成長のポイントは同じ、根っこです。花も木も人も、肥沃で水はけがいい健康な土で思いっきり根っこが伸びれば、幹も伸びて葉も茂って、やがて花咲き実もつきます。
子供の成長だけじゃなく、妻にも、同僚や部下や友人にも、そして自分にも、スクスクと根を伸ばすことができる健康な土壌を与えたいものです。一生楽しむなら人。
昨日はブログのシステムトラブルで一日休みました。こう暑いといろんなことが機能不全になりますよね。
ぼくは焼け付くように熱々になった港南台店で、「・・・修行のようだ」と言いながら設計していましたが、さすがに思うようにはかどらず、夕方は早めに帰って妻と、焼き肉とビールでスタミナ補給しました。
こんなに暑いのに、庭の野菜はこの暑さを大喜びしているように元気一杯です。すごいものです。
焼き肉もいいんですけど、夏のエネルギーを吸収して育った野菜を食べたら、体が整う感じで、良質のパワーを補給できると思いました。その証拠に、田舎の人たちは毎日トマトとキュウリとナスを食べながら、その野菜と同じく元気一杯で畑仕事してますからね。
夏は夏のものを食べる。
これが自然なんでしょうねえ。
今夜のメニューは野菜中心でいきます。
あと数年は、昨日ご紹介した「若大将」が主役の小池さんち。
彼を中心にした家族で過ごす夜の庭と、彼が寝てから、夫婦でワインを飲みながら語らうシーンと、親戚や友人を招いて楽しむ夜のバーベキュー、そんなことをイメージしながら5灯の照明器具を配しました。

機能門柱に1灯
パーゴラに2灯

暑さが少々和らいだのか、体が慣れてきたのか、野菜中心の食事がよかったのか、今朝はずいぶんと楽な感じです。
さっ、今日も熱中症に気をつけながら、楽しいことに熱中して過ごしましょう!ぼくは設計に熱中します。
庭に出るときはスイッチを入れて・・・というご要望もあって、何度かこのタイマーを使わずにサッシの外にスイッチを取り付ける設定にしましたが、これがですねえ、便利なようでいて、実はやっかいなのです。・・・スイッチを入れない。
リビングで過ごしていて、いつの間にか夜になって、パッと庭が明るくなれば、そのまま昼間と同じく夜も庭は庭、暮らしの場所として認識できます。それが「夜庭に出るときはスイッチで点灯してから」となると、ついついスイッチを入れることなく日が経って、ついには暗くなったらシャッター下ろすという、リフォーム前と変わらない暮らし方になってしまった寂しい展開が何度かありまして、それで、必ず 「明るさセンサー付きタイマー」を組み込んだ照明計画でご提案するようになりました。
暗くなったらパッと点いて、それが「夜の庭」を楽しむ合図になるという感じがいい。
夜の庭は気持ちいい場所なのです。せっかく庭があるのに夜は庭で過ごしたことも出たことすらもない、という方、もったいないですよ。
では、明るさセンサーが感知して、パッと点灯した直後をご覧ください。

暑さに体が慣れてきました。こうなればこっちのもの。またガンガン設計しますよ!プランをお待ちの皆様、もうすばらくのご辛抱をお願いします。
暑さに慣れてはきたものの、そろそろひと雨欲しいですね。お客樣方の庭が心配です。
庭に落葉樹が植わっているお宅の皆様、朝か夕方に根元にしっかりと水をやってください。できれば木の周囲にドーナツ状の溝を掘って、そこに溜まるようにするといいんですけど、それは大変なので、そうですねえ、ホースから5分くらい出しっ放しで周囲が水浸しになるくらい散水するといいでしょう。晴天続きだったらこれを週に一度行うことをおすすめします。
シャラやエゴ、ヤマボウシなどのいわゆる雑木類は、本来は雑木林の、根っこと落ち葉が積み重なった、水分と空気がタップリとある土壌で育つ木ですから、土が乾燥して固くなった状態だと枯れたり傷んだりします。せっかくカッコイイ樹形の木が夏のダメージで残念なカタチになるのを毎年目にしますのでご注意を。
では、小池さんちのゴールデンタイムをご覧ください。

現在すでに冷えた夜風が心地よく吹いていて、あまりの気持よさに庭にパソコンを持ち出して書いています。いやあ、実に気持のいい風です。
言葉で元気になる、やる気が出る、新鮮な生命力があふ出てくる、感動する、ありますよね。だからぼくは、本を読むこともテレビ・ラジオも人と話すことも大好きです。いい言葉と出会えるから。「言葉コレクター」と言ってもいいくらい、手帳には、ぼくが日々グッときた言葉が並んでいるのです。
そんな言葉コレクションを始める切っ掛けになったのが北原輝久さんとの出会いでした。
北原さんはおもちゃの世界的コレクターであるのと同時に、言葉コレクターでもあります。次から次からグッとくる言葉が飛び出してくる「歩く名言格言」という感じで、どうやらその特技はご両親から受け継いだもののようです。実はぼくの母も言葉が大好きで、いい言葉を書いた紙が家中に貼ってあります。そしてぼくも言葉コレクターになりました。
というわけで、明日は久しぶりに「北原輝久コレクション」で、北原さんからいただいたグッとくる言葉を並べてみようと思います。
言葉との出会いは人との出会い。そういえば北原さんからいただいたコメントにこんな言葉がありました。
いい人生を送るには、とにかくいい出会いです。
今日出会った人に、今日まで出会ったすべての人に、感謝します。明日出会うであろう素敵なあなたにも、前もってありがとうございます。いやほんとに、感謝ですよ。
最近特に思います。連日すばらしい人が現れてはぼくをいい気持にしてくれます。おかげさまで、調子がいい。調子に乗ってます。

夜の庭の心地よさは格別です。特に今、夏の夜は気持ちいい。風がいいんですよね、夜の風。

暑くてクタクタに疲れて帰宅して、庭に出て感じるヒーリング。適度に冷えた海からの夜風が、全身から疲労を消し去ってくれます。

オーストラリアには「フリーマントル・ドクター」という言葉があります。パースに近い港町フリーマントルには、午後になると海からの湿った涼しい風が吹き込んできて、毎日それを浴びている地元民はその風のおかげで病気にならないのだそうです。そのありがたい風を称して「フリーマントル・ドクター」。

小池さんちにも、鎌倉の山を越えて心地よい海風が吹き込んできます。この港南台に吹き込む風をぼくら夫婦はどれだけありがたく感じてきたことか。

東京から横浜に引っ越してきた9年前。知らない土地で初めて店を持って、最初の夏は無我夢中で、ぼくも妻も毎日倒れる寸前まで仕事していました。そしてヘトヘトで家に帰り着いてまずやるのは、窓を全開して風を入れること。

疲労やストレスがスーッと消えていくのを感じました。ビールでお互いのナイスファイトをねぎらって(何だか山賊の夫婦みたいに戦闘モードだったなあ。肉ばっかり食べてたし)、時にはその風の気持ちよさにそのまま床で寝込んでしまうこともありました。「ほんとにいい風だよねえ。東京にはこの風がないんだよなあ。あの過酷な状態でよく生きてたね」と話したものです。

小池さんちの庭に吹き込む港南台の風も、栄区のわが家に吹く江ノ島からの風も、フリーマントル・ドクターに負けない良質な風です。

夜になったら庭に出て、夜風を感じてみましょう。きっと癖になりますよ。
アフリカ人は家を建てるときに「いい風が吹く場所」を探すそうです。目に見えない「風」という要素を意識すると、暮らしがひとつ気持よくなるのです。
いい風が吹き抜ける庭で過ごして、その風を家に入れて、風通しのいい家庭を維持したいですね。
「風」、意識してみましょう。

リビングにいるのと同じ感覚で庭に出て過ごすという「外の部屋のある暮らし」を楽しんでいただきたいという願いを持っての設計。
広々した庭スペースの一部をそのようにできたら、きっと小池さんご一家の新居でも暮らしは何倍も楽しいものになるという、ぼくのトキメキを含んだ予感と、そのことに一緒になってワクワクしてくださったご夫婦の感性によってできあがった庭です。

庭での過ごすスペースを決めて、そこをリビングの床面近くまで持ち上げて、部屋のカーテンを明けっ放しにできることと、庭での居心地をよくするための構成をして、庭とリビングを近づけて溶けさせる感じ。
最も大きなポイントは、庭を持ち上げて床面に近づけたことです。
庭に出るのに「さあてと」とか「よっこらしょ」と言わなくていいということが、どれだけ暮らしの幅を広げてくれることか。このことを、ぜひあなたの家に当てはめてイメージしてみてください。

胸ときめかせてメーカー選びや土地探しを始めて、ピンとくる土地や営業さんとの出会いがあって、次に具体的な予算組みや設計の打ち合わせに入る頃から、多くの人たちは疲れてきます。夢を具現化することの大変さ、夢と現実のギャップでなかなか機嫌良くいられなくなって、まずは軽く夫婦喧嘩が始まりますよね。
某住宅メーカーのとてもいい成績を上げている営業さんが言っていました。「 ほぼ100%のご夫婦がもめはじめますよ。お客様には失礼なことですけど、ぼくら営業はそこでそのご夫婦の評価をするようなところがあります。おふたりの関係性の成熟度によって、その後の提案がまったく違ってくるのです。いや、ほんとに失礼なことではあるんですけど」ということでした。
ちょっと怖いですよね、夫婦喧嘩は当たり前らしいので良しとして、その喧嘩の様子で住宅メーカーからの提案が違ってくるって。
でもきっと家を建てるということは、それだけ高度な作業なのでしょう。建築技術もそうですけど、夢の実現の仕方というか気持ちのありようが。施主側に高い精神力、耐性や胆力みたいなものがない限り、満足度の高い家は実現しないということかもしれません。
つくづく、新築は大変なことですが、ぼくとしては建物のことで力つきないように、うまくペース配分して、外構や庭も満足のいくものにしていただきたいのです。
建物と同じく外にも夢いっぱいになれたら、その夢を維持し続けることができたら、きっとすばらしい新生活が実現すると思いますよ。
今日が最終回の小池さんご夫婦はこの点がとても上手でした。
建築の初期段階から、庭や外構のことも考え始めて、ジックリと、着実に、イメージをふくらませながら夢実現までこぎ着けました。施工も2回に分けて、まずは外構をやって、しばらく暮らしてから庭の仕立てを決定するという具合で、無理せず、しかし後退せず。なかなか見事なご夫婦です。
もう一点、とても印象的だったことがあります。それは奥様がいつも笑顔で、その笑顔がどこかいたずらっぽいというか、何事にも興味津々な、そういう輝き方をしていたことです。
これってとても大事なことで、いろんなコトに対して興味を感じて、こちらから笑顔で当たっていけば、疲れませんからね。反対に営業さんの方から営業スマイルで押しまくられると、気力はどんどん削り取られていくものです。追ってるときは元気一杯、追われたとたんに気力半減。仕事でも何でもそういうものですよね。
何事にも興味津々な奥様のすてきな笑顔が、小池さんちのいい感じの核なんだと思いました。
妻をめとらば才長けて、見目麗しくすてきな笑顔。
ご主人、幸せ者です。

小池さん、楽しい仕事をありがとうございました。ご近所ですから、何かあったらすぐに駆けつけますので、気軽に声をかけてくださいね。
若大将君の成長も楽しみです。
これからもよろしくお願いいたします。
新居の建築だけじゃなく、生活するってことは、考えて、選択することの繰り返しです。
武田双雲さんの言葉です。
下を向いて考えると「悩み」
上を向いて考えると「迷い」
歩きながら考えると「試行錯誤」
ワクワクしながら考えると「遊び」
となります
双雲@人生は問題遊び
こういう思考を持っているだけで、ひどい人生にはなりませんよね。・・・ひどい人生かあ・・・最近ちょっと、知り合いに悲しい出来事がありましてね。みなさん、人生は苦しみ抜くこともできるし、楽しみ尽くすこともできるのです。
その選択権はあなたにだけ与えられています。
もう、忙しくて楽しんでる暇しかありません!
というのが理想ですよね。
妻は言います、私は楽しいことしかしないって、決めたから。
毎日たくさんの方々と、庭のこと、家族のことなんかを話していて感じるのは、楽しい人はどこまでも楽しさをふくらませていくし、日々をつまらないと感じている人は、まるでそのつまらなさに生き甲斐を感じているかのごとく、愚痴を言いつつそこから一歩も動こうとしないということです。
もう一度繰り返します。
人生は苦しみ抜くこともできるし、楽しみ尽くすこともできるのです。
その選択権はあなたにだけ与えられています。
まず今を楽しみましょう。今日を、そういう日にしましょう。愚痴を言いながらの足踏みは、もうやめにしましょう。
明日から新シリーズです。お楽しみに。