2007年最初にご紹介するのは一本の木です。
お電話でガーデンリフォームのご依頼をいただいて、まずは現地を拝見に。で、一目で衝撃を受けました。芝生の庭の真ん中に生えているクロガネモチ、その魅力的な樹形と圧倒的な存在感。長いことこの仕事をしていますが、一本の木にこれほど感じ入ったことはありません。ただ大きいとか樹形が美しいというのではなくて、何か不思議な雰囲気がありました。ステージ中央でパバロッティが独唱しているようでもあり、情感を漂わせながら光る港横浜のシンボル灯台マリンタワーのようでもあり、庭だけではなくてそれを望むリビングにまでそのファンタスティックなパワーが強く射し込んできます。勧められて腰掛けたソファーでしばしうっとりとその木を眺めていました。
庭の打合せは後回しで、すっかりこの木のことで盛り上がりました。奥様にうかがうと亡くなったご主人が見つけてきた木だそうで、一目で気に入って買い付け、植木屋さんが大きなクレーンを使って植え込んだのだそうです。しかもご主人の指示で庭の真ん真ん中に。素晴らしい感性です。聞くとご主人、大手広告代理店にお勤めのコピーライターだったそうで、「ウ~ン、さもありなん」。さすがに一流の感覚人です。残念ながら定年後数年で亡くなられたそうで、でもこの木を見ているとそご主人が持っていたイマジネーションやら思いやら、いろんなことが息づいている気がして。そしてご主人のことを話す奥様の様子がすてきで、とっても愛されていたんだなあと思いました。
息子さんが結婚されて、逗子で一緒に暮らそうという話があったときに「この木と庭から離れたくない」と言って、結局息子さん夫婦がこちらに引っ越して同居ということになったそうです。
お母さん思いの若夫婦とかわいらしいお孫さん。それと人なつっこいゴールデンに囲まれおだやかに、笑顔が絶えない生活を送る奥様が、大切に手入れしながら楽しんでいるご主人作のこの庭、これこそ究極のファミリーガーデンなのです。
そんな素晴らしい庭をリフォーム?でもそこにこの庭の魅力、ご家族の魅力が潜んでいると感じました。もっとすてきに、もっと楽しく、常に“もっと”をお持ちなのです。それはおそらくご主人がそういうタイプの方で、皆さんがその感覚をしっかりと受け継いでいるのでしょう。
Plan A
Plan B
コピーライターだったご主人のイマジネーション豊かな生活ぶりと家族への思いが息づいている庭。その感じを消さないように、慎重に仕立て直したのがPlan Aです。そして次のPlan Bは、この庭の主であるクロガネモチを円形を使ってフレームアップすることで、庭のパワーを上げつつしっかりとした進化を感じる仕立てを試みたものです。
数日の家族会議を経てPlan Aに決定しました。
次は和のコーナー。これまたいい感じのモダンな坪庭で、残念ながら背後の御簾垣が傷んでいたので取り替えを。最初篠竹を使って同じ仕立ての御簾垣を提案しましたが、奥様のご要望で木工フェンスになりました。色を渋めにすればかえっておもしろいモダン和風になるし、メインの庭とも違和感無く調和するのではと判断。板目も縦ではなくてあえて横張りにしました。
クロガネモチのファンタジーが支配する庭、田辺邸のビフォー・アフターです。
Before
After
Before
After
Before
After
リフォーム前、竹垣は崩れていたものの全体的にとてもホットな雰囲気を感じました。その感じはご家族が長い時間を庭で過ごしていて、いつも庭が意識に入っているという日常から生まれるものなのでしょう。
これと同じ仕立ての庭でちがう家族が暮らしたら、きっと半年で全く感じが変わってしまいます。それほど庭は住む人の意識や暮らしぶりやイマジネーションを反映するのです。住む人の“生き方”が幾重にも折り重なって成立している庭に出会うたびに感じる、いい映画を観たあとのような満たされた気持。
皆さんのご自宅の庭をイイ感じにするのはガーデンデザインではありません。デザインはそれの下準備、お手伝いができるだけなのです。その庭で家族がどれだけすてきな時間を過ごしたかによってその庭はしっかりと息づきながら成長を続けるのです。
この、庭が息づいているか否かは、ファミリーガーデン以外でもよく感じます。例えば京都の苔寺の奥の方にある日本最古の枯山水という石組み。今での迫力満点に迫ってきます。有名な龍安寺や大徳寺大仙院の石庭もそうです。もう何百年もの間、観る人のハートにくさびを打ち込み続けているのです。
ところが、同じく有名な鎌倉の古刹を見学に行って、方丈庭園を観た瞬間「ンッ、何じゃこりゃ!?」まったく生気を感じなかったことがあります。その原因が何なのか不明でしたが、電化製品のコンセントが抜けている感じで、がっかりして帰ってきました。
あとでいろいろと考えたのですが、たぶんお坊さんたちにとってその庭は“掃除をする場所”ぐらいにしか意識されないまま年月が経ってしまったのでしょう。いくら手入れが出来ていて仕立てが良くても、そこに日々の人の気持が入らなければ庭は息づかないものなのです。
田辺邸の完成写真をご覧頂きながら昨日の話、庭が息づくということの続きを。
庭を観て“電化製品のコンセントが抜けているみたいだ”と感じたのは北鎌倉の明月院での事でした。もう10年以上前に行ったときの印象なので今はどうなっているのかわかりません。近いうちにもう一度訪れてみようと思います。
お寺さんの庭、観光・商業施設の庭、美術館の庭、一般家庭の庭、どの庭でもその仕立てや手入れ具合と全く別に“庭が生きているか死んでいるか”ということがあります。生き死にだとやや辛らつなのでもう少し柔らかく言えば、庭に活気があるかどうか。その庭に立ったときに瞬時にして何かしらのパワーが伝わってくるかどうかということです。
例えば雑草だらけでほとんど手入れをしていない庭でも、焚き火の跡があったり、子供がつくった落とし穴や土のトンネルや泥団子を見つけると、何ともあったかい気持になります。反対に、モデルハウスの庭のように出来上がっていてしっかりと手入れがされていても、全く意識に入って来ないで見過ごしてしまう庭もあります。
この違いがどこから生まれるのかと言いますと、その庭が誰かにとって大切な場所かどうかということ。落とし穴をつくった子供にとってその庭はワクワクドキドキする秘密基地であり、夢中で遊べる大切な場所なのです。でもモデルハウスの庭は、社員さんが仕事として落ち葉を掃き水をまいているだけですから、例えそこに季節の花が植わっていても通り過ぎる人の意識に入って来ません。
昨日の続きです。
せっかくの庭スペースが家族の誰にとっても大切ではない、別にどうでもいい場所になっていないでしょうか。そうなっているという方、ではリビングはどうでしょうか。キッチンは、寝室は、もしかしたら庭だけではなくて室内も家族にとって“どうでもいい場所”になっているのでは?
おどかすわけではありませんが、庭は家族を映します。庭の状態イコール家族の状態、時にはそんなふうにイメージして我が家を自己診断してみて下さい。
漫然と時を過ごしていたら家族の幸せは色褪せて、パワーは落ちていきます。そんなときにアクシデントが起こったら・・・。ほんとに、決しておどかすわけではなくって、意識して、積極的に家族の状態を高めていくことが必要なのです。庭の崩壊は家庭崩壊の予兆・・・です。言い切っちゃいます。
今回の仕事で、リフォーム前に感じた庭に満ちているイイ感じに感激して、その興奮からついついこんな話になりました。
明日は田辺邸の最後に、もう一度あのファンタスティックなクロガネモチとそこに住み着いた妖精たちの写真をご覧いただきます。
ひと目見て感激した田辺邸の庭。そのまん中でご家族に幸福のオーラを放っているクロガネモチをもう一度。