今日から新シリーズです。
その前に、2006年8月31日と9月1日に書いた『芝生の張りかた1・2』が大人気です。はるか昔の記事なのにクリック数がダントツにアップしていて「みなさん暖かくなって来たので、芝生の張り替えや手入れに動き出したんだなあ」と、こちらまでウキウキしてきます。春ですねえ。
荒れた芝生を再生させるには土壌の改良が第一です。その方法は『芝生の張りかた1・2』にきっちりと書いてありますので参考にしてください。記事に書いていなかったことで,雑草対策という注意点もありますので,そのことを少し。
雑草まじりになってしまった芝生をそのまま土壌改良して張り替えても,土に混ざっている種と根っこから次々雑草が生えて来て、張り替え直後から苦労が始まってしまいます。ではどうしたらいいかと言うと、まず雑草にラウンドアップなのど葉から吸収して根まで枯らすタイプの除草剤を散布します。2、3日で枯れますのでそれを取り除いて,待つことしばし。また雑草が生えて来ます。その葉っぱがしっかり開いたところで,また除草剤を散布して、これを何回か繰り返すことで土中にある雑草の種と根っこがほとんどなくなりますので、それから古い芝生を取り除いて,記事にあるような土壌改良をしてください。
除草剤の毒性は一週間ほどで分解されるということですが、「除草剤はどうも・・・」という方は,土の表面を1枚はぎ取る感じですき取って処分し、さらに耕しながら雑草の根(特にドクダミと笹の地下茎)をていねいに拾い出してください。そうすれば張り替え後の雑草取りが格段に楽になります。
では新しい庭の話を始めましょう。
まずはビフォーをご覧ください。
庭は道路に面していて、幅が1メートル50センチ。宅地は道路よりも1メートルほど上がっています。とてもよく見かける条件です。
さあ、あなたならどうしますかこのスペース。
お客様からのご希望は漠然としていて、ガーデニングがさほど好きなわけでもないし(と言いつつ、芝生の手入れはきちっとされているし、緑を眺めながら暮らしたいという気持ちは強いようでした)、ほとんど庭に出たことがないとのこと。でもこのままじゃつまらないので何とかしなくては、という感じでした。
いいんだなあ、その感じ。現状で何か困っているわけではないのに、何となくもっと楽しくできないかなあという、それがいいんです。プラスαを模索する思考というか、仕事も生活も、そういう気持ちがあるのとないのとではちょっと違ってきますよね。ちょっとじゃなくて大きくかな。それは人生を組み立てる能力の大きな要素かもしれません。
「まかせてください!」ということで、ぼくがご提案したのが次の2プランです。
Plan A
Plan B
漠然としたご要望に対して、いくつかの具体的なポイントを設定して設計しました。
1、リビングのカーテンを開けっ放しで生活できるようにする。
2、部屋にいるのと同じ感覚で庭で過ごせるようにする。
3、ダイニングの出窓から樹木が見えるようにする。
4、雑草取りの苦労がいらない程度のガーデニングスペースを確保する。
5、夜も楽しめる場所にする。
とても喜んでくださいまして、そしてご夫婦で検討していただいた結果、Plan Bをもとにして、素材の色や細部を変更して施工することになりました。
アップで左側から並べます。
ダイニング前
リビング前
和室前
住宅地を歩いていると、せっかくの庭スペースが「生活を楽しくする場所」として活かされていない、そういう庭が数限りなくあります。それはそのご家族の庭に対する考え方ですからぼくがどうこう言うことではないし、別にいいんですよそれで。家の外の余った場所ですから。いいんですけど、もし「もっと」という気持ちが芽生えたらイメージしてみてくださいね。庭があることで生活が一層豊かに楽しくなるということを、ぼくは知っていますし、一軒でも多くの家の庭に家族の笑顔が溢れることを願って仕事をしています。あなたの人生でそういうことが必要な場面が来たら声をかけてくださいね。きっとお役に立てると思いますので。
なにかいきなり大上段に構えたようなこと書きましたが、連日庭の相談を受けていると、どうしてもこういう思いがどんどん高まってくるんです。はしゃいでいない、元気が足りない感じのお子さん。笑顔が消えて久しいという雰囲気のご夫婦。モデルハウスのように生活感がないリビング。一年中開かないリビングのカーテン。雑草だらけで殺伐とした庭・・・。悲しいんだなあ。「がんばれー」と応援したいし「こっちだよー」と手招きもしたいし。でもねえ、人それぞれ、人生いいろいろなんですよねえ。まあね、庭がどうこうじゃなくって、あなたとあなたの家族のために、「もっと」にイマジネーションを働かせながら暮らしましょう、ということです。
今回の木村さんご夫婦は出会いから庭完成、そしてこの撮影まで、ずっと笑顔でした。ぼくたち夫婦より一回り上のお二人から感じたそのいい感じは、仕事をさせていただいている間中ぼくたちにすてきな波動を送り続けてくださいました。感謝です。
よりよい人生を組み立てるのに必要な「もっと」が庭に向いたことで、出会えて、そして喜んでいただける庭が完成したことがまた次の庭の設計へのエネルギーになった、そんな仕事でした。
その木村さんちのビフォー・アフターを明日と明後日、ご覧いただきます。
ではビフォー・アフターです。
今回は室内からのものから始めてみようと思います。というのも、室内からの眺めというのが、今回の設計の大きなポイントだったからです。まずはカーテンを開けておけるようにすること。それは同時に、室内の居心地世よくする演出でもあります。外を変えることで庭よりも過ごす時間が長い室内の空間的価値を高める、ということです。それと次に、部屋にいるのと同じ感覚で外に出て過ごせること。そういう誘いが生じるような窓からの風景を目指しました。
Before 1
After 1
Before 2
After 2
いかがでしょうか、狙いはうまくいったのではないかなあって思っているんですけど。
では外に行きましょう。
Before 3
After 3
Before 4
After 4
外のビフォー・アフターを並べてみて思うことは、立体的にイメージすることの効果でした。もともと芝生で、フラットな地面と衝立てのような構成でフェンスがあるという庭でしたから、テラスを持ち上げたり目隠しの塀を立てたりしたことで生まれた空間構成の変化が見て取れると思います。
Before 5
After 5
Before 6
After 6
「何を植えようかなあ」くらいに思っていた地面が、「誰と何して過ごそうかなあ」という空間になりました。
お客様と打合せしながら、目隠しの重要性や立体構成することの居心地のよさを説明しまくっていますけど、こうして写真をご覧いただく方が伝わりやすいですね。さっそく今回のビフォー・アフターをプリントして各店に貼りたいと思います。
明日に続きます。
昨日に引き続いてご覧いただきます。
Before 7
After 7
どうですか、全く違う場所みたいでしょ。
Before 8
After 8
ぼくとしては、たぶん皆様以上の感慨があるわけでして、なにせ自分がゼロから考えた空間が現実のものとしてこの世に出現しているわけですから。こればっかりは設計者の特権なんです。うらやましいですか。やってみますかこういう仕事。きついと言えばきつい部分もありますけど(仕事ですからね)、感動できる仕事だってことは確かなんですよ。逆に言えば、自己満足でもかまわないから自分で感動できることが大事なんです。感動できなければいけない。「自分が100感動して、観客にはやっと1伝わる。感動の伝達は100分の1だよ」そんな具合だって、舞台美術をやっているお客様がおっしゃっていましたけど、ほんとにそうなんですよね。だから10伝えたかったら自分は1000の感動を生み出さなければいけないって。それは庭も同じことです。
次は外に出て道路側から観てみましょう。玄関先と駐車場の脇もちょこっと整備しました。
Before 9
After 9
そして庭を外から。
ダイニング前から全景です。
Before 10
After 10
次はリビング前。
Before 11
After 11
そして和室前。
Before 12
After 12
家の外からの見え方、印象がずいぶん変わりました。「生活楽しんでるなあ。時々中から笑い声が聞こえるけどあの壁の向こうがどうなっているのか、覗いてみたいなあ」、隠した向こうに楽しさの予感がするという感じ。
明日はその、壁の向こう側をご覧いただきます。
園芸資材のトップメーカーであるタカショーのカタログに「庭は5番目の部屋」ということが出てきます。リビング、ダイニング、キッチン、ベッドルーム、そして庭を5番目の部屋として捉えましょう、というコンセプト。いかにもタカショーらしい見事な切り口です。
「庭イコール植物を植える場所」というところから一歩進めて、その場所を「屋根のない部屋」としてイメージしてみること。この概念の引き出しを持っていることで、庭の可能性は格段に広くなります。
今回は庭を3分割して、中央のリビングの外にその「屋根のない部屋」をつくりました。
道路からはこうです。
ポイントは壁の高さで、室内やテラスで立つと向こうが見通せて、椅子に座るとご覧の通りでしっかりと視線が壁に当たります。
壁の高さの設定は、開放感と落着き感をどこで折り合わせるかということなんですね。
壁の上部をラウンドさせたのもそのためで、居場所の中央を高くし背中側を低くすることで、必要な目隠しを果しながら、できるだけ開放感を出したかったのです。結構しつこく検証したんですよ、この壁の高さと形状。何でかというと、壁の立つ位置が建物から1メートル50センチとかなり近いんですね。ですから壁を高くすることでテラスが暗くなったり、狭苦しく感じることをさけたかった。でもこの壁のすぐ外を通行人が通るわけですから、その視線と気配はしっかりと遮断したい。それでああでもないこうでもないと考えた末に生まれた形状と高さなのです。
室内からはこう見えます。これならカーテンは開けっ放しで暮らせますし、段差もないので出やすいし。壁の上部を曲線にしたことで、風景としても和らいだんじゃないかなあと思っています。
細かいことですが、その壁の曲線の頂点がサッシのセンターに合わせてあります。これによってリビングとテラスは同じエリアなんだという感じが出せました。細かいでしょう。こういうことばっかり考えながら設計してるんですよ実は。
テラスの和室側の外に木を植えました。これは軽い目隠しと雰囲気出しが狙いです。樹種はカツラ、ご主人のリクエストです。撮影時にちょうど芽吹いたところで、新緑が西日に透けてものすごくきれいでした。
いかがだったでしょうか。庭を「5番目の部屋」「屋根のない部屋」と捉え直すことで、部屋が外に広がって、日常的に外で過ごす暮しが始まるのです。
「人は草原を駆け回るシマウマではなくて、森に棲むサルなんです」
常連さんには「またその話か」という感じかもしれませんね。しょっちゅう使ってますからねこのネタ。
パーゴラって、昔、20年くらい前は意味が分からなかったんです。何のために必要なのかが。植物をからめる藤棚としてというのが一般的ですよね。だけど神保町で買いあさったヨーロッパの庭の本には、植物と関係なく使われているパーゴラが随所に出て来て、そのたびに「これは屋根でもないし、日よけでもないし、どういう意味があるんだろう」と、何年もそのことは未解決のままだったのです。
そんなある日、テラスにパーゴラをつけたいという依頼がありまして、施工しました。今回と同じでリビングの外に椅子テーブルを置くスペースがあって、建物からそこにかぶるようにパーゴラを取付けました。作業が終わって、奥様がコーヒーを出してくださって、パーゴラの下の椅子に腰掛けて一口飲んだ瞬間に、パーッと長年の謎が解けたんです。「これなのか!」と。落ち着くんですよ。自分より高いところに何かがあると、とっても落ち着くんです。思いましたよ「ぼくはサルなんだなあ」。
空間構成的にいうと、自分がいる空中に壁と屋根の骨組みだけを設置することで、空間が仕切られて、まるで室内にいるような居心地のよさが生まれる。ということなんですね。
草原で暮らすシマウマは物陰からライオンが襲ってくることをさけるために、360度見渡せる場所で暮らしています。サルは草原にはいませんよね、森の中で暮らしています。木のほこらや岩陰や、そういう隠った場所で身を寄せ合うようにして生きています。『家』があるんですよね。そして人間はシマウマじゃなくてサルなんですねえ。隠るのが好きなんですよ人間って。
庭の居心地をよくするためにこの習性を利用します。頭上に枝がかぶってくるような木を植えたり、背丈より高い塀やトレリスを配置したり、パーゴラもそういう効果を狙ったものなんです。
隠る、物陰に隠れる、自分より背の高い何かがある、すると居心地がよくなってそこに人が集まってくる。これを庭に当てはめて考えれば、「眺めるだけだった庭」が「人が集う庭」に変わりますよ。
そうやってできあがった落ち着ける空間に、シエスタベンチ。
いいでしょうこれ。ここで昼寝したら、気持ちいいだろうなあ。
テラスの左右に設置したマリンライトが情緒たっぷりに灯る頃まで、春の空気を感じながら昼寝がしてみたい。そうしたら全身の疲れが消えてなくなると思うんですよね。いいですよね昼寝。何年もしてないなあ。
夕暮れから夜のテラスの様子も撮影してありますので、後日ご覧いただきます。夜もまたいいですよ。
テラスの向こう側の和室前は、木製パネルと石張りでガーデニングスペースになっています。
和室前だからといって和の坪庭に仕立てる必要はないわけで、それよりも最上の場所になったテラスを演出する意味も込めて洋の仕立てにしました。洋風坪庭ですね。
道路からはこうです。
パネルの柱はオスモカラーのロイヤルブルー、パーゴラも同じです。この青い柱に白いパネルを合わせると、ちょっとゴージャスでしょ。バラが似合う感じの空間になります。
同じパターンのパネルを玄関側にも設置して、これで外構全体に統一感が生まれました。こういうことも考え合わせないと、庭だけが浮いた感じになることもありますから。思い切った素材や色を使い時には注意したい点です。
庭の内部は歩く場所に自然石の乱張りをして、それ以外の土の部分が植栽スペースというつくり方にしました。こういう狭めの場所では花壇を立ち上げると動き辛くなるのと、直線や曲線の図形的な花壇はその図形が主張する分狭さが際立ってしまうからです。
既存のコンクリートのポーチにも石を張りました。ここがコンクリートのままだったら平面的に2分されてしまって、これも狭く感じさせることになってしまいます。それと、できるだけコンクリートは見えない方がいいですからね。
石はブラジル産のクウォーツサイトです。このピンクが大好きで、最近よく使っている石です。なかなかないですよこういう石って。庭全体がパーッと華やぎます。
「ガーデニングはそれほど好きじゃないし・・・」とおっしゃっていた奥様が、しょっちゅう庭に出ていることが花の様子から伝わって来ました。いやあ、よかったよかった。生活に楽しみが増えたってことですよね。
奥様が丹精して見事に咲いている花と、ぼうぼうに茂っていたのを風通しよく剪定したオリーブ、そして新緑が美しいカツラ。奥に見えるテラスと呼応して、い~い感じです。
室内からはこうです。
リビング前のテラスと和室前のガーデニングスペース(洋風坪庭)とご覧いただきましたので、3分割したこの庭のもうひとつの場所、ダイニング前を解説します。
もともと芝生の中に立水栓があって、既存フェンスにモッコウバラが誘引してありました。スペースの使い方としては、和室前と同じくガーデニングを楽しむ場所とし、ここにはハーブが多数植わっています。
もうひとつこの場所の役割があります。それは打合せの時にご夫婦から出た「出窓から木が見えたらステキだね」ということを実現すること。と同時に、テラスからこちら側に目をやった時に、庭の奥行きを感じられるようにすることです。でないと地面から持ち上げたテラスが宙に浮いた感じになってしまうんですね。テラスの存在が唐突になるんです。
出窓の外に見える木は、ジューンベリーにしました。窓を開けると手が届きそうな位置にジューンベリーのやさしい葉っぱが揺れていたら、ダイニングの中まで柔らかい空気感が入り込んでくる。そんなイメージでの提案でした。撮影の時にちょうど花が咲いていて、芽吹いて間もない新緑と可憐な花が、設計時にぼくがイメージしていた以上に、その何倍も、周囲の空気を柔らかくしていました。その木が設計意図を理解して全面的に協力してくれたように思えて、とってもうれしかったです。
木を植える他にもうひとつ、2方向にアイアンのトレリスを設置しました。もともと植わっていたモッコウバラをそれにからめることで、場の立体感が出て、テラスからの庭の奥行きがでるということ。それと部屋からの眺めも、今まで何もなくて意識に入らなかったその空中を、庭として認識できるようになります。道路から見るとこうです。
どうしても平面的になりがちな庭に、立体感、厚みを持たせたい場合に、このトレリスはとても便利です。設置方法は土に突き刺すか、既存のフェンスに結束するだけなのでとても簡単。庭が立体的なるとグンと居心地がよくなりますよ。
窓の外の手が届きそうな位置に木の葉が揺れているって、一度そういう環境で暮らすと、もうそれなしではいられないと思うほどいい感じです。つまり庭は、庭で過ごすこと以外に、(目隠しを含めて)室内を演出するという役割もあるんですね。今回のこの場所は室内(ダイニング)を演出し、同時に外の部屋であるテラスも演出しています。2方向への演出効果。だからトレリスも2方向に設置してあるというわけです。
木村さんちの樹木です。
最初はオリーブです。この木はもともとここに植わっていて、ほとんど放ったらかしだったようでぼうぼうに茂っていたのを剪定しました。西日がすけていい感じです。
このオリーブのように庭のエンドに植える常緑樹を「角おさえの木」と呼んでいます。この呼び方が正式な、一般的なものなのか、うちが言い出して常用しているのかは定かでないんですけど、ぼくもスタッフもよく使う言葉です。「角おさえの木」の意味合いは、庭のはじっこの角に高さのある木があることで、庭全体の空中をその木の高さまで庭空間として認識できるようになる、ということなんですね。設計していて、どうしてもこの位置に木を植えたくなります。
オリーブは苗木のうちはとにかく枝が暴れて仕立てづらい木です。最初からこの木ぐらいまで育ったものを購入するか、苗木を買った場合は、枝が暴れても気にしないで、数年間じっと我慢で放っておくかです。四方八方好き勝手に伸びる枝を整枝剪定しても、それに逆らうように新しい枝が出て来ますから、いじくればいじくるほどカタチは乱れてしまいます(園芸の専門家ならうまくいくのかもしれませんけど)。それはちょうど思春期の子どもみたいなもので、ですから私の結論としては数年放っておいて、幹がある程度太くなったところで余計な枝を取り除いてやるのがいいのかなと思っています。オリーブもうちの子も、「何とかしなければ」なんて思うからうまくいかないんですよね。放っとこ放っとこ。言うこと聞かなくても、へんてこりんな格好してても、幹が太くなるまではじっと我慢。
次は大人気のジューンベリーです。庭木には結構早いスパンで流行り廃りがあって、このジューンベリーは数年前から注目され始めて、今や人気ナンバーワン。10年前のシャラノキ、5年前ならシマトネリコが大人気でしたけど、これから数年はジューンベリーだと思います。
撮影時に、ちょうど花が咲き始めでした。ご覧の通りで可憐というかやさしいというか、なんとも言えないすてきな花です。
続いてカツラノキ。おっと、もう出かける時間になってしまいましたので、この続きはまた明日。
今日ご紹介するのはカツラノキです。
環境が整えば20メートル以上の巨木になる落葉高木で、そう考えると一般的な規模の庭には向かない木となるんですが、カツラの場合は人気が高くて、住宅地を歩いていてもよく見かけるポピュラーな庭木として楽しまれています。
「環境が整えば巨木になる」のですから、植えるときは巨木にならないように環境を整わせないというのがコツで、数年後を見越してあまり根っこが延び延びと成長できない植え場所を設定します。
木を植える時になるべく環境を整えるのが常識的なんでしょうが、そうじゃない、逆の発想も時には必要です。まあ、横浜の場合はもともとの土が悪いので、普通に植えればその『悪環境』になるんですけどね。
いいもんですよ、土のあまりよくない雑木林の、大木の陰にひっそりと生えている桂の木。山を歩いていて何度か遭遇したんですけど、下枝は落ちて、曲がった幹の先端にちょっとだけ葉が揺れている。独特の風情を漂わせます。
そんなわけで、ご主人が好きだというカツラを植えました。ここなら大丈夫、大木にはなりません。
カツラの人気は葉っぱですね。ハート形をしていて、柔らかいその葉が日に透けるとご覧の通りで、薄緑色に輝くハートが宙に舞う、そんな庭空間が実現するんです。
いいでしょう!カツラノキ。
カツラを撮影していたら奥様がコーヒーを入れてくださいました。そのコーヒーカップが・・・、それはまた明日。
ハート形のカツラの葉っぱを夢中で撮影していたら、奥様が「コーヒーいれましょうか」と声をかけてくださいました。
「見て見てこのカップ。わかる?」
最初はわからなくて、何だか雪の上に尻餅ついたようなフォルムだなあなんて思っていました。
「こうなるよの!」と持ってこられたのがこれ。なんとなんと、注いだコーヒーがハート形になるカップでした。もうこういうのに出会うとノックアウトなんですよ。面白いアイデアです。そしてそのアイデアが企画倒れに終わらない、実に良くできたカップでした。
先だって桜が満開の頃に、木村さんの89歳のお母様を生まれ故郷である姫路に旅行に連れ出して、そのときに宿泊した室津漁港の先のリゾートホテルで購入したのだそうです。食事の際に女性にだけこのハートのカップでコーヒーが出て来て感激して、それがそのホテルで売られていると聞いて買って来たとのこと。
カツラを眺める位置に座ってコーヒーをいただきながら、姫路旅行の写真を見せていただきました。89歳のお母様が、ものすごく元気ではつらつとしていて驚きでした。お母様は若い頃から日舞をやられていて、さらに60歳から始めた社交ダンスを今も続けているとのこと。元気いっぱいで笑顔がすてきな89歳、写真を見ているだけでこちらも元気をいただきました。元気が何よりですよね。
リフォーム前から元気よく生息していたのがこのモッコウバラです。撮影時は咲く寸前で、数輪が開いたところ。現在はきっと満開だと思います。
5月はバラの季節です。それなりの知識が必要で手入れも大変なバラですが(そこが楽しいんですけど)、これだけは別。モッコウバラなら放ったらかしでも毎年盛大に咲いてくれます。誘引もしやすいので、日当りのいい壁に盛大に咲かせることも簡単にできますよ。虫や病気もほとんど心配しなくていいですし、なんといってもバラなのにトゲがない!というわけで、大人気のツルバラです。
花色は黄色と白があって、黄色の方が花付きは盛大のようですが、白もまたさわやかでいい感じです。
植える時にはツルをからめるトレリスやオベリスクを添えるか(かなり大型のものが必要です)、誘引していける日当りのいい壁際に植えるといいでしょう。庭を立体的に演出してくれますよ。
モッコウバラの他にも咲き始めの花がありました。
ブルーベリーと
イチゴです。
今日は木村さんちの花をご覧いただきながら、ある言葉について。
面白い言葉に出会いました。その言葉を『プロフェッショナル/仕事の流儀』の茂木健一郎さんが著書の中で、武田鉄矢さんがラジオ番組で語っていて、それを読み聴きしたのが同じ日だったんです。一日に大好きなふたりから同じ言葉を解説されたせいか「いいなあ」と妙に気に入ってしまったので、書き留めておこうと思います。
その言葉とはブリコラージュ(Bricolage)。
茂木さんによると「ブリコラージュ」は、いま脳科学者が関心を寄せている概念で、フランスの文化人類学者クロード・レヴィストロースが提唱した「寄せ集めてくる」というような意味の言葉だそうです。
茂木さんは言います
「クロード・レヴィストロースは、つまり、事前に決まっている理論や設計図を用いずに、人間が本来持っている野生や機智を活かすことを提示したのです。それは、すでにある雑多なものを使って、本来の目的や用途と異なるまったく別のものを、創造性を活かしてつくることです。これからの日々の生活に大切なことは、何が起こるかわからない時代を、雑多な道具を使って生きていくことではないでしょうか」
ちょっとわかりづらいですかね。茂木さんは文章(会話)の癖として、あまり明確に答えを言わないところがあります。扱っている分野が未開のジャングルみたいな脳の世界だからかもしれません。本を読み進んでいても「もっと明快に答えだけを教えてよ」と何度も思うのですが、逆に言うと、読みながら考えさせるためにあえてそういうスタイルなのかもしれませんね。
それに対して武田鉄矢さんはこの「ブリコラージュ」をひと言で言い表しています。
「最近好きな言葉は『ブリコラージュ』。再構成とか再編集とか、ありもので何とかするってことです。ぼくは『まかないめし』って解釈してるんですけどね」
今度は理解できましたよね。「まかないめし」です。
武田さんはこれからの時代はありもので何とかしていく考え方が必要なんじゃないかと、そういうお話で、ようするに現状の中で知恵を出して生きていきましょう、ということですね。
茂木さんはこの「ブリコラージュ」から話し始めて、人が笑顔で生きていくには、脳内の未整理のままの雑多な道具をフル活用することが重要なんだ、ということを説いていました。「笑顔の人は、脳をフル活用している!」のだそうです。
「ブリコラージュ」、この言葉も脳を活用するための雑多な道具のひとつとしておぼえておきましょうね。
ブリコラージュ、まかない飯、現状の中にあるもので知恵を使って何とかしていくという概念。そして茂木さんの言う「笑顔の人は、脳をフルに使っている!」。こんなことも言っています「笑顔で健やかに毎日を暮らしている人々には、脳の中を数多くの『道具』で満たしているという共通点があるのです」。
つまり、脳内の雑多な道具を、まかない飯をつくるようにうまいこと使える人が、いつも笑顔の人ということですね。
そういえば昨日は一日中笑顔でした。いやいや私が脳内でまかない飯をつくったのではなくて、次々お客様と話していたからなんです。初めてご来店くださった方や、一年ぶり、数年ぶりに来てくださった、以前庭をやらせていただいたお客樣方。ゴールデンウィークということもあってでしょうか、みなさん終始笑顔でした。ですからこちらも釣られて笑顔のまんまで一日が過ぎていったというわけです。楽しかったなあ!いいですよね笑顔の時間。
うちのお客様の共通点なんですよ、笑顔。なぜか、眉間にしわを寄せていたり常に不安な表情の方がいないんです。みなさん笑顔爆発で暮らしていて、昨日がそうだったように、いつもその笑顔に引っ張られてこちらも楽しく暮らせているのです。ほんと感謝しています。
そういうお客樣方の暮らしぶりやものの感じ方、考え方は、きっと「脳内の雑多な道具をまかない飯をつくるように上手に使っている」ということなのでしょう。
最近、笑顔で暮らすためのヒントになる本に巡り会いました(忙しくてもけっこう本は読むんですよ)。明日はその内容を少しつまみ出してみます。
今日は早朝から動きっぱなしでブログをやるのが今(PM23:00)になってしまいました。今日も楽しかったなあ、たくさんの素晴らしい人たちと会って,
湘南某所にある防空壕を利用したものすごい家も観れたし、最高の1日でした。
そうそう、昨日は帰りが遅かった娘に化粧のこととか、高校生のあるべき姿とか、ああだこうだと説教まじりの講釈をたれているうちに、大事なテミヤンライブのことが頭から抜けてしまって、行き損ねてしまいました。月一回の楽しみが・・・、残念残念。
昨日予告していた「笑顔で暮らすためのヒントになる本」については明日じっくりとやることにして、今日は木村さんちの最終日、夕暮れから夜までのテラスを一気にご覧いただきます。
ご夫婦で力を合わせて仕事をされている木村さんち、うちと同じです。いっつも笑顔のおふたりで、リビングには常に美しい花といい感じの絵画が飾られています。このテラスをとっても気に入ってくださって「夏になったらここで一杯やりましょうね」と誘ってくださいました。楽しみです。
笑顔で、美しく豊かに暮らす木村さんご夫妻は、私たち夫婦の目標になりました。
「木村さん、ぼくの思い通りにつくらせていただいて、しかもあんなに喜んでいただけて、最高にうれしい現場でした。ありがとうございました」