がぜん張り切りました。時々あるんですねこういうこと。すてきな出会いから生まれたすてきな庭の幸福感が、その庭に留まらずに溢れ出して、お隣さんやご近所に広がっていくということ。
その幸福感をしっかりとカタチにして、川村さんちのお庭にもしっかりと定着させる、幸福の連鎖を実現していくことがぼくの重要な使命なのです。
その連鎖が、やがてその町内を、地域を幸福感で包み込んでいって、さらに広がって、どんどん広がって、日本を「幸せな庭」でいっぱいにする。そしてその連鎖は世界へと・・・。いいぞいいぞ、こういう妄想が湧き出てくるとき、ぼくは絶好調!何せ、ガーデンデザイナーは世を忍ぶ仮の姿で、ほんとは地球防衛軍に所属しているのですから。
前置きが長くなりました。始めます。
ところがある出来事があって「庭を何とかしなければ」と思い立ったといいます。
明日はその川村家に起こった「ある出来事」と、この場所に思い描いたガーデンプランをご覧いただきます。
ただトコトコと遊びにくるだけならかわいいのですが、いろいろと・・・、匂いが強烈ですからねえ、猫のは。
で、どうしたら猫をシャットアウトできるかといいますと、これまでいろんな方法を試しましたが、結論としては「シャットアウトは不可能なので、どうせならかわいがる」というところに行き着きました。
トゲトゲマットは避けて入ってくるし、塀を立てると屋根から来ます。いやがる匂いの粉末は効果なしで、猫だけに聞こえる超音波を発する装置も、効果は一時的でした。おまけにデリケートな人は頭が痛くなるということも判明。水鉄砲はけっこう効きましたが、一日中見張っているわけにもいかずこれもダメ。こうなったらかわいがって、手なづけてから「いいか、ここに来てはいけないよ」とこんこんと言って聞かせるしかありません。
かわいいんですけどねえ、あの匂いがねえ・・・。
川村さんちの庭も、近所のノラの散歩コースになっていました。奥様はあまり気にもせず過ごしていたのですが、ある日庭のポーチにお土産を発見。最初は石ころかなにかかと思ってよーく見たら、その石ころにヒゲが生えている。なんとなんと、ネズミの頭だったそうです。ギャー!です。
通行税を置いていくとは、律儀なやつです。ノラ的には大奮発したお土産だったことでしょう。
家を新築して、手つかずの庭を何とかしなければという気持ちはあったものの、引っ越しの片付けや子育ての忙しさでついつい先延ばしになったまま、ついに3年が経過。この「お土産事件」で、ご夫婦は決心がついたとのこと。その衝撃で我に返ったみたいな感じでしょうか。それでぼくのところに設計依頼となったのでした。つまり、「猫に後押しされてできた庭」。
家を建てようと住宅展示場巡りをしている時点では、だれでも庭への憧れやイマジネーションは旺盛です。緑の芝生、ウッドデッキ、バーベキューパーティー、ガーデニングと、花に囲まれた幸せなシーンを思い描くものです。ところが、現実的な打ち合わせが続くうちに、いつしか庭は後回しで、徐々に夢はしぼみ、引っ越し後の片付けや暮らしのあれこれが整う頃には、ついには庭はあってもなくていい場所になってしまうのです。たいがいこのパターン。
ノラちゃんに刺激してもらってラッキーだったと思います。事件が起こらなければ、きっと5年後も、10年経っても、庭はほぼそのままだったのではないかと。実際そういう家がものすごく多いのです。
それでは、我に返った川村さんご夫婦と打ち合わせをして組み立てた「川村家の理想の庭」のプランをご覧ください。
左側
夢を、柔らかく、微かにでも消さないで思い続けることができれば、何かの弾みで実現するものなのです。弾みを付けてくれたのはノラ。
明日はビフォー・アフターです。
After 1
Before 2
After 2
Before 3
After 3
Before 4
After 4
宅地は丘の中腹、傾斜地にあって、道路から数メートル上がっています。
中に入っていきます。
ここでもう一度、Beforeをご覧ください。
ネコを飼っているお客様に今回の経緯を話したところ、ネコとはそういうもので、自由気ままなのに義理堅かったり情が深かったりするのだそうです。そういうところが魅力であり、そんなネコのありようが、人の暮らしにすてきな刺激や絶妙なバランスを与えてくれるのだということでした。
「あなたのことは大好きだから、ちゃんと面倒見てね。でも私に干渉しちゃいやよ」という超B型的スタンス。自由気ままなのに義理堅く情が深い・・・、うん、まあ悪くないかなあ。
明日から庭の各部を解説していきます。
リビングの外に庭があっても、その庭がリビングと同等の「暮らしの場所」にならない理由のひとつがこれ、庭の地面と室内の床面との段差が大きいと、庭は遠い存在、暮らしの外にある場所になってしまいます。
では、どうやったらその段差を小さくできるか。方法は2つ、庭を持ち上げるか階段を設けるかです。
庭を持ち上げるというのは、例えばウッドデッキです。部屋の床と同じ高さで庭に出て過ごせるようになります。デッキじゃなくても、庭の過ごすためのスペースを持ち上げてタイル張りにするというのも、グッと庭を近い存在にします。
もうひとつの方法、階段。今回はこっちを選択して設計しました。
次に、一段の段差(蹴込み)を10センチから15センチ程度にすること。これがあまり小さいとつまづきやすくなって危険ですし、大きいと上り下りがスムーズに行きません。特に大きい段差は問題ありで、実際に定規片手にいろんな階段を上り下りして検証すると、段差が20センチを超えると、とたんに歩きづらくなることがわかります。
・・・てな具合で、いろいろと理屈を組み合わせながら設計するのですが、これはぼくが唸りながら考えればいいことで、みなさんにお伝えしたいことは「庭を近い存在にする」ということを意識していただきたいということなのです。
実際、多いんですよ、せっかくいい庭なのにそこに行きづらいというケース。
こうして完成してしまうと、ほとんど意識に入らないことではありますが、実はとても大事なポイントなのです。
お宅のお庭は部屋から出やすいでしょうか?部屋と繋がっている場所として感じられるでしょうか?チェックしてみてくださいね。
この作者は、父親が著名な彫刻家だといいます。世の常で彼は父親に反発し、反発しつつも父の背中を追って彫刻家を目指しました。「父親を越えること」というのは、すべての男の子の命題なんですよね。
父を追い、反発し、追いかけて、しかし追いつけず暮らしもままならない。それでも追い続け、苦悩し続けた彼は、やがて父とは違うフィールドに創作の価値を見いだしました。工業製品としての彫刻です。
いわゆる芸術作品ではなく、一般の人たちの、何気ない日常の中で輝く作品を生み出したいという、そのことに光を感じた彼は、呪縛から解放されたかのように、イキイキとした蛇口彫刻を次々とつくりました。
この「こがら」もそのひとつです。
一個の蛇口にこんなドラマがあるのです。
物には物語がある。その物語にトキメクから集め続けることができる。
そんな彼、無名の彫刻家の人生を感じる蛇口、いいでしょう!
父の背中を追い、いつかきっと父を越えてやろうという呪縛・・・、女性にはなかなか理解しがたいことかもしれません。
・・・それよりも、ぼくの背中は息子にどう見えているんだろうか。そう思うと、ちょっと背筋が伸びます。
がんばって、がんばって、息子が呆然とするくらいのでかい背中の父でいたいなあ。
庭に砂場。現実的に、庭に砂場がある家ってほとんどありません。
でもぼくとしては、小さいお子さん、特に男の子がいるご家庭では、条件が許せば必ず作っていただきたい庭の要素なのです。
大人にはバーベキュー炉とシエスタベンチと花壇、子どもには砂場とプールを出せるスペース。これがあると、庭は格段に楽しい場所になります。
ぼくはそういう男の子の生態に出会うたび、いいぞいいぞ!と、もともと細い目をさらに細めてしまいます。
子どもがドロいじりや砂遊びに夢中になっているとき、お母さんは声をかけてはいけません。どんなに服が汚れても、砂が口に入っても、ちょっと離れたところからジッと我慢で、その遊びに飽きるまで見守ってあげてください。子どもが夢中で穴を掘っているときに、その子の無垢な脳細胞に、集中力やイマジネーションが育っているからです。
躾けは言葉がけで教えられますが、集中力とイマジネーションに関しては、大人の言葉は邪魔をしてしまうのです。かけてもいい言葉は「上手だねえ!」と「すごいねえ!」だけ。
これまで砂場を設置したお宅のお子さんを観察してみると、女の子は砂遊びからすぐにおままごとに移行して、近所のお友達と一緒に数年間は遊んでくれます。砂場のある庭が女の子たちの社交場のようになって、そのお宅は託児所状態。子どもの親たちもやって来て、にぎやかな庭風景が展開されます。女の子というのはそういう時間を経て、将来話し好きなにぎやかな、元気なおばちゃんになっていくんでしょうねえ。
それに対して男の子は、ひとりで純粋な砂遊びを何年でも楽しんでいて、長い子だと、小学5年生になっても庭の砂場がお気に入りの場所、ということもあります。わかるんだなその感じ。
男の子にとって砂場は、ただの遊び場ではなく、無限に広がる宇宙空間なのです。
ひとりで宇宙遊泳している感覚。
砂場を舞台に、社交性、コミュニケーションを身につけていく女の子と、砂を掘りながら自分の内面を掘り下げていく男の子。
・・・年取ってもそのままですね。年配のご夫婦って、奥様はお友達と出かけることが多くて、ご主人は自宅で趣味や読書で沈思黙考する。
つまり、砂場は、人生を練習する場所ということです。っと、えらく大げさな話になりましたが、でも、砂場がある庭って、ほんとにいいもんですよ。庭の直径1メートルほどの場所を、お子さんにプレゼントしてあげましょう。
見晴らしがよくて、日当り風通し抜群の庭の中に「過ごす場所」をどう設定するか。そのままタイルの広場を作っただけではダメで、そこに「居心地の良さ」を生み出す必要があります。
この「隠れることの快適さ」も、普段あまり意識しないことですけど、実はとても大切な要素です。人は見晴らしの良さで開放感を味わいつつ、狭いところにこもることで落ち着くのです。
そこで登場するのが、このいつも使っているタカショーの木製パネル。
いいでしょう!トコトコ歩いていって、ベンチに座ってみたくなりでしょ。
座るとこんな感じ、三角の奥にあぐらをかいてパシャッと撮りました。
「わが家にこの庭があったら、仕事に行かなくなるなあ(ここで仕事します)」といういつもの感慨に浸りました。
庭に居場所を、居心地の良さを生み出すポイントは、場に厚みを持たせることと隠れることです。あなたの庭に当てはめてみてください。
今日の午後は、完成間近の庭をチェックに行きました。ぼくが言うのもなんですけど「すばらしい!」のひと言、お客様も大喜びでした。
ぼくのわがままな設計を、丹念につくりあげてくれた職人さんたちに感謝の気持でいっぱいになりました。
庭を生み出す仕事はひとりではできません。ぼく以上に気合いを入れて現場を仕上げてくれる仲間たちの存在が、胸に沁みるような出来映え。またひとつ「この庭がわが家にあったら・・・」という素敵な空間が生まれました。
後日ブログでご覧いただきます。
嬉しい気持のまま会社に戻って設計。こういう日は思いのほか順調に描けます。その庭のいくつかの難題を、一気に解決できる線が引けました。おもしろいんですよ、たった一本の線が、ものすごい力を発揮することがあるのです。こういうこともいつかブログで解説してみたいです。
アァこのいい波、長く乗り続けたい。明日はでき上がったプラン(これがまたいい庭なんです!)を持って、お客様の待つ足立区までドライブ。ロングライディングのイメージで、久々の東京を楽しんできます。(初スカイツリー)
今回は3灯のライトを設置しました。
「今日の夕飯は外ですよー」というお母さんの言葉に歓声が上がる。子どもたちが寝静まったらふたりで庭に出て、静寂を楽しむ。夏は心地いい夜風で心身ともにクールダウンする。頑張って仕事して、終電で帰宅して、庭でようやく心の戦闘モードを解除できるというご主人もいらっしゃいました。
庭を「過ごす場所」にして、そこを「夜も楽しめる」ようにできたら、暮らしの幅はグンと広がります。そして幸せな時間も。
たった3灯の明りで、真っ暗だった夜の庭が「幸せな場所」になる。
あなたはすでに気がついていると思いますけど、幸せな時間はいつも目の前にあります。扉を開けてそこに入ってゆくかどうかの判断はあなた(ぼく)にゆだねられています。あなた(ぼく)の幸せを決定づけるのは地球上でただひとり、あなた(ぼく)。
その判断力を鈍らせる障害もまた、次から次とやってきます。パッと飛び越えても、さらに高いハードルが現れます。それを飛び越えて、飛び越えて、人生は百万メートルハードル。
・・・かな?ちがうんだなあ。
10年前に青木仁志さんというお客様から教わった言葉です。
いわふちさん、人生は眉毛の上3センチで決まりますよ。
そこにあるのは前頭葉です。すべては思考次第なのです。思考の中に未来がある。人生はあなた(ぼく)の思い描いた通りに、口にした言葉通りに展開するという不思議を、この10年間、繰り返し繰り返し実感しています。
いい言葉でしょ、思考の中に未来がある。
ひとりの友人が天国へと旅立ちました。「彼の人生、あれで良かったのかなあ。彼は幸せだったのだろうか」と、一瞬そう思っては、思考は自分の人生、自分に与えられた時間をどう生きるか、ということに移行します。残ったものにできることは、それだけですからね。
さっ、今日も張り切って設計しますよ!
でも、お楽しみはもうすぐです。花が咲いて、実がなって、やさしく涼しげな葉っぱが茂って、そして紅葉と、秋の落葉までの間、存分に楽しませてくれる木です。まあ冬はゆっくりと休んでいただきましょう(寒肥をお忘れなく)。
庭で過ごす時だけではなく、室内から見える位置にジューンベリーのようなそよぐ落葉樹を植えることをお勧めします。夏、快適に空調の利いた室内から外を見て、木が風にそよいでいる、雨にぬれている、春から秋、芽が出て、花が咲いて、実がなって、それを眺めながらの暮らしが大事なのです。快適な室内の背景としての庭の風景に、風にそよぐ落葉樹をぜひ!
ここに植えたのには理由があって、道路を挟んだお向かいさんのベランダを隠すため。
庭の構成上も、いいアクセントになる場所です。
キンモクセイのお楽しみは秋。春のジンチョウゲと秋のキンモクセイの香りは、ほんと、しみますよね。
この庭は、まだまだ木を植える余地がありますので、何かいいことがあったら記念樹として植え足していってほしいなあと思っています。
あと数本植えて、それが育っていって、すると庭はどんどん濃くなっていきます。庭が緑濃く変貌していくまでの時間、ご家族のすてきなシーン、想い出も積み重なって、濃くて分厚い幸福感に満ちた庭へと成長していく、そんなイメージで庭木の配植を考えました。
今後この庭に植え足していく記念樹の候補としては、アンズ、ウメ、フラミンゴカエデ、ナツミカン、ゲッケイジュ、ホプシー、ソヨゴ、オリーブ、サルスベリ、ブラシノキ、エゴノキ、ドラセナ、クロガネモチ・・・・。アァきりがない。今、頭の中はジャングルになっています。
まああと数本として、高台にあるこの庭が、10年後、空に浮かぶ森みたいになってたらいいなあ。
このゴージャスな八重、そして春先の花らしい鮮やかな色。
このラナンキュラスをいいなあと思うきっかけがあって、それは菊地さんちの庭に咲いていたからなのです。
時々ブログにご登場いただいている菊地さんちは、それはそれは、絵に描いたような幸せな暮らしを実現されていて、庭もまた花があふれています。
そういえば菊地さんちも、今回と同じく砂場がある庭でした。それも巨大な砂 場が庭の真ん中に。
でも最近、上のお嬢ちゃんから「ここは畑にしようよ」という庭改造プランが持ち上がったそうで・・・バーベキュー炉は・・・。まあ、それもまた楽し、ですね。
これが菊地さんちのラナンキュラスです。
切り花にして部屋でも楽しんでらっしゃいました。
幸せな人ってありがたい。ググッと引っ張り上げられます。
春の話題を書きながら、窓の外は雪。庭の芝生に積雪2センチで、パンジー・ビオラは押しつぶされています。
なんだかかわいそうな光景ですけど、そうばかりではなく、これにはひとつの楽しみが隠されています。
春の雪はたいがい翌日よく晴れて、しかも気温がグンと上昇しますよね。すると、この重たい雪が積もっうなだれている花が、別人(別花)のように元気になるのです。あきらかに雪に降られる前よりも元気で、生命力に満ち満ちた状態が観られます。これが隠れたお楽しみ。
雪が溶けたら観察してみてください、その重みで折れる花はほとんどありません。大したものなのです。
うちの港南台店はホームセンターの花売り場に面しています。一日中花を眺めながら仕事ができるので、とても気分が良く、設計もはかどります。
花っていいですよね。視界に花があるだけで、ぼくはずいぶんといい状態に引っ張り上げられているということに気がついてから、花も緑もない瞑想室のような設計室ではなく、花に埋もれているような環境の、この店での作業に切り替えました。
そこで、花苗を買い求めるお客様を見るともなしに見ているて、そのお題「おじさんはなぜしかめっ面で花を選ぶのか」が浮かびました。
ほんとに多いんですよ、眉間にしわ寄せて、腕組みして。奥様たちにはひとりもいません、そういう人。女性のみなさんは他の売り場から花売り場に入ったとたんに、表情が和らいで、口角が上がります。
対して、おじさんで口角が上がっている人は、そうですねえ100人にひとりぐらいです。
何ででしょう???
花が嫌い・・・なら買いにきませんよね。
よっぽど嫌なことがあった・・・99%の人が!?そんなわけないですよね。
なぜなんでしょう・・・。
あなたはどう思います、この現象。
ぼくは考えに考えてひとつの結論に達しました。
宿題です、あなたもこのこと、考えてみてください。おじさんはなぜしかめっ面で花を買うのでしょうか???
明日、ぼくの回答を書きます。
さっ、今日も張り切って、春風に揺れる花を視界の隅に入れながら、花いっぱいのときめく庭をイメージしますよ!
昨日の宿題の答え合わせです。
花って「幸せの象徴」です。食べられるわけでもないし、何かに便利に使えるわけでもない、お金を出して買って苦労して育てて、そしてただ眺めるものです。幸福感と切り離して考えたら、毎日飛ぶように売れていることの理由が浮かびませんよね。・・・花は幸せの象徴。
女の人は感覚的ですから、花売り場に踏み入ったとたんに幸せの予感とか香りをすぐに嗅ぎ分けて、いきなりその香り、幸福感に浸ります。だから表情がウットリして口角が上がる。
対して男性は論理的なので「幸せの象徴」を吟味して選ぼうとするのです。その花の特性、値段、育て方、それに必要な道具や肥料、そういうことをすべて納得しない限り花を買いません。
男性は花を選ぶときにも、仕事と同じく失敗をとても恐れます。考えに考えて、だからしかめっ面になる。これはもう男の特性です。ですから口がへの字になってしかめっ面になるのです。眉間のしわが深いほど、その人は家族の幸せを組み立てるために真剣なのである、といえます。
これがぼくの回答ですけど、いかがでしょうか。
女性は理屈抜きに、お風呂につかるように、チャポンとすぐに目の前の幸福感に浸ります。女性の興味は「美味しい・楽しい・美しい」がすべてで、そこに至るプロセスなどには一切興味なし。
男性は、そういう女性に幸福感を与えようと、一生懸命に作戦を練って、プロセスを組み立てて、そして真剣になればなるほどしかめ面になっていく。
幸せの象徴を目の前にした笑顔の女性としかめっ面の男性、このギャップ、どう思います?
花選びに限らず、家庭内のあらゆる場面で当然その現象は起こるわけでして、ご主人が理屈で家族の幸せを追求するほど、眉間にしわが寄るほど、空気がギクシャク、頑張れば頑張るほど奥様がストレスを溜め込む、そしてある日大爆発!そんなことがきっとあなたの家でもあるんじゃないでしょうか。・・・あると言ってください!わが家だけだとあまりに恥ずかしいので。
笑顔としかめっ面、どちらも相手の、家族の幸せを求めている。このギャップが日本中の夫婦のもめ事のベースにあるような気がしています。
♪男と女の間には深くて暗い川がある♪と歌ってる場合ではなく、何とかしなければなりませんよねこのギャップ。
ではそれを、どう解決したらいいのか。
はーい、これが今日の宿題でーす。
間が空いてしまいましたが川村さんちの続きです。
っと、どんな話だったか忘れちゃったと思いますので復習してからにしましょう。
「園芸コーナーで花を選ぶときに、女性は売り場に入ったとたんに笑顔になるのに対して、男性はなぜしかめっ面になるのか」
その答えは「女性は感覚的で男性は論理的だから」でした。そしてその前提として「花は生活必需品ではなく幸せの象徴」ということがあり、女性は花がある暮らしの幸福感にすぐにどっぷりと浸るのに対して、男性は現実意的に、論理的に、花を吟味し、育て方を確認し、それに必要な道具や肥料まで落ち度なく買いそろえようとする。女性が望む幸福感を実現するための戦略を練っているのでしかめっ面になる。
花を選ぶときに限らず、同じロジックだと思うんですが、生活全般において奥様はニコニコ、旦那様は仏頂面というパターンを見かけますし、よくよく考えるとわが家もその傾向があります。
妻は基本的に笑顔でおしゃべりです。それが度を超してそうなもんで、その反動もあって、ぼくは要所要所で寡黙になってじっくりと考えるようになります。眉間にしわ寄せて。
この男と女の違い、ギャップが夫婦のもめ事の入り口になる場合があります。
家庭内のあらゆる場面で、ご主人が理屈で家族の幸せを追求するほど、眉間にしわが寄るほど、空気がギクシャク、頑張れば頑張るほど奥様がストレスを溜め込む、そしてある日大爆発!心当たりあるんじゃないでしょうか。
笑顔の奥様としかめっ面のご主人、どちらも相手の、家族の幸せを求めている。このギャップが日本中の夫婦のもめ事のベースにある。ではそれをどう解決したらいいのか。
これが次の宿題でしたね。
はい、ここまでが前回の復習でした。
では、答え合わせです。
笑顔としかめっ面、このギャップをどう埋めればいいのか。
ぼくの答えは「そのままでいい」です。
男は男らしく、女は女らしく、ギャップはふたりに与えられた試練。
時々ご主人の理屈に巻き込まれて輝きを失っている奥様がいらっしゃいます。逆に、奥様の感覚的な思考に同調して精彩を欠いているご主人もいます。
いけません、女性はあくまでも理屈抜きじゃなきゃ。そして男性は、ぼくが男なので少々きつく言ってしまえば、しっかりと理論に従って暮らしを構築し続けなければ、結果的には女性を幸せにはできない気がします。女房の爆発くらいで理論構築の任務を投げ出してはいけません。
夫婦はもめてあたりまえ!たまに小競り合いするくらいお互いに元気でいたいものです。
ただ、その試練を乗り越えるために、身につけておきたいことがあります。それは「思いやり」です。
女性の皆様、男性が理屈をこねてしかめっ面していたら、それはあなたのことを思いやっているんだと理解していただけないでしょうか。理屈っぽいしかめっ面に向かって、ニコッと笑って「あなたのそういうところが頼もしいのよねえ」と言っていただけると、男としては眉間を緩める逃げ道ができるのです。それが思いやりってもんですよ、わかっているんですから、鏡を見て、気難しくなっている自分の顔。
男性のみなさんは、できるだけ会話が理屈に走りすぎないように心がけましょう。理屈は大事、ものごとの組み立てや実現のしかたは女性には難しいことなので、我々男の役回りではありますが、その理屈は頭の中だけにとどめてあまり言葉にはしないのが思いやりです。相手は仕事関係の人ではなく、最愛の妻なんですから。
妻に「幸せに至る理論」を理解させることよりも、笑顔でいてくれることの方が百倍重要なことです。
男は黙って、顔で笑って心で泣いて。
そして73歳になったら、加山雄三さんのように、「光進丸ではぼくが船長だからいちばん偉いんだけど、家に帰ったら女房がいちばん偉い。艦隊を指揮する提督だからね」と言う。かっこいい!
若いうちにこんなこと言う男は・・・。思いやりをなくさずに小競り合いを繰り返しながら、夫は夫として、妻は妻として成長していくのです。
さあすっかり春になりました。もうすぐ桜が咲きます。夫婦でホームセンターや園芸店に行って、奥様はニッコニコで、ご主人は思いっきりしかめっ面で、花を買いましょう!
朝、幼稚園のバスを待つ一群に出会います。ちびっこたちは常に元気で子犬のようにはしゃぎまわり、お母様方はみなさんにこやか。笑顔率100%で、その中に表情が冴えないお母さんがいたら不自然に感じるほど、その一帯は明るく幸せな空気に包まれています。
バスがきて子どもたちが乗り込み、手を振って見送ったお母さんたちは、解散せずにそこで井戸端会議を始めます。けっこう長い時間、実に楽しそうに会話を弾ませています。
女性ってのは、つくづく話し好きなんだなあと。これがお父さんだと、バスが行ったら「任務完了!」という感じですぐに帰宅しますからね。
おしゃべりもそうですが、女性は常に楽しむことに積極的です。男から見ると時にどん欲に感じるほど、楽しい時間を欲して暮らしている。これがひとつの女性らしさなんでしょうね。
そういう女性の楽しむことに積極的、「楽しみたがり屋」という特性は、庭でも発揮されます。というか、それなしには庭は楽しい場所になりづらい。
住宅地を歩いていて、玄関先や庭に動物の小物や人形を発見すると、ぼくはそこに「女性」を感じます。「ここの奥様は楽しみたがり屋なんだろうなあ」って、お会いしたこともないのに、おしゃべり好きな奥様の笑顔が浮かんできて、気持が柔らかーくほぐれていきます。
プランターアレンジもそう。
昨日、以前ブログで紹介した藤井さんちの前を通りました。庭を覗くと奥様お得意のみごとな鉢植えがいくつもあって、まだ草花のボリュームが少ないこの時期に、藤井さんちの庭にだけ春が先回りしてきたような感じでした。その鉢植えの美しさから、冬の間も庭を楽しんでいた様子が伝わってきて、ものすごくうれしくなりました。
男にとって、女性の「楽しみたがり屋」という特性はほんとにありがたいです。
昨日の「笑顔としかめっ面」のつづきですけど、女性のみなさま、思う存分楽しんでください。旦那の機嫌など一切気にしないで、楽しいことに夢中な一日を過ごしてください。不機嫌な顔をしている旦那さんに付き合う必要などないのです。ご主人は笑顔を絶やさない「楽しみたがり屋」のあなたに感謝しながら、(不器用にも)しかめっ面で理屈をこねているだけで、願っているのはあなたの幸せなのですから。間違いない!そうじゃなかったら、不機嫌な顔なんてしませんよ。
港南台店に庭の相談に来られたお子さん連れの若いお母さん、どうも表情が冴えないので、庭の話もそこそこにあれこれうかがったら、どうやら育児のストレスとご主人の不機嫌が負のスパイラルになって(よくあることです)かなり疲れている様子でしたので、数日かけてこの話題を書きました。きっと読んでくれていると思います。
「◯◯さん、庭は二の次三の次、まずあなた自身が笑顔を取り戻すことですよ。子育ての苦労は、過ぎてみればすべて楽しい想い出になります。ご主人もまだ新米亭主ですから、力が入ると理屈っぽくなるのです。大丈夫、今はまだしかめっ面しかできないご主人も、少しずつ少しずつ成長して、やがてあなたが望んでいるように、あなたが深刻な相談を持ちかけても、ドンと構えてニコニコ笑っている人になりますよ。ちょっと長いスパンで捉えれば、すべてはあなたがイメージした通りになっていくのです。大丈夫!だと思えば大丈夫になる。笑顔、楽天的な笑顔。ニコッと笑ってみてください。子どもたちはすぐに、あなたの笑顔に共鳴してくるはずです」
女性のみなさま、旦那のことはほっといて、堂々と、女性らしく、「美味しい・楽しい・美しい」を追求しましょう!
あなたがとびきりの笑顔でいることが、すべての問題をいい方向へと導くのです。
なぜ庭にいると、庭で集うと、室内とは別世界のいい感じを味わえるのかと考えると、最大の要素はそこが屋外だということです(あたりまえか)。
壁も屋根もない、テレビもエアコンもない場所。空気が流れていて、その空気の流れは果てしなくつながっていきます。あなたの故郷まで、その空気は連動しています。もっと広く、地球上の大気の流れとつながっています。いうならば広大な自然の中にポツンと居る状態です(いいぞいいぞ、話がでかくなってきた。こういうときはいいことが書けます)。
自分の家、自分の縄張りで自然とつながれる、地球の一部にいることを感じられる場所、それが庭なのです。
ガーデンリフォームが終わったばかりのお宅のご主人のお話しです。
都心のオフィスビルに一日中こもりっきりで仕事して、外に出るのは終電間近の時間帯というその方が、休日に居心地がよくなった庭に居て、「夕暮れ時の、グッと気持がセンチメンタルになる感じを久しぶりに味わいました」とおっしゃっていました。
これです!庭の大きな魅力なんです、夕暮れから夜に移行する時間。
この時間帯の情感を、新潟弁で「ホトホトッとする」と言います。
人はなぜ夕方になるとホトホトッとするのか。きっと子どものころの記憶なんでしょうね。
友だ ちと空き地や神社の境内で三角ベースや缶蹴りをやっていて、だんだん暗くなってきて、まだまだ遊んでいたいけど腹は減るし暗くなってくるしで「じゃあまたね」と解散し、家路につく。あちこちの台所からカレーや揚げ物の匂いがして、足はだんだん速くなって、ついには走り出し、息せき切って家に駆け込む「ただいまー!はらへったー!」。
その、幸せを認識しないほどの大きな幸福感に包まれていた幼少時の記憶の引き出しが引っ張り出され、郷愁を誘ってホトホトッとするんですよね。
自然を感じる、地球の一部にいるということを感じる場所、庭。特に夕方から夜の庭は情感をくすぐられます。
明日は夕暮れ時の、ぼくの密かな楽しみを告白します。
松山千春のお言葉。
金のあるヤツァア金を出せ!
知恵のあるヤツァア知恵を出せ!
なんにもないヤツァア元気出せ!
う〜ん、らしいなあ〜。
さっ、元気出そ!
まあもともと、会社勤めのころから「起きてる間は仕事してる」というタイプでして、自分の会社となるとそれがさらに過剰になっていって、「寝ているときでも夢で仕事している」状態ですからタイムカードの意味がないんですけどね。
そんな自由さをいいことに、時々明るいうちに帰宅して、愛犬ノアの散歩を駆け足で済ませてから、庭のテーブルにパソコンを開いて仕事をしています。
だんだん夕暮れになって、庭に差し込む西日に目を細めながらキーを打つ。いい感じです。
やがて辺りは暗くなり、空に宇宙ステーションが輝き出す頃、(不謹慎にも)缶ビールをプシュッと空けて、i Tunes に仕込んだ加山雄三さんを小さく流しつつ、グビグビやりながらさらに仕事。
お酒が弱いので、徐々に頭が弛緩していって、仕事モードからリラックス状態へと移っていきます。
その状態、仕事モードのハイテンションが落ち着いてきて、ちょうどよく弛んだときに、ものいすごいことが起こり始めます。思考が超ポジティブになるのです。ポジティブで、かつインスピレーションが流星群のように降ってくるトリップ状態に入っていきます。
夕闇の庭でパソコンを叩いていても、それは習慣で指が動いているだけで、頭の中は別次元をさまよい出す。こういうときにいいアイデアが生まれます。他の時間にいくら唸っても解決しなかったことの答えが浮かびます。すぐにメモします。そのときがいつ来てもいいように、ノートブックの脇にいつもメモ紙を一枚置いてあるのです。
そこでメモしたことが、その後このブログや仕事全般に反映されていく、ありがたいありがたい奇跡が起こる時間帯。
夕暮れから夜、庭は不思議なチカラを与えてくれる場所。このことを実感したら、もうそれ抜きの暮らしなど考えられなくなります。ぼくにとって庭は、そんな一面を持っています。
冬の間はさすがに寒くてこれができませんでした。もう夜でも庭に居られる気候になりましたので、これから次の冬が来るまで、この「庭での特別な時間」を楽しみまくろうと思っています。
今日の話は「庭屋が庭で庭のことを考えるといいアイデアが生まれる」という、一般的ではない庭の効用でしたが、これは一例で、庭、特に夕暮れから夜の庭は不思議な魅力を秘めているということをお伝えしたかったのです。
夕暮れから夜へと、光が劇的に変化してゆく庭。そこには不思議なチカラが秘められています。
いくつかの「今書いておこう」と思うことを挟みながらの川村さんちのご紹介でしたので、とぎれとぎれになってしまいましたが、あと数回となりました。
世の中も、そしてぼくの頭の中もいくらか平静を取り戻してきましたので、夜景が最も美しい時間帯の写真をご覧いただきながら、今日は地震後これまでに、自分の中にガレキのように堆積したさまざまな思いや言葉を、拾い出しておこうと思います。
「祈り」
何もできずにただ祈るしかない時間がありました。祈り続けました。
「泣く」
根が傷んだときに、自ら葉を落とす木は必ず回復します。人も同じなんだなあと。泣けるということは生命力の証し、必ず立ち上がれる。
「本性」
自分の本性が見たかった。自分は何なのかを確認したかったが、いつまでも揺れていてはっきりとは見えなかった。見えてきたのは妻(女性)の強さと清らかな日本人の本性。
「みんなつながっている/ジュピターが教えてくれたこと」
震災の一ヶ月前に読んだ吉本由美さんの本のタイトル。
あのタイミングで出会ったその本のおかげで、ぼくの中に打ち込まれた由美さん流の「来るなら来い!」というクサビのおかげで、ブログを書き続け、仕事の手を休めずにいることができました。
「明るさは強さ」
多くのお客様から感じたことです。
「心を癒す言葉、それは“ 希望 ”しかない/シェークスピア」
これは震災後のラジオで北原照久さんから出た言葉。
「リーダーとは希望を配る人のことである/ナポレオン」
この間の北原さんは、いち早く笑顔を取り戻し、多くの人を励まし、元気を与え、希望を配るリーダーでした。高速回転している人は、ぶれない。
「家族」
命を落としたすべての人に、被災したすべての人に、津波の映像を見たすべての人に、家族がいるという、あたりまえですが、そのことを考え続けていました。
「仕事」
自分の仕事が持つ役割、自分が果たすべき役割の大きさを確認しました。
「笑顔」
人間は笑うことができるから人間でいられるのだと、あらためてそれを知りました。
「人は発した言葉と必ず出会う/エドガー・ケーシー」
被災者の、追いつめられ打ちのめされたときに出た言葉に、何度も感動し涙が出ました。人間は強くて気高い、大丈夫だと確信できました。
「感謝」
親に、妻に、子どもたちに、これまでに出会った全ての人に、目に見えるすべてのものに、今あることに。
「ひと隅を照らす」
ぼくの命が終わる日まで、地球の発光細胞として輝き続けたい。
「儚い」
人の夢と書いて儚い。この字の解釈が変わりました。後日まとめます。
「気づく」
月夜の明るさに気づきました。日常が幸せに満ちていることに気づきました。
「がんばる」
きついときにがんばることをがんばるというのだ。きついからがんばる。さあ来い!まだまだがんばれますよ。
がんばり方は晴れやかな笑顔で、顏晴る。
「凛々と眉を上げ、白い帆を張って」
ものすごいメッセージだったなあ。言葉にはチカラがある。
「記憶」
楽しい想い出、幸せな時間の記憶の上に立っている人はへたらない。愛情に育まれ、楽しく暮らすと、強くなる。
「揺れる」
みんな揺れている。みんな踏ん張っている。
あなたは大丈夫だと、絶対に大丈夫だと、信じて、強くそう信じて、祈っています。
長期戦、ぼくらもいっしょに戦い続けます。
でもねえ、こんなふうに夢語っていたいんだなあ。
さっ、気を取り直して、川村さんちの夜景をご覧いただきます。
お客様の中には、しっかりと節電しつつオイルランプやキャンドルで、変わらずに夜の庭を楽しんでいる方も多くて、さすが!と、そのたくましさ、良質なパワーをいただいています。
そう、夢を語る人たちには、明りが消えても夜の庭は最高の場所なのです。
庭に出ましょう!こんなときだからこそ、庭に出て、芝生を丹念に手入れして、いっぱい花を植えましょう。そして夜になったらキャンドル灯しましょう。家族の時間、夢を語る時間まで節約する必要はないのですから。
先行きを不安がることは何の役にも立ちません。人が抱く不安の99%は起こらないといいます。残り1%の不安要素が現実のものになったとき、その局面を切り抜けられるのは、それまで不安を抱えていた人ではなく、不安を打ち消して元気にキラキラと夢を語っていた人なのです。
節電で辺りが暗くなればなるほど、月や星の明るさが際立ちます。
あなたは連れ合いの月であり、子どもたちの星でいてくださいね。
さっ、庭に出ましょ!
新築して3年間「庭を何とかしなければ」と思いつつそのままになっていて、外を眺めてはため息。そんなある日、ノラネコからのビッグプレゼントで奮起して着手した庭づくりでした。
もう一度ビフォー・アフターをご覧ください。
After
Before
After
これからこの場所で、川村さんご一家がどんな時間を過ごすのかと思うとウキウキしてしまいます。
イメージすること。幸せなシーンをイメージすること。
口角を上げて、目尻を下げて、イメージすること。
あなたが実現したい幸せな庭をイメージすること。
最初はさほど具体的である必要はありません。ただワクワクとイメージすること。
力まずに、柔らかく、「そうなったら、楽しいだろうなあ」と、日に5分でも、一瞬でもいいので、それを毎日思い続けること。
妄想癖、そんな癖がついたらもうその庭は確実に実現へと向かいます。庭に限らず、柔らかく思い続けることで、たいがいのことは実現するのです。
このすばらしい魔法を使わない手はありません。
川村さんご夫婦は、まさにこのタイプでした。おふたりとも力みがない。笑顔で、やさしく柔らかいイマジネーションを消さずに、それがゆっくりゆっくりと花ひらいていくような暮らしを送っています。とてもいい感じです。
川村さん、たくさん花を植えて、野菜も育てて、木も植えて、ぼくちゃんと一緒にタイルを砂だらけドロだらけにして遊びまくってくださいね。楽しい仕事をありがとうございました。地震のこともあり、忘れられない庭になりました。