引続き深海邸のご紹介、完成写真です。
深海さんと知り合ってとても印象的だったことがあります。それは暮らしぶりがのどかなことです。のどかと言ってもただのんびりと、時計がゆっくりと回っている感じののどかさではなくて、けっこう忙しくエネルギッシュに生活しているのにとても柔らかい生活感をかもし出しているのです。そんな深海さんのイメージが施工後ずっと気持ちに残っていて、ある時その本質に気付きました。あの、エネルギッシュなのにのどかで柔らかい生活感は『田舎』なのです。奥様の出身は千葉県、たしか多古か小見川あたりだとうかがいました。房総半島の中央部、今でも“のどか”そのものの地域です。とは言ってもたくましく農耕生活が行われているところなので、住んでいる人々は日々忙しい働き者ぞろいです。深海さんの奥様はここ横浜で、その地方の農村の暮らしそのままに生活されている、そんな感じなのです。
私も妻カオリちゃんも地方出身者ですが、深海さんのように生まれ育った土地の生活感、感覚を大事にして生活するという感じと正反対で「はやく田舎臭さを捨て去って“都会人”にならなければ」ということを強烈に意識しながらやってきた気がします。
ではここで久々の登場、かつて強烈に“都会人”になろうと悪戦苦闘した経験を持つ妻カオリちゃんにお話をうかがいましょう。
〈 カオリ 〉そりゃあもう、姫路から横浜に出てきたわけだから大変だったわよ。関西のひなびた漁村から“ハマトラ”の横浜に出てくるんだから、かなり緊張して気合いも入っていました。ところが入学した国大のキャンパスが相鉄線沿線の和田町、当時は(今でも)のどかで、何と姫路よりも田舎感あふれるところだったから、半分ガッカリ、半分ホッとしましたよ。それでも大変だったのが言葉、関西弁のハンデはきつかったあ。行き先が東京ならきっともう少し楽だったのかもしれないけど、関西の播州弁vs横浜弁は単に方言とかインテネーションが違うとかそういうレベルを超えて“人種が違う”という感じがして、まず言葉を発することができない。で、どうしたかというと、銭湯に行って地元のおばちゃんたちの会話をひたすらヒアリングしながら横浜弁をマスターしました。友だちと普通に話せるようになるまで半年くらいかかったかなあ。あの半年が私の人生で唯一無口だった期間でした。
〈 ヒデ 〉そりゃきついよねえ。姫路から近い神戸と横浜は感じがかなり似ているけど、関西と関東という違いは決定的だもんね。しかも姫路市郊外、NHKの『小さな旅』に出てきそうな網干(アボシ)と横浜の郊外、保土ヶ谷区の和田町だもんね。いやあ、ほんとにきつかったと思うよ、ほとんど外国だもんね。ブータンから雲南省に引っ越したようなもんだからねえ。
〈 カオリ 〉例えがすっごくわかりづらいんですけど・・・。
私の出身地は新潟なので、文化圏は関東です。方言はあってもイントネーションは標準語とほぼ同じなので、カオリちゃんのように一時的に無口になるということはありませんでした。が、東京に行くなら東京弁をしゃべらないと仲間はずれにされるかもしれないと本気で思い、落語のテープを繰り返し聞いて“江戸弁”をネイティブのごとく話せるようになろうという、今考えると何とも間抜けな努力をしていたものです。
私たちのように、上京する人の多くは、ふるさとの感じを早く消して新天地に馴染もうとするものです。ところがそれと正反対な深海さんの暮らしぶりを拝見、とてもありがたい出会いでした。たかが生活の場所が変わったくらいのことで、自分が生まれ育った田舎の言葉や習慣や生活感を捨てようとすることの悲しさというか弱さというか、我が身を振り返って大いに反省させられました。この深海さんとの出会い以降、田舎の新潟県魚沼市(北魚沼郡小出町)が自分の出身地から自分の土台、ルーツに感じられるようになった気がしています。自信を持って胸を張って「田舎者で良かった~」、そんな気にさせてくださった深海さんに感謝です。